傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

ナナフシとモブと圧倒的美人

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのために弟は帰省を自粛していて、今年はじめて、お盆の時期は避けて両親の住む家に戻ってきた。わたしは両親と同じ関東に住んでいるから何度かこっそり帰省していて、だから両親とはさほど久しぶりではないのだけれど、弟の顔をじかに見るのは三年ぶりのことである。
 とはいえとうに成人したきょうだいだ。そんなに気合いを入れて会ったりはしない。わたしは仕事の都合を優先し、弟が来た次の日の夜中に両親の家に着いた。
 母がわたしを出迎え、弟の名を口にして、あの子いまジョギングしてるわよと言った。そんなに意識の高い子だっただろうか。わたしの知るかぎり、高校の部活を引退して以来、とくに運動をしない怠惰な大学生活を送り、そのまま怠惰な社会人生活を送っているはずなのだが。

 弟はジョギングのあと風呂に直行した(そのような物音がした)。そうして出てくるなりクワアアア、と鴨みたいな声を出しながら冷蔵庫の中のハトムギ化粧水を出してばしゃばしゃつけた。化粧水を冷やすのは我が家の伝統である。
 弟はダイニングテーブルにかけてがばがば水を飲み、もう一度立ち上がってエアコンのリモコンを操作し、それからわたしの顔を見て、よ、と言った。よ、とわたしもこたえた。まだ暑いのにジョギングとは感心なことだねえ、蒸し煮みたくなってるじゃん。わたしがそう言うと弟はわたしを眺めまわし、ねーちゃんは疫病下でも変わんないのな、と言った。俺は太ったの。リモートワークで太ったの。だからいやいや運動してんの。

 両親もわたしも中背で、どちらかといえば痩せ型だが、弟はさらに長身細身で手足が長い。ナナフシみたいである。子どものころはカトンボみたいだった。わたしは言った。太ったなんてよかったじゃん。美容上あきらかにそっちのほうが一般受けするって。もっと太って鍛えたらモテるよ。
 弟は水を大量に飲んだあとビール缶を取り出し、わたしにもひとつくれた。それから言った。美しくなりたいとかモテたいとかの目的で走るんじゃないんだよ。なんていうかこれは、アイデンティティの問題なんですよ。

 アラサーまでこの形で俺は生きてきたわけよ。アラサーっていうか、あとちょっとでサーだよ。すでに「これが俺である」という感覚ががっちりある。ナナフシ体型が自分の身体だという感覚がある。だからできるだけキープしたい。ナナフシよりいいものがあったとしても。
 顔にしてもそう。この特徴のない、マンガのモブのような顔を、俺はけっこう気に入ってる。今からイケメン俳優みたいにしてやるって言われてもたぶんやめておく。この無害そうな、いかにもそこいらにいそうな顔を前提として他人とコミュニケーションを取るやりかたが身についていて、イケメンコミュニケーションをやれる気がしない。イケメンアイデンティティを構築しなおす気になれない。そんなの俺じゃないって思う。
 わかる? ねーちゃんはそういうのあんまわかんないか。

 弟は言い、わたしは考える。
 そう、わたしは実はそういうのはよくわからない。わたしも弟と同じく、きわめて特徴の少ない顔をしている。淡泊で特段に醜くも美しくもない。そしてわたしはその顔にあれこれ塗って変えるのが好きである。同じ顔でいると飽きるのだ。そういう意味では自分のあっけない顔は気に入っている。塗ればいろいろな方向に特徴を出せるから。
 三十何年も同じ顔見てたら、鏡を見て「また君か」って思わない? わたしは思う。だから何通りもの化粧顔を作る。容姿にアイデンティティを感じるかといわれると、あんまり感じない。明日になったら犬とか蛇とかの姿になっていたらさぞ楽しかろうと思う。

 あんまわかんないけど、あんたの感覚はヘルシーでいいと思うよ。わたしはそう言う。わたしは、顔を変えるのが好きだから、化粧趣味の仲間がいるんだけど、彼女たちの中には容姿の向上に過度な労力をかけているように見える人がいてさ、まあ趣味にどれだけ力を入れるかは人の自由だけども、本人がしんどそうで、病的に見えるケースもあるのよ。つまり「飛び抜けた絶対的な美人にならなければならない」という信念というか観念があって、そして「美人」の基準がただひとつに定まっているようなケースがさ。
 なるほど、と弟は言う。ねーちゃんほどずうずうしいのもあれだけど、気にしすぎるのもなあ。女の人は周囲から容姿をあれこれ言われるから、言われたことを気にするまじめな人がそうなるんだろうな。そろそろ男でもそういう人が増えるかもわからない。