傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

わたしの大切な不安

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。流行は三年に達し、直接の知り合いが幾人も罹患した。わたしもかかった。そのために周囲でにわかに注目を集めたのが保険である。症状が重かったので医療保険がおりて助かったという人もあれば、生命保険も含めてプランを棚卸ししたという人もあった。
 わたしはといえば、めちゃくちゃ呆れられた。民間の保険というものにひとつも入っていなかったからである。ずっと労働しているが、医療保険にも生命保険にも、これまで一度も入ったことがない。年齢は四十五歳であって、いわゆる保険の入りどきはとうに過ぎている。なお、今後も入る予定はない。
 そんなやつ見たことない、と友人のひとりは言った。彼女は企業で人事をやっている。年末調整の書類には会社の人々の保険会社が出した書面が添付されていて、彼女はそれを扱う。額面の多寡はあれどゼロということはまずないと、そのように言うのであった。

 だって、とわたしは言った。いらないんだもん。
 わたしは日本の標準医療と保険制度を信頼している。自費医療を必要と感じた経験はないし、今後生命にかかわる重大な病気になっても必要ないと思っている。標準医療でできるだけやってもらって、高額療養費制度である程度カバーしてもらって、それでじゅうぶんである。
 貯蓄はある。若いころから収入の一割、今はもういくらか、貯蓄に回すことに決めていた。どんなに余裕がなくても先に抜いちゃえばどうにでもなるものだと、わたしは思っていた。税金を還付されるほど収入が少ない時期もけっこうあったのだが、それでも貯蓄はしていた。収入が余ったらぱーっと使うが、生きていくだけならあんまりお金がかからないタイプなのである。
 いざとなったらこのお金を使う、と思う。それ以上はまあしょうがねえやと思う。いざということがばんばん起こらないほうに賭ける。そうやって生きてきて、幸いいわゆる人並みの収入を得るときが(遅まきながら)やってきて、そうしたら貯蓄も増えて、医療費でばーんと出ていっても、まあどうにかなるくらいにはある。よほどのことがあって働けなくなって貯蓄が尽きたら地域包括センターで相談する。ちなみに独身で、子どもなど養うべき者はおらず、両親は亡くなっており、相続したのは売れそうにない田舎の土地だけで、頼りになる親戚などもいない。

 そんな、無頼な。友人はそのように言い、無頼って日常会話で使う人はじめて見た、とわたしは言う。民間の医療保険や生命保険に入ってない人ってけっこういるんじゃないの、そういう話ふだんあんまりしないからわかんないけどもさ。わたしとしては若いころ三時間じっくり考えて決めて、それが覆らなかったという、それだけのことなのよ。そんなに変なことしてるかねえ。

 している、と友人は言う。いいですか、人間はそんな理屈だけで動くものじゃないんだ。それに三時間考えて決めることじゃない。もっと考えろ。
 三時間以上考える材料、ないじゃん、とわたしは思う。計算したら必要なお金はわかるし、計算できないほど必要なら貯蓄も保険も意味ないじゃん。それでわたしの場合は必要なお金は貯蓄できたんだから、それ以上考える余地もないじゃん。
 あのね、と友人は言う。この世が予測不可能だから、人間は保険に入るんですよ。不安だから保険に入るんですよ。そして不安のない人間なんかいないんだよ。
 わたしだって不安である。明日トラックに轢かれて死ぬかもわからない。疫病にかかり稀なほど重大な副作用が出て働けなくなるかもわからない。そんなのもちろん不安である。しかしその不安を保険がどうにかしてくれるとは思われない。貯蓄だってどうにかしてはくれない。悲観すればいくらでもできる。これは自慢なのだけれど、不安になって悲観する能力はけっこう高い。さまざまな可能性を検討し我が身に起こりうる悲惨なディテールをありありと想像した。その時間が若いころ保険検討に費やした三時間である。
 そしてわたしは決めた。うん、保険はいらない。

 わからん、と友人が言う。そこで保険に入るほうがわたしにはわからない。でもみんなそうなんだなと思う。それはそれでいいと思う。最終的には理屈で決まらない不安の問題で、不安というのは各自が心の中に持っている大切なものなのだから、まわりと合わせる必要なんかない。わたしはわたしだけの不安をだいじにしてやっていこうと思う。