傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

従姉妹の幸福な結婚

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。それからしばらく経ち、「この状況がきっかけでプロポーズされ、結婚しました」というはがきが届いた。差出人は年齢の離れた従姉妹である。それで取り急ぎ祝おうと彼女の自宅に電話をかけた。すると従姉妹の母親である叔母が出て、こう言った。

 あの子は結婚なんかしていない。ちょっとおかしくなってしまったのだと思う。できたら一度話をしてやってくれないか。

 よくわからないまま従姉妹の携帯電話番号をもらってかけた。
 従姉妹は晴ればれとした声でうん結婚したのと言った。そしてそのことをお母さんはわかってくれないの。でももういいかなって。わかってもらえる人にだけわかってもらえたらいいの。お母さんは古い人だから。主人はね、二次元にいるの。
 わたしはたいそう驚き、それはどういう意味合いかと尋ねた。従姉妹はていねいに説明してくれた。結婚相手(「主人」)はゲームのキャラクターであること。キャラクターと恋愛して結婚する人間は自分のほかにもいて、法律婚はできないが、仲間達が祝ってくれること。遊びではなく、真剣な恋愛と永遠の愛の誓いであること。そのためにウェディングドレスを着て撮影もしたこと。

 はじめて聞く文化だったので非常に驚いた。しかしよく考えてみればわたしとて子どものころには空想上の友だちを持っていた。空想上の友だちはありふれたものだ。赤毛のアンにも空想上の友だちがいる。考えてみれば、それが恋愛対象になることだってあるのではないか。
 そう考えるとわたしはある意味で経験者なのであって、「まったく理解できない」という話でもない。

 子どもの友情ではなく、大人になった従姉妹が「結婚」という語を使用したので叔母は震え上がったのだろう。でもそれもそんなに重大な話でもない気がする。生活の手段として稼ぎ手と家事の担い手をわけたいという希望があるのでないなら、結婚はオプションである。
 たとえばわたし自身は結婚していない。結婚制度がどうしても嫌いで、恋愛の相手が結婚を匂わせた場合、「なぜわたしは結婚が嫌いか」を長々とプレゼンする。現在はそのプレゼンに対して「もっともだ」「そういえばどうしておれは結婚したかったんだろう」と言ってくれた人と同居して生活している。
 パートナーシップのありようが一般的でないような友人知人はほかにもいる。
 同性の友人との同居が十年以上にわたる人。彼女は家の外で恋愛をするけれど、生活上の、情緒的にももっとも緊密なパートナーシップは同居の友人と築いている。彼女はパートナーシップを必要としているが、それが恋愛と結びついていない。
 異性の友人と恋愛抜きの結婚をした人。彼女は恋愛というものにつくづくうんざりして、相互に恋愛感情のない異性の友人とバディとして結婚したという。彼女もパートナーシップを必要としているのだが、結婚制度をそれに使用し、かつ恋愛は必要ないというパターンである。
 異性の交際相手がいるが相手は他の人と結婚しており、自分は独居して、相手から声がかかれば自宅の扉をあけるという人。彼女は一対一のパートナーシップを必要とせず(少なくとも優先順位が相対的に高くなく)、恋愛は必要としており、結婚は必要としていない(少なくとも優先順位が相対的に高くない)。
 もちろん、独居で特定の誰かと助け合ったり合わなかったりしている友人知人はおおぜいいる。血縁上の両親ではない組み合わせで子どもを育てている人もいる。
 こうして並べてみると、空想上の恋人と空想の中で緊密に結びつき、生活上の課題にはひとりで取り組むというありかたが特殊とも思えない。

 従姉妹は幼いころから自分が「女の子」であることを非常に重視し、昔ながらのプリンセスにあこがれる子どもだった。保守的といえば非常に保守的だが、そう呼ぶにはずいぶんと純化された綿菓子のような愛の夢を持っていた。もしもそれが保持されたなら、生きている人間が彼女の恋愛の対象になることは困難だろう。そして彼女は絶対に理想的な男性と恋愛して結婚したいのである。
 どうしても恋愛してその相手と結婚したくて、かつどうしても生きている人間と恋愛したくなかったら、理想的なキャラクターと「恋愛結婚」するのは理にかなっているのではないか。それで社会生活が破綻するならともかく、従姉妹には定職があり、健康的な生活をしているようなのだ。

 さあどうしよう、とわたしは思う。従姉妹に対しては「おめでとう」としか思えない。叔母になんと言えばいいだろう。