傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

石を投げられたくないだろ?

 親戚は怖いなあ。僕がそう言うと、彼氏はのんきに、みんないい人だよ、と言う。
 僕らは先日、マンションの共同購入を決めたところである。このところの東京の地価高騰は異常で、たぶんバブルで、買っても長く持っていたら得はしないだろうけど、それでも賃貸のままだと引っ越し先を探すのもたいへんだ。今の家は狭い。僕が軽い気持ちで彼氏の家にころがりこんで早三年。狭い。リモートワーク用のデスクを置くスペースがほしい。
 幸い予算内でいい物件が見つかり、手続きを進めている。そしたら彼氏が「これも節目だ、正月に親戚の集まりに来ないか」と言うのである。「いとこたちも俺の彼氏を見たがっているから」などと、のんきな顔して言うのである。
 僕は彼氏をとても好きだが、こういうところはまったく理解できない。僕は基本的にクローゼットなのである。
 親戚のみなさんは、そりゃいい人なんだろうけどさ、いい人だからって甥っ子やら従兄弟やらが男の恋人を連れてきて大歓迎するわけじゃないだろうよ。がんばって気を遣って「多様性」とか言いながら甥っ子への心配がダダ漏れになるんだよ。だって、俺の弟がゲイだったら俺、心配するもん。なんでかっていうと、俺が苦労したから。

 大切な身内には苦労してほしくない。それが偽らざる本音だと思う。その本音を口に出すのは差別だと言われれば、うん、差別だ。俺は俺を差別してるんだと思う。なんでかっていうと、さんざっぱら差別されたからです。身内にはそんな目に遭ってほしくない。
 僕は言いつのる。だっておまえ、たとえば離婚した母親がものっそい年下の男連れてきて、再婚するって言って、その男の職業が、えっと、そうだな、タトゥー・アーティストで、顔にも芸術的な文様が入っていたら、びっくりするだろう。
 彼は少し考え、言う。職業と外見には、きっとびっくりするけど、それは単に珍しいからだと思う。すごく若くて収入が不安定だったら、その点は心配かも。だって、結婚したら双方の収入が双方のものになる、だから経済はいくらか気になるかな。
 そうだろそうだろ、と僕は言う。シングルの母親に彼氏ができるなら、堅めの仕事で、同世代で、実家に問題がなくて、誰にも石を投げられないようなやつのほうが、安心だろうよ。
 うーん、と彼氏は言う。そう言われたら、そちらのほうが、安心では、ある。

 それみたことかと僕は言う。大切な人には「普通」に幸せになってほしいだろ。石を投げられたくないだろ。
 おまえは気にしすぎ。彼氏はそのように言う。あのね、俺がもし「普通」が好きなら、自分で「普通」をやる。母親がそうなら母親自身が「普通」をやればいい。母親は俺じゃないんだから、関係ない。親戚もそう。俺は、俺やおまえに失礼なことされたら、怒る。そんだけ。おまえほんと、気にしすぎ。
 えらいねと、僕はつぶやく。さすが佳子さんの子だ。

 佳子さんは彼氏の母親である。僕はたいそう彼女を尊敬している。
 一緒に住み始めて一年が過ぎたころ、佳子さんは僕に会いに来た。僕は内心「僕の母親よりはマシだといいな」と思っていた。
 僕の母親は僕がゲイであることを示す場面があると(彼女を作れと言われて断るとか)、それを見事に無視して、それから体調を崩すのである。息子の同性愛に文句を言うのではなく、そんなものはありませんというふうに振る舞って、それが破綻すると寝込む。つくづくうんざりして、実家にはろくに戻っていない。
 一方、佳子さんは僕の前でとても「普通」に振る舞った。息子とその恋人と三人で話すのが嬉しいみたいだった。不快な顔をしたのは一度きりだ。
 この子、すごく理屈っぽくて、けんかしても理詰めでしょう、ごめんなさいね、あれ、ストレスよね、わたしはほんとに、あれがイヤでねえ、誰に似たんだろうって、この子が高校生の時なんか、もう、イヤでイヤで。
 そう言われて、僕はびっくりした。けんかしても理屈でものを言うのは彼氏の美点だと思っていたからである。
 あの、すみません、僕も、そうなんです。理詰め系です。
 僕がそのようにこたえると、佳子さんは「マジで」みたいな顔をした。「やだわー、この人と一緒には暮らせないわー」とフキダシをつけたいような顔をした。あの人めちゃくちゃ顔に出るんだよ、とあとで彼氏が言っていた。
 そんな人が楽しそうに僕と話してくれるんだぜ。ほんと、嬉しくなっちゃうよな。

 しかたがない。僕の恋人と僕の尊敬する女性が「来るように」と言っているんだから、親戚の集まりとやらに行こうじゃないか。心配されたところで、それはその人の問題だ。