傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

恋愛より特別なこと

 わたしが一緒に住んでいる女は恋人ではない。
 妻でもない。妻であればラクだとは思う。お互いのオフィシャルな緊急連絡先になって、どちらかが入院したらもう片方も病室に入れて、先に死んだほうの遺産が残ったほうに自動で行く。いいなあ、めちゃくちゃラクそう。
 でもわたしたちは結婚することはできない。わたしたちはどちらも女である。
 わたしたちは互いの稼ぎを持ち寄り、住居の確保から家事の分担まで二人で意思決定し、生活をともにしている。相手がいなくなったら生活を立て直さなくてはいけない。そういう相手を何と呼ぶのかと、同居人でない別の友人に訊いたら、パートナーじゃん、との回答が返ってきた。

 わたしは反論する。いやそれは籍を入れてないカップルの呼び方でしょ。わたしたち恋愛してないから。する予定もないから。
 そもそも恋愛や性愛がパートナーシップにくっついてくるのが、変だと思うんだよねえ。友人はそのように言う。相互に排他的にライフを支えあう相手がいることと、恋愛することと、セックスすることって、ぜんぜん、関係なくない? なんでセックスが基本になるかっていうと、子どもを産み育てろっていう国家の意思なんだろうけど、まあそれも「うっせえわ」だけど、それはそれとして、子どもが自然発生しないタイプの二人組にも、恋愛とセックスは要請されるじゃん。おかしくない? お互いを第一に相互扶助してるなら、恋愛なんかなくたって、パートナーじゃんねえ。
 そう言われたら、そうなんだけどさ。わたしはつぶやく。でもわたしがあの人を「一緒に住んでるパートナーです」って言うと、自動的にレズビアンカップルってことになるのよ。しょうがないから「友だちと住んでます」って言うんだけど、まあ友だちではあるんだけど、ほかの友だちとはぜったい違う、家計を折半して共同の貯蓄口座がある相手を「友だち」カテゴリに押し込んで済ませていいものか。
 そうさねえ、と友人は言う。あなた、いいパートナーがいて、実に素晴らしいことだねえ、と言う。暢気なやつである。

 わたしは恋愛をしたことがない。生まれてこのかた、恋愛感情を持ったことがない。あこがれの人だとか、片思いの相手だとか、そういうのもいたことがない。わたしたちの世代にも「恋愛しろ」というプレッシャーはあって、だから交際の真似事はしてみたのだが、全然向いていなかった。相手にも悪いことをしたと思う。
 今の同居人と暮らしはじめたのは四年前のことである。「シェアハウスをしないか」という提案に乗っかった。相手はもともと仲の良い友だちではあったが、一緒に暮らしてみると生活習慣がばっちり合う。二年目あたりに「これは一時的なシェアハウスではなく、とくに何もなければ長期的に継続する共同生活である」という共通認識に至った。
 ひとり暮らしだったときの支出と今の支出を比べたら、年間五十万ないし百万浮いていた。一人より二人のほうが、家賃も生活費も安上がりなのだ。人間が寄り集まって生きるってトクなことなんだなあ、とわたしは思った。生活のあれこれも楽になるし、何より楽しい。
 「それはパートナーシップだよ」と友人は言う。きっとそうなのだろうと思う。同居人のことを、取り替えのきかない、得がたい相手だとも思う。
 でも恋愛ではない。
 同居人の認識も同様である。同居人の恋愛対象は男性であり、わりと惚れっぽいのだが、つきあって半年から一年で飽きる。男性と結婚するつもりはないと断言している。恋愛は好きだが結婚はしたくないと、そのように言う。

 わたしは自宅に帰る。同居人に今日の話をする。
 同居人は言う。そしたらわたしたちパートナーってことで、いいんじゃない。
 恋愛じゃないのに、とわたしは言う。恋愛じゃないけど、と同居人は言う。
 わたしは思い切って、言う。でもわたしは、いつか恋愛に負けると思う。恋愛は強い。あなたは恋愛をする。わたしは恋愛をしない。あなたには、そのうち、飽きない恋人ができるかもしれない。そしたらわたしは、負ける。わたしは、それが怖い。
 同居人は笑う。それからうつむいて、口をひらく。
 そんなこと不安に思ってたんだねえ。そしたらわたしの不安も教えてあげよう。あなたがあなたと同じように恋愛しない人と知り合って、意気投合して、その人がわたしよりすぐれていて、そしたらわたしが捨てられるだろうと、そう思ってたよ。そんなの恋愛よりよっぽど特別なことでしょう。
 わたしは思う。恋愛しないからわからないけど、このわたしたちの関係だって、恋愛より特別なんじゃないかしら。