傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

一人であること、あるいは機嫌のいい犬

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのために人々の楽しみが減り、数少ない疫病伝染性の低い娯楽に注目が集まった。その筆頭がキャンプである。
 僕もご多分に漏れず毎月ソロキャンプをするようになった。子どもが中学生になって生活の世話や送り迎えが減り、勉強も塾まかせになった。パパとのお出かけなんか年一回もあればいいという感じだ。そんな中で疫病がやってきた。
 僕は自然豊かな場所にアクセスしやすい郊外に住んでいて、自家用車を持っており、アウトドア経験がある。いかにもソロキャンプをはじめそうな人間でしょう。

 とはいえ僕が昔やっていたのはハードな登山である。ちょっと間違えると死ぬやつである。その種の人間のゆるいアウトドアに対する感覚は二つに分かれる。一つは「オートキャンプなどというものは野外活動のうちに入らない」というアウトドア過激派、もう一つは「自然っぽいところにいるだけでOK」というアウトドア無節操派である。
 僕は後者だ。年も年だし、もうあんまり本格的な登山はやらなくていいようにも思う。ちょっとした自然の中にいれば、僕は上機嫌になれる。土が露出した地面はいいものである。なんなら毎日地面で寝たい。土と草の湿気をシート一枚ごしに味わいながら昼寝すると実によく眠れる。妻はいわゆるグランピングが好きなタイプなので(まあ、あれはあれで結構なものですが)、そこらへんで寝るのが好きな僕のことを「野犬みたい」と言う。かまわない。きみは布団で寝たまえ。僕は地面で寝る。
 夜のテントもまたいいものである。僕はテントが狭ければ狭いほど嬉しいので、家族でのキャンプに使っていたテントを人に譲り、えびす顔でソロテントを買った。高性能の寝袋にくるまり、それがすっぽりおさまるソロテントで寝ると、一度死んで生き返ったみたいな気持ちになる。

 ソロキャンプのメシについてはだいぶ研究して、以下のパターンに落ち着いた。
 買い物は家の近所で済ませる。というか、普通の買い出しと一緒にやっちまう。肉か魚の干物ないし粕漬けを買い、肉はタレにつけ、ジップロックに入れて冷凍しておく。野菜はざっくり切って、やはりジップロックに入れる。それら食料と飲み物と凍らせた水のペットボトルを小さいクーラーボックスに入れて出かける。あれこれを七輪で焼き、缶ビールを飲む。〆はおにぎりが定番である。コンビニの、海苔が別になってるタイプが便利だ。そいつをちょっと焼いて海苔を巻いて食う。チーズを小さい燻製機で味付けするのもいい。
 なんというか、食が細くなって酒も一、二杯あればいい、大人しいおじさんの晩餐そのものである。でもこのおじさんはコーヒーが好きで、朝になれば人気の焙煎所で買ってきたコーヒー豆を手挽きして淹れるような、小洒落たこともやってます。野外用の小さいコーヒーミルを持っているんだ。
 飲み食いしながら何を考えているということもない。夜は小規模なたき火をして、星を見て、気が向けば電子書籍で本を読み、朝は「帰る前にシートの夜露が乾いてくれるとラクなんだけどな」とか思ってる。あと「夜のたき火はいいにおいなのに朝になるといぶされた服が超くさい」とか。そして温泉施設に立ち寄ってさっぱりして早めに帰宅する。家事とかやらなきゃいけないことがあるし、しょっちゅう行ってるからあれもこれもとは思わない。
 若いころはロッククライミングしながら愛について考えて岩から落ちたりしていたのだけれど、もうそういうことはあんまりない。劇的な恋も熱い友情も将来への漠然とした夢も、このおじさんにはもう遠いものである。正確には「遠いということにしておきたい」という感じかな。もうね、考えるだけで疲れちゃうんだよね、そういうの。

 ソロキャンプのいいところは何もかもひとりぶんであるところだ。
 組織で働いて給料もらって家族と暮らして、それは僕の望んだことなんだけれど、だからといってそこに完全にフィットすることもできない。組織からも家族からもはみ出す個というものが、どうしても僕にはある。でもそこに激しさはあまり残っていなくて、ちょっとなだめてやればうとうとしはじめる、熾火のような葛藤にすぎない。
 僕はそいつとけっこううまくやっていると思う。昔の僕が見たら「つまらない大人」と言うかもしれない。そうしたら、そうだねと僕は笑うだろう。凡人が自分ひとりを上手に扱う方法なんて、だいたいつまらなく見えて、でも本人はつまらなくないんだよと。