傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

向上心の範疇

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのために人と気軽に会う機会がぐんと減り、代わりにインターネット上でのコミュニケーションが活発になった。たとえば学生時代のサークルのグループLINEがそうである。
 以前はたいていしんとしていて、誰かの節目にメッセージが飛び交い、またしんとするという、なかなか良いものだった。つまり、煩わしくなかった。わたしのようなずぼらな人間は何も発信しなくていいし、返信もてきとうでかまわないし、しちめんどくさいSNSをやらなくても誰かの節目を知ってお祝いに参加することができるのだ。グループ経由で個人あての連絡が来れば「マルチ商法とかかな」と思っててきとうにかわせばよかった。

 それがこの疫病下の二年ではぽつりぽつりと連絡が来る。必ずしもマルチ商法じゃないやつが来る。わたしとて相手によっては旧交を温めるにやぶさかではないのだが、たいていはぴんとこない相手から来る。
 近ごろ未読スルーにしているのはそのような連絡のひとつである。何か害のあることを言われたのではない。ただの情報共有、だそうである。でもその背後にあるものがわたしにはどうも受けつけない。なんというか、彼女の(学年がひとつ上の同性の先輩である)「向上心」がわたしには快く思われないのだ。

 彼女はもともとファッションや美容に関心の深い人だった。飲み会の当たり障りのない話題としてわたしも乗っかっていたように思う。アドバイスのようなことを言われて、「さすがです」というような返事をしたこともあったように思う。
 しかしわたしとてもう四十である。卒業後だれかの結婚式の二次会でしか会っていない先輩からファッションについての情報をもらう必要はない。しかし彼女は熱心にわたしに「向上」を勧めるのである。
 わたしと疫病以降に会った友人がSNSにわたしと撮った写真を投稿して、先輩はそれを見たのだそうだ。そして「あきらめないで」と言うのである。彼女はわたしの容姿の変化がいたく気になるようなのだ。具体的に言うとわたしが太ったことに同情しているようなのである。
 学生時代、わたしはガリガリだった。子どものころからそうで、食欲旺盛なのに背ばかりひょろひょろ伸びて太れなかったのだ。夢はでかい胸をばーんと張ってセクシーな服を着ることだった。年をとって少し太って妊娠して胸のサイズが変わったときには大喜びで部屋の中でひとりでビキニを着てグラビアアイドルポーズの写真を撮った。なんなら第二子のときもやった。夫や友人に見せたら、みなアルカイックスマイルを浮かべ「よかったね」と言った。
 そのようなわたしが中年になってもう一段階太った。人並みのサイズになった。わたしはそれがかなり気に入った。肌がかさかさしないのでメイクも楽しい。疫病下で出かける機会も少ないのにしょっちゅう服を買っている。

 しかし先輩は「シンデレラ体重だったのに」と言う(LINEで)。「あなたと身長が近くてあなたと同じイエベ春骨格ウェーブの美容系YouTuberがいます」「この人はボディメイクの詳細を公開しているので、ぜひ見てね」「食事もワークアウトも参考になると思う」と言う。
 わたしは肌だの骨だのをタイプわけすることに関心がない。そういうのが好きな人はやったらいい。でも自分が他人からあれこれ決められるのは好きではない(しかもみんなバラバラのこと言う。どうでもよさにもほどがある)。シンデレラ体重とかも心の底からどうでもいい。そもそも人の体重をどこで知ったのか。見て判断したのか。しかも覚えてるのか。対面したのはだいぶ前で、しかも大勢でなのに。ちょっと怖いんですけど。
 彼女にとって身体は常に向上させるべきものであるらしく、そしてその「向上」には明確な指標があり、お手本があり、そのとおりにすると同じような仕上がりになるものらしい。
 わたしにとってはそうではない。
 彼女はそのことを理解しない。「いやわたしそういうのいいんで」とはっきり返信したのに、返ってきたのは「あきらめないで」である。わたしがあきらめたいのはあなたとの関係である、と言いたい。

 でも言わない。放っておけばいいやと思う。
 「向上心」はご自身にだけ向けてもらいたい。その「向上」はわたしの向上ではない。わたしの容姿はあなたの価値判断のもとにない。そう思う。でも言わない。めんどくさいから。