傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

どうして、お母さん

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。それでわたしは母に会うことができない。

 わたしの母はすごく感じのいい人だった。同世代や祖父母世代だけでなく、わたしの友だちもみんなそう言った。母はわたしの覚えているかぎり場違いなふるまいをしたことがなかった。家にどんな人が来たときにも、旅行先でも、わたしの保護者として学校に来るときでも、親戚の集まりでも。
 小学生のころまではそういうのが当たり前だと思っていた。お母さんは大人だからねって思ってた。お父さんはお母さんに比べてドジだなって思ってた。父はときどき誰かと言い争いをしたり、発言すべきでないときに発言して気まずそうな顔になったりしていたから。それで人に笑われたりもしていたから。
 わたしはおよそ母を嫌う人やばかにする人を見たことがなかった。母はいつも適切なふるまいをしていた。高校生までのわたしの目には、そのように見えた。

 母は規則正しい人だった。決まった時間に起きて、決まった時間に寝た。曜日と月と季節ごとに掃除のスケジュールが決まっていて、だから家はいつも適度にきれいだった。食事のバリエーションは豊富で、素材や調理法の組み合わせがローテーションされ、おかげで家族は季節感を感じつつ飽きずに食事ができるのだった。
 母のルーティンはときどき書き換えられた。主に子どもの成長と父の仕事の忙しさに合わせて変えるのだ。たとえばわたしが小さかったときは幼稚園への送り迎えがあり、小学校に入ると習い事の送り迎えに切り替えられて、PTA活動も加わった。母はそれを三月に計画し、四月から遂行した。
 わたしは高校生くらいまで「母は几帳面で安定した人間なのだ」と思っていた。「ちょっと退屈かもしれないけど、とてもいい人だ」と思っていた。

 大学生になって東京に出てきて一人暮らしをはじめた年に疫病が流行しはじめた。そしてそのとき、母が「安定した人」ではないことに、わたしは気づいた。
 去年の夏に帰省すると母の顔が変わっていた。やつれていたし、どことなく引き攣っているように見えて、しぐさがおかしかった。わたしが何か言たびに泣きそうな顔になるから、これはまずいと思って一晩泊まっただけで東京に戻った。
 父に聞くと「疫病が流行しているから」と言うのだった。お母さんはとても不安なんだよ。どうしていいかわからないんだよ。きみが帰ってきてうれしいのに、会ったら知らないあいだに病気をうつしたりうつされたりするかもしれないだろう。お父さんは「そうかもしれないけど会いたいのだから会ったらいい」と言ったんだけど、保証がないからお母さんは納得できないんだ。ほら、お母さんはそういう人だろう?

 「そういう人」だなんて、わたしは知らなかった。わたしはお母さんのことをなにも知らなかったのだと思った。

 父によれば母は、常に不安を感じる人なのだという。何かあってそうなったのではなくて、若いころから(母の母である祖母によれば、子どもの頃から)そうなのだという。決まっていることはきっちりやれるから、祖母も父も母のためにできるだけ揺らぎのない暮らしを用意し、母が決められないことは祖母か父が「こうするといいよ」と言ってあげたのだという。
 「正解」を割り出す方法のないものについて、母は決めることができなかった。つまりほとんどのものごとについて。

 今年の夏は帰省しないことにした。
 電話をかけると、父は疲れた声で言うのだった。僕はワクチンを打つ。おばあちゃんはワクチンを打たない。だからお母さんは非常に怒って、混乱している。僕とおばあちゃんは今まで重要なものごとの方針が一致していたのに、今はそうじゃないから。
 お母さんにとって、それは「黒でいながら白くなれ」と言われているようなものなんだ。世界の法則が乱れていてそれをどうにかしろと言われているようなものなんだ。
 僕はワクチンを打ちたいし、おばあちゃんは打ちたくない。世の中にはそういう自由があるし、そもそもお母さんは自分で決めるべきなんだ。
 でも僕とおばあちゃんはそうさせることをさぼってきた。「自分で決めるんだよ」と言ってもお母さんはおばあちゃんと僕と同じことをするか、「どうしたらいい?」と尋ね続けるだけだったから。その質問に答えてあげないと具合を悪くしてしまうから。

 お母さんが不安にならないように世界を整えつづけてきて、でもそれが疫病のためにできなくなった。
 僕とおばあちゃんのせいだ。

 父はそう言った。わたしは何も言えなかった。