傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

羽鳥先生の静かな正月

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。それ以来、盆正月恒例の集まりは基本的にオンライン、ときどき対面というぐあいになった。
 恒例の集まり、といっても親戚づきあいではない。大学の先輩後輩三名の集まりである。同業で気心知れていて職場が別なので、情報交換に適した人選なのだと思う。いつかの集まりで僕がそう言うと、メンバーのひとりから「ただ友だちなだけでは?」と言われた。そうかもしれなかった。
 ただ友だちなだけで盆正月に会うのはおかしいと言われたことはあった。電話をかけてきて帰省の日程を尋ねた母に「その日はこういう予定があるので」とこたえたらそう言われたのだった。僕は自分の振る舞いが一般的でないと自覚しているので、「わかりました」とこたえた。そうしてそれ以来よその人に盆正月の予定を訊かれたときには「その日は仕事の都合で」と答えている。

 僕の帰省は半ば以上、弟のためにしていることである。
 僕は故郷に帰りたいという欲求を持っていない。地元の友だちもいない(そもそも友だちが一桁しかいない)。愛着というようなものがもしもあるとするのなら、東京の一人暮らしのマンションと、長く勤めている職場にある。でもそれもたいした愛着ではないように思う。
 両親や弟と仲が悪いのではないが、だからといって毎年会いたいかと言われればそうではない。同じ家に住んでいたときから、その感覚は変わらない。たぶん生まれつきそばに人がいることがあんまり好きじゃないのである。もちろん誰かと家族になりたいという欲求もない。四十代半ばの今まで一度もそう思ったことがない。なんならマンションの隣の部屋に知らない人がいるのがうっすらストレスである。だから常に角部屋を借りている。
 正月の帰省は親戚が集まる日に合わせている。僕の生家は交通の便のよい場所にあるので、昼前に着いてその日の最後の新幹線で帰る。そうすればよその家(実家だが、感覚として)に泊まらなくてよい。最終に間に合わないときはホテルを取る。

 弟は僕とは違う。友達がたくさんいる。地元の大学を出て地元の優良企業に就職して三十手前で結婚して子どもを二人持ち、実家からほどよい距離に家を建てて住宅ローンを繰り上げ返済している。
 すごい。僕はそういうのぜったいできない。
 十年ほど前、僕がそう言うと、弟は苦笑した。兄貴はねえ、できないというか、やりたくない、そしてやたくないことが絶対にできない、そういうタイプ。殺すって脅されたら少しは俺みたいな人生ルートをやれるかもわからないけど、うーん、できなくて死ぬかも。でもいいじゃないか。兄貴は立派だよ。たまに親に息子自慢をさせてあげてくれたら、あとはこっちのことは何もしなくていいよ。なに、兄貴にはたいした肩書きがあるから、多少変人でも、正月に顔を見せるだけで「立派に育った」「あの子は昔から秀才でお行儀がよくて」ということになるから。
 弟がそのように言ってくれなければ、僕は親戚の中での自分の立ち位置さえわからないのだった。
 そんなわけで僕は談笑(としてパターン化した行為)をしながらご馳走を食べているふりをする。食べたくないときに食べることは嫌いなのでふりである。酒は飲みたくないので飲まない。ときどき酒食を強要されそうになるので台所に逃げて皿を洗う。以前は男が台所に来るなと伯母に叱られたものだが、今はなあなあである。
 幼い親戚のひとりが大きな声で電車のアナウンスを再現しながら歩き回る。その子の母親が慌てて彼を連れて部屋を出る。僕の隣の伯父がつぶやく。あいつ治ってないんだな、頭がおかしいのが。

 頭がおかしいのではない。状況のランダムさに耐えられなくなると、自分が好きで知っているものを再生して安心したくなるのだ。とても人間らしい心のはたらきだと思う。僕は黙って窓の外を見て通り過ぎる車のナンバープレートの数字を足し算していたから、誰も問題にしなかっただけだ。
 伯父さん、と僕は言った。ああいうくせは僕にもありましたよ。そんなにおかしなことではないです。まわりの人がびっくりしないように振る舞う訓練をしているところだと思いますよ。頭はおかしくないです。
 叔父が僕を見る。どう答えようか考えているようだ。僕はもう一度、今度はちょっと気弱な子どものころみたいな気持ちで、言う。頭がおかしくはないです、伯父さん。

 帰省の翌日は例の先輩後輩との集まりだった。今年はオンラインである。その中で「こんなことがあった」と話すと、彼らは手放しで僕を絶賛した。まあ、褒めてくれると思って話したんだけど。