傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

年頭所感、または退屈に殺されなかった日々

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのために人々が移動しなくなり、特定の産業では業界全体が大きな打撃を受け、各社に激震が走った。僕の会社もそのひとつだ。
 僕の会社といってもほんとうに僕のものなのではなくて、当たり前だけど、株主のものである。僕は経営上の責任者にすぎない。すぎないが、着任した途端に疫病が流行したので、去年は、なんていうか、死ぬかと思った。俺と会社の両方が。

 僕は生え抜きのトップではない。疫病前にすでに斜陽だった会社の刷新のために外資出身の人間を入れるという人事であって、そんなに華やかな話ではなかった。トップになる数年前に入社し、諸々のしくみを変え、そのプロセスでさんざっぱら人に憎まれ、そののちに就任、直後の疫病禍である。新社長(僕)は病むか辞めるか自殺するのではないかと、もっぱらの噂だった。
 もちろん僕は死んだりしない。死にそうだとは思った。そして僕は死にそうだと思うような状況が実は好きなのだ。子どものころからスリルに目がなく、退屈がほんとうに嫌いで、安定という語になんの魅力も感じたことがない。
 だから、誰にも言わないけれど、疫病下で会社も業界もめちゃくちゃになって毎日大嵐の中で舵取りしているような状況を、僕は楽しんでいる。死にそうなのが好きで、死にそうじゃないほうが個人的には死に近い、そういう人間なのである。

 だから僕はもちろん辞めないし病まない。なんならめちゃくちゃ健康だ。こういう楽しい(すなわち過酷な)状況ではいつも頭をクリアにしておきたいので、早起きして筋トレとかヨガとかやっている。間食はスムージーや素焼きのナッツである。
 退屈な時期にはそんなものに見向きもしない。酒量が増えて他人のアラばかりが見え、食に対する興味が薄れて、運転中隣の車線の車が蛇行した瞬間なんかに「あのトラックがこっちに突っ込んできてクラッシュしたとしても、まあいっかな」と感じて自分でびっくりする。その種の不健康さにつける薬は困難な課題しかない。そしてこの状況下での会社経営ほど困難な課題もそうそうない。

 僕の精神はそのように奇矯なところがあるけれど、それでも邪悪ではないので、他人の不幸はいやである。世界をよくしたいと思う。いや、まじで。実際のところ、それ以外に長い長い人生の退屈をしのぐための目標として適切なものがないのだ。
 そういうのを邪悪と呼ぶか心優しいと呼ぶかはその人の勝手である。もちろん僕はそんなこと人に話しやしないから、どうとも呼ばれない。自分でもどうとも思わない。

 とりあえず僕の会社とグループ企業で働く大量の人々によき雇用関係を提供したいと思う。あわよくば業界を改革してもっとたくさんの人の生活を向上させたい。それが今の僕を支える退屈しのぎのゲーム、僕を生かす重要な課題である。
 だから疫病自体は憎い。憎いのに、僕に毎日のスリルを提供しているのもまた、疫病なのである。
 感染症の流行がおさまって僕の会社が安定するといいと思う。でもそうしたら僕はどうなるのだろうとも思う。社長就任のニュースで年齢が強調される程度には若く、感染症に対するリスクが低いグループに分類される、やたら身体頑健な、だからきっとこの疫病で死ぬことのない、僕は。

 社員向けの年頭所感のライブ配信の原稿をチェックする。自分の作文ながらたいへんエモエモしい。そういうスピーチは得意なほうである。慰撫と鼓舞、共感と挑発。そんなのはもちろん茶番だ。でもみんな茶番が好きなのだ。誰にも予測できない困難の中、それでも勝つのだという演説。

 勝ったらどうなるのだろうと僕は思う。これ以上の困難はきっとない。今の会社を軌道に乗せたあと別の潰れそうな会社に雇ってもらったとしても、ここまでの嵐はきっと来ない。
 舌の裏が甘苦くなるような重圧。判断材料も時間も足りないまま迫れられる選択。「知るかバカ」と叫んで床にひっくりかえって暴れたくなるような予測不可能なできごと。僕はそのような困難たちを愛していて、そして今、思いもよらない相思相愛を得てしまった。永遠の愛を誓いたい。でも僕の相思相愛の相手は永遠ではないし、永遠であっては世界が救われないし、なんなら僕も救われない。

 疫病はいつか収束するだろう。僕の会社は劇的に回復するかあっけなく潰れるか、するだろう。そのときのことを、僕は意識して考えない。