傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

ええじゃないか2021

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。通達にはいくつかのレベルがあり、現在はそのもっとも強いやつが出ている。外国では最低限の外出以外を禁じるロックダウンもおこなわれたけれど、この国ではそういうことはない。よぶんな外出は控えて、夜に遊び歩かず、外で酒を飲まないように、という感じである。通勤電車はそれなりに混んでいるし、なによりオリンピックはやるというのだから、要するに「飲食店で酒を飲むな、夜に外で食事をするな」という内容の「協力依頼」である。
 最初はみんな神妙に言うことを聞いていた。でも事態が長引くにつれ、もうやっていられないという声も増えた。人々は寄り集まっておしゃべりをしたいし、ざわついた店で酒を飲みたい。「では八時には終業してアルコールは出さないでおきますね」という方針の店ばかりではなくなる。

 僕の家の近所に繁華街がある。疫病前からいつ行っても誰かが酒を飲んでいる。平日でも昼間でも飲んじゃう、そういう場所なのだ。やたらとテラス席(というか、壁にかこまれてないところに椅子とかビールケースをさかさまにしたやつが置いてある席)が多く、ラフで気楽な雰囲気の飲み屋街である。
 僕は物見高いので、しょっちゅうこの飲み屋街のようすを覗いている。飼い犬の散歩コースとしてちょうどいい距離なのだ。犬も僕に似て(?)野次馬なやつで、この散歩コースがわりと好きである。
 現在、この飲み屋街の多くの店は「自粛」をしていない。昼間っから夜中まで店があいている。酒をばんばん出す。五月くらいからぼつぼつ「23時まで営業 アルコール出します」みたいな貼り紙がではじめ、六月には貼り紙すらなくなって、当然のように通常営業をはじめた。
 僕と犬は飲み屋街に近づく。外から見るだにたいへんな混雑である。僕は物見高いが、感染リスクが高いことはしないので、先月から飲み屋街の中には入らず、様子だけ見ている。そもそも犬が歩けないほどみっしり人がいるのだ。
 もちろん僕自身が飲みに行く気になるような状況ではない。みんな肩寄せ合ってマスク外しておしゃべりしながらばんばん飲食している。アクリルボードを斜めにして隙間から顔を出してしゃべっている人さえいる。疫病前より大量の人がいる。歩いたら確実に誰かに接触する。他人の呼気を吸わずに通ることもまず不可能。
 人々は疫病前以上に高揚している。アルコールだけでなく、やくたいのないコミュニケーションそのものが彼らを酔わせているように見える。東京中からバチギレた老若男女が集まった感がある。感染リスクとかそういうのをぶん投げた人々の集団である。

 江戸時代の終わりに、と僕は言う。犬に向かって言う。要するにひとりごとを言う。
 「ええじゃないか」という現象があったんだ。民衆がええじゃないかええじゃないかと言いながら日常生活をぶん投げて踊り騒ぐ現象。世直しの運動だとか、いろいろな説があるようだけど、決まりごとをめちゃくちゃに破って騒いだら楽しくなっちゃったんだろうなと僕は思うよ。いろんな義務を放り出して集まって踊って、男が女の服を着たり女が男の服を着たり、裸みたいな格好したりして、そんなの楽しいよ絶対。決まりごとは破ったら気持ちいいもんなんだよ。
 じゃあなんでそれまでは決まりごとを守ってたかっていうと、守れば生きていかれたからです。江戸時代なら身分制度にしたがい、ムラにしたがい、イエにしたがい、それでもって生業をもらう。町人は町人の服を着て、男は男の服を着て生きる。お上の言うこと聞いていい子にしてないと遠からず野垂れ死ぬ。そういう世の中だったわけ。
 でも幕末にその箍が緩んだ。なにしろその直後に世の中がひっくり返るんだから、予兆はあるわけさ。決まりごとにしたがっていても今までどおりでない感じがしたら、したがうのを休みたくもなる。ほとんどの人間は革命なんか起こさない。めんどくせえしトクなことがないから。でも「言うこと聞いていい子にしていない連中のほうがトクしてるんじゃないか?」と思ったりはする。そういうときに決まりごとを破るのはものすごく気持ちいい。それが「ええじゃないか」ではないかというのが僕の仮説、というか妄想。わかるかい。

 犬はピスと鼻を鳴らす。わからないかい、と僕は言う。わかるわけがないのだ。帰ろうかと言うと犬はピコと腰を振ってきびすを返す。