傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

遠い薔薇の日々

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。それは何度か繰り返され、行動制限と呼ばれるようになった。先だってそのすべてが解除され、しかし感染状況は相変わらずなので、大勢が集まる場はなんとなく左右を見ながらぬるりと再開されている。
 私的な集まりが二人から三人、五人、八人と少しずつ大きくなり、勤務先でも三年ぶりに歓送迎会の開催が決まって、出身校の同窓会組織が数年に一度呼びかける集まりもいちおうは「非公式」として実施されることになった。

 彼と会うのは十年ぶりにもなるだろうか。疫病とは関係なく会っていなかったし、連絡も取っていなかった。そういう間柄ではないのだ。やあ、と彼は言った。首が少し前に出ている、と私は思った。大きな花が花瓶の中で弱っているような角度だった。
 私はSNSをやらない。他人のも見ない。特段の主義主張があってのことでなく、単に面倒なのである。だから彼の近況も知らなかったのだが、彼は「らしいね」と笑い、転職と結婚と離婚を一度ずつした、と簡潔に告げた。それからもう一度結婚する予定があると。
 人生だねと私が返すと、雑、と言ってまた彼は笑った。私は二十年前の彼を思い出した。十年前には少ししおれていたけれど、そのときにも私は、大輪の薔薇のような、と彼を形容したのだった。華やかで人目を引いて、何かを代表するときに選出されやすいタイプ。
 四十代になっても相変わらずそのような人だった。四十代なりのしょぼくれた感じを添加して、それでもなお目立つタイプ。いつだってよく似合う、その場に合った服装をして、相手に合わせた話題と話しかたと表情のつくりかたをして、少しだけ芝居がかった仕草の、すなわち過剰なほどに周囲を見ているタイプ。世界をコントロールしたいのかな、と私は思っていた。怖がりやで権力志向で、いくらか薄っぺらくて、だからこそとても感じのいい、大きい薔薇のような人。

 たしかかあのとき結婚したいと言っていたねと私は言った。そう、と彼は言った。マキノさんのことなんかきれいさっぱり忘れていたのに、顔を見たとたんにあのときの会話を思い出した、あのときはすごく結婚したかった、そして実際したらなんだかいやになってしまった、人生ってこんなものかって思った、すごくつまらなくなった、思い描いていたとおりの人と結婚したのにね。
 それで浮気したんだあ、と私は言う。誰から聞いたんだと彼は尋ね、想像だよと私はこたえた。いや、想像というほどのものでもない、典型をなぞっただけ、私があなたみたいな男だったらそうする、共働きでそれなりの収入があって家のこと全部やってくれてみんながきれいと言うような女性と結婚して、そのうえで面倒なこと言わずに自分をじっと待っていてくれる別の女の子と浮気する。
 彼は火がついたように笑って、そうした、とこたえた。

 アルコールのほうはいかがですか、と私は尋ねる。十年近く前の彼は大量に飲んでいた。ほどほど、と彼はこたえ、手の中のグラスを揺らした。あんな生活は長く続けるものじゃない、少し前に転職してワークライフバランスを整えて、健康に生きてる。スーパーハードワークが楽しいのは体力があって他を圧倒できる期間だけだよ、この年齢になって僕の前の会社に残るのは経営側に回る人間くらいのものだよ。
 そういうものなんだ、と私は言う。そして思う。その途中で身体を壊す割合はどのくらいなんだろう。でも言わない。彼はそうでなかったのだろうから。
 自分はもっともっとやれるはずだ、いい目を見られるはずだという期待に基づく焦燥感を、きっと彼は持っていた。自分は特別な人間だと、そうでなければならないのだと、大人になっても思っていた。そういう人間でなければ、たとえ彼と同じような能力と容姿をそなえていても、薔薇のように振る舞うことはできない。

 酒と薔薇の日々、と私は言う。まさに、と彼は笑う。僕はもう週末にしか飲まないし、もちろん薔薇なんかじゃない。くたびれたバツイチのおじさんで、浮気相手とはもちろん違う人と地味な再婚をして、しょぼくれて暮らすんだ。
 私はほほえむ。それはどうかな、と思う。薔薇であることを辞めるのはそんなに簡単なことじゃない。何かを麻痺させるための薬のような手段をいくつも持っていた人間がそのすべてを手放すことはそれほど簡単ではない。それが証拠に彼をご覧、まだ薔薇のような男じゃないか。
 そう思う。でも言わない。