傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

不倫だからってわたしたちを認めないのはあなたが差別者だからでしょう

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのために私はこの友人と二年会っていなかった。
 でもそれは言い訳にすぎない。私は彼女にできるだけ会いたくなかったのだ。

 彼女の「彼氏」は彼女の一人住まいの部屋を不定期に訪れる。彼女の仕事のスケジュールは「彼氏」によって把握されている。なぜなら「彼氏」は彼女の直属の上司だからである。「彼氏」は彼女の仕事以外のすべての時間を、直前に送るLINEひとつで自由に使用することができる。なぜなら彼女にとって「彼氏」はプライベートのすべてのスケジュールより優位にあるものだから。というより、彼女全体より優位にあるものだから。
 彼女はいつも完璧に整えた自宅で美しく装って「彼氏」を迎える。彼女はいつでも「彼氏」を見上げる。「彼氏」のせりふをぜったいに否定せず、「彼氏」をほめ、美しい笑顔で美しくサービスする。
 それが彼女の「恋愛」である。もう何年も彼女はそうしている。彼らは常に彼女のマンションで密会する。

 なぜ密会なのかといえば、「彼氏」は別の場所で法律婚をしているからである。彼女にとってそれは所与の環境であり、「彼はやむを得ない事情でそんなところにいなければならない」という災厄のたぐいである。彼女は「わたしはずっと愛されて大切にされている」と言う。「彼はいつもわたしを高めてくれる」と言う。

 彼女は私の身につけるアクセサリーに敏感である。「それ彼氏にもらったの」と言う。実際にはどうであっても、自分で買ったんだよと私は言う。お給料上がったんだと彼女は言う。お給料上がったら男を買いやすいねと言う。
 彼女の言うところの「男を買う」というのは、私がパートナーと住む家の家賃を多く払っていることを指す。私は電車通勤がとても嫌だ。そうして家でも仕事をする。だから自分が職場に歩いて行ける場所に家を借ることと、三畳ほどを私のデスクまわりとして専有したいことをパートナーに告げ、その見返りとして家賃を二万円多く払うと提案した。彼はそれを受けた。
 それをもって彼女は「男を買っている」と言う。

 彼女は男をわずらわせない。生活に必要なことはすべて自分でまかない、いわゆるデートらしい外出がなくても不平など言わず、男のせりふを否定しない。彼らはキスをする。美しい「男と女」のキスをする。彼女はそれを本当の愛と呼ぶ。
 私は男をわずらわせる。男は風呂を掃除し、私はトイレを掃除する。私は男の作ったおかずを食べ、男は私の作ったおかずを食べる。私たちは「うまい」と言う。私たちはキスをする。ユニクロの部屋着でする、いつものやつを。
 彼女はそれを軽蔑する。だから私は自分のパートナーの話を、訊かれてもしなくなった。そうしたら彼女の話題は他の共通の友人の夫婦関係や恋愛関係、あるいはそれがないことについての話に移行した。彼女はそのすべてを憐れんでいるようだった。

 彼女に「久しぶりに良いレストランにつきあって」と呼ばれて行くと彼女の「彼氏」がいた。初対面である。いることは知らなかった。
 彼女は早口で言った。この子はねえ前から話してたでしょ、高校の同級生、差別しない人だから、ゲイのお友達の彼氏にも会ってあげたんですって、名前のつかない関係を否定しないリベラルな人なの、だからわたしたちのことも差別しないの。

 私はゲイの友人に「ここじゃないと彼氏といちゃいちゃしながらあなたと話せないから」という理由で新宿二丁目に呼ばれて交際相手を紹介され、「そりゃあ世の中が良くないね」と言って、楽しんで帰ってきた。
 「そんなことをしたのだから自分たちのことも認めるべきだ」というのが彼女の主張であるらしかった。ただの食事ならまだしも、彼女のコミュニケーションの九割が「彼氏」のせりふへのうなずきと賞賛で、私にもそれを目で求めるものだから、私はもう完全に帰りたくなった。自分だけでなく、私まで「彼氏」のために使用するなんて。

 それで二万円を置いて帰った。それがそのレストランの相場より多い額面だったから。
 彼女は私に六千円を振り込んだ。そうして言った。「彼がそうしろって」。
 私はもう彼女と会うことはない。私の知っていた彼女はもういないのだと思うことにした。優秀で正義感が強かった高校生の彼女。有名な大学で華やかな青春を送っていた大学生の彼女。憧れていた職に就き、理想と現実の乖離に悩みながら努力していた彼女。みんな私のいい友だちだった。でももういない。私は男にかしずく女を見るために自分の時間を使いたくない。
 だから彼女はSNSで私を「差別者」と呼ぶ。