傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

きみに来るサンタクロース

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。その影響でペットを飼い始めた人の数が前年比で十五パーセント増えたとのことだ。わたしもそのひとりである。数年後に犬を飼うつもりだったのを前倒しした。
 子犬が家にいるというのは貴重なシチュエーションなので、幼犬のうちに友人たちにたくさん遊びに来てもらった。なかでも小さい子どもたちのいる友人にはことのほか喜んでもらえたので、わたしも嬉しかった。

 忘年会を兼ねたホームパーティで子どもたちに再会すると、彼らはクリスマスにもらったプレゼントをひとしきり自慢し、それから言った。りんちゃんは何もらったの。
 りんというのはわたしの犬の名である。わたしはおやつセットと新しい首輪の写真を見せ、これ買ってあげた、と言った。すると子どもたちは顔を見合わせて尋ねるのだった。サンタさんには何もらったの?
 しまった、とわたしは思った。自分に子どもがいないのですっかり忘れていた。日本の多くの未就学児ないし児童にはサンタクロースが来るのだった。わたしは冷静をよそおって彼らに教えた。りんは犬だから、サンタクロースは来ない。サンタクロースは人間の子どものところに来るんだ。すると彼らはめげずに言う。サンタさんに頼んであげたらいいのに。そしたら来るよ。
 そういうシステムになっているのか。なるほど、保護者がサンタクロースに依頼する形式であれば、子のほしいものを的確に買ってやることができ、合理的である。しかし、子どもはあくまで保護者ではなくサンタクロースに頼んでいるのだから、とんでもないものを欲しがった時に困るのではないか。それこそ犬とか、カブトムシとか。ぜったいいるだろう、冬にカブトムシほしがる子。サンタクロース特別法により生体の輸送は禁じられている、みたいなサブストーリーが必要である。

 子どもたちが遊んでいるのを横目に大人たちの飲み会をやる。今年は参加者がふだんの半分しかいない。感染症のリスクがあるからだ。わたしたちはそのことにすでに慣れてしまった。それぞれが私的な人間関係にカテゴリを作り、会ってよい相手とそうでない相手を明示的に分けることに。中には同居家族のほかには誰にも会わないという人もある。
 それにしてもどうしてサンタクロースはこんなにも長く定着しているのかね、とひとりが言う。日本人には宗教的な背景もないんだから、要するにやたら手間のかかる作り話じゃん。廃れてもおかしくないと思う。でもわたしたちが子どものころからずっとずっと続いているでしょう。保護者の側、大人たちの側がサンタクロースの話を好きなんじゃないかと、わたしなんかは思うんだよね。そういうファンタジーを必要としている。空から誰かがやってきてすごくいいものをくれるというお話を。

 わたしは友人の話を聞きながら、なるほど、と思う。わたしが子どもたちと話しているときにサンタクロースのことを忘れていた理由は、自分に子がないからというだけでなく、わたし自身にはサンタクロースが来たことがないからである。そういう生育環境ではなかった。
 でもわたしもサンタクロースの話は好きだ。わたしが小さかったころには、友だちの両親が「おまけのサンタクロースだよ」と言ってプレゼントをくれた。男の子からはじめてプレゼントをもらったのもクリスマスで、パッケージにサンタクロースのシルエットがついていた。
 そういうのは「本物」のサンタクロースじゃない、と言われたこともあるけれど、わたしは本物だと思う。だって、サンタクロースはお空からやってきてすごくいいものをくれるのでしょう? 赤の他人がやさしくしてくれるなんて、ほんとに空から落ちてきたいいもの以外の何者でもないよ。わたしは自分もそのようなものでありたいと思うよ。

 飼い犬におやつセットを買い、友人の子どもたちにちょっとしたプレゼントをあげた。でもまだクリスマス的にじゅうぶんではないな、とわたしは思う。もうクリスマス終わっちゃったけど、わたしは職業サンタクロースじゃないから、ちょっとくらい遅れてもいいのだ。誰に何をプレゼントしよう。
 わたしは毎月、発展途上国の女子教育に定額を寄付しているのだけれど、今年の年末はそれに加えてどこかに寄付をしよう。なにしろこの状況だから、まずは医療従事者、それからふだんから鑑賞者としてお世話になっている芸術系のどこかに寄付しよう。なぜならわたしはサンタクロースだから。