傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

意味づけられたコーヒー

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのために盆正月にいつも集まる友人たちとの会合もこのたびはZoomである。
 盆正月に集まる相手は多くが親戚や故郷に残った幼友だちだろう。しかしわたしはなぜか大学のときの友人四人で集まる。全員同業種で勤務先はばらばら、なんとなし馬が合うがしょっちゅう飲みに行くような感じではない。それで盆正月になると寄り集まってやくたいもないおしゃべりをし、仕事に役に立つようなそうでもないような情報を交換し、またやくたいもないおしゃべりに戻る、そういう時間を過ごすのである。

 そうだマキノさんコーヒー買ってよコーヒーと友人が言う。わたしたちの仕事にコーヒーは関係ない。ただしわたしはコーヒーが好きである。あのねと彼は言う。あのねえ僕の下の娘には障害があるでしょう、だからねえ沖縄のコーヒー農園の人と障害者支援団体の人と組んで社会起業的なアレをはじめたんだ、趣味で。名前言うからぐぐって。ついでにSEOができてるかチェックしてほしい。

 この男は昔から「趣味で」と言えばたいていの理不尽が通ると思っている。アレとはなんだ。あと「だから」の使い方がおかしい。

 友人は言う。提携してる農園のコーヒーはおいしいけど、そこいらにいくらでもある程度のおいしさでしかない。それに意味づけをしてあげた。今はやりのストーリー付随商品。親しみやすくて意義がある、偉そうすぎずちょっと上等、エモくて未来っぽい感じする、家族や友だちに話したくなる、そういう意味づけがうまくいった。ばりばり売れてる。
 どうせコーヒー買うなら「障害者支援のためになる」と思いながら買うほうが気分がいいでしょ、実際なってるから遠慮なくいい気分を味わってほしいわけよ。リピート買いして飽きるまで気分よくいてほしいよ。コーヒーの木を買えるコースもある、先週から募集をはじめたんだ、あなたのお名前をつけた札のコーヒーの木、心をこめてお世話してお写真お送りします。なんとこれがすでに十本売れた。百本売れてほしい。
 ボランティアは面倒、寄付はなんだか損な気がする、でも社会のさまざまな問題に無関心なのはおしゃれじゃない、今風じゃない、SDGsじゃない。手軽でなんかやった気になれてなおかつ損してない感じでいたい、生活の中でそれを感じていたい、自分の生活や支出は変えずに。そういう需要を満たす素敵な商品なんだよ。
 売れてるんで増産かけたんだ。みんなの美しい心にありがとう。そんで予約完売になるとかっこいいからマキノさんも買ってほしい。たくさん買っていただいた場合には適度な間隔をあけてご自宅に届きます。スタッフの心のこもった直筆のお手紙つき。あ、マキノさんはそういうのいらないよね、「この人の分はさぼっていいです」ってスタッフに言っておく。

 要するにこの友人はわたしが知らないあいだに副業社会起業家になっていたのだ。理念も行動も立派である。Zoomにうつっているのは人のよさそうな笑顔だ。それなのに邪悪に見える。昔から、なんというか人としての存在の根幹がうさんくさいのだ、こいつは。

 僕ねえと友人は言う。よくしゃべる男なのである。
 僕ねえそのうちこういう社会的な意味のある商品を使っていないやつはださいっていう感じに持って行きたいんだ。「障害者支援のためになるコーヒーや砂漠の緑化のためになるコーヒーがあるのに、同じ値段だしてグローバル企業の金儲けのためだけのコーヒーを飲んでるんだ?」みたいな感じに。「それってどういう感覚なの? 自分にはちょっとわからない」っていうふうにさ。
 ねえみんなださくなるのが嫌いだよ。僕はださいのぜんぜん気にならないからださく生きてて、そしてだささの基準をひっくり返そうと思うよ。マキノさんもそうでしょ、ださいって言われても平気でしょ、そういう人じゃないと「だささ変革」ができないんだよ、既存のかっこよさに乗っかる方向で生きてきた人にはできない。だから僕らで世界を変えようよ。とりあえず五千円分買ってくれ。もちろん一万円分でもいい。ちなみに○○さんは一万円分買ってくれた。

 わたしは思わず笑ってしまう。何が「世界を変える」だ。五千円分(あわよくば一万円分)買ってほしいだけじゃないか。わたしは彼のせりふの途中でとうに彼の副業企業のネットショップにアクセスして、一万円分買っている。