傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

両親との密会

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。帰省はよぶんであるということになっているようだ。オンラインでやる、というのが現在の「正解」と目されている。

 もちろんオンラインでも両親と話をしている。わたしの父親は幸いテクノロジーに比較的明るいのだ。しかし、オンラインはオンラインにすぎない。わたしは親と情報交換をするために帰省しているのではない。情愛の交換のために帰省しているのである。わたしの娘は両親の孫で、娘がいると両親はあきらかに元気になるし。
 しかしわたしは帰省できない。わたしの故郷は高知市内である。県庁所在地だ。中核都市だ。前近代的な風習の残る謎の孤島とかではない。ふだんの生活はわたしが今住んでいる東京とさして変わらない。
 しかし、現在の生活は「ふだんの生活」ではない。飲食店の営業時間は短く、旅行が推奨されない場合とされる場合がくるくると入れ替わり、そして、「新しいふだんの生活」を作りあげたともいえない。みんなうっすらと左右を見渡して行動している。
 両親は言う。画面の向こうから言う。こちらでは東京や大阪から娘が来たりなんかしたらあとで何を言われるかわかったものじゃないんだ。不合理だけどね。合理性というのは、こういう事態では役に立たないんだ。おまえがレンタカーを借りてうちまで来てもだめだ。お父さんはおかしいと思うが。お母さんもおかしいと思ってるわよ。もちろん人には言わないけどね。そうそう、他人には言いやしないが。ともかくね、こちらに来るのはやめなさい。近隣で患者が出たらあっというまに「あの家のせいだ」ということになる。

 両親の話が正しければ、東京在住在勤のわたしあたりは病原体を移植したシャーレみたいな扱いをされそうである。そう思われてまで帰省する気にはなれない。もちろん両親が東京に出入りしてもだめ、飛行機に乗るのもだめ。両親のその後の地域での暮らし向きに著しい悪影響をおよぼす。なんなら市内で美容院をやっている従弟の敬一くんにも迷惑がかかるかもしれない。敬一くんの弟の江利ちゃんの、小学生の子どもにも。
 ああもう、ストレス、ストレス、ストレス。わたしはそのようにつぶやき、夜中のリビングをうろうろ歩く。飼い猫のコムギが醒めた目でわたしをちらと見る。

 わたしは考える。そしてひらめく。高知からどこまでなら行っても問題なさそうかリサーチしてくれと両親にたのむ。ほどよいエリアを割り出す。現在は東京外の居住者の東京外への旅行はむしろ推奨されている(ほんとうに謎である)。わたしはそのエリアの貸別荘を予約し、両親に「ちょっとした旅行」をプレゼントする。両親は用心して自家用車で出かける。わたしの父は運転免許を返上したが、母は車の運転ができる。長距離だからこまめに休憩をとるようにと、わたしは何度も彼らに言う。
 もちろんその貸別荘にはわたしとわたしの娘も行くのである。行くのだけれど、両親はそれを近所の人に言う必要がない。留守を見とがめられたら、「娘が○○への旅行をプレゼントしてくれて、夫婦で行ってきた」と言えばいいのだ。嘘ではない。土産物だって買っていく。ご近所に対して完璧な演技をする。わたしの両親はそのへんは上手にやれるタイプである。

 さあ、わたしは相変わらず、病原体を移植したシャーレのような悪だろうか? そうかもしれない。このままようすを見ていたら下手すると両親が孫(わたしの娘)に会えないまま死ぬ。わたしはそれがいやだった。もちろんわたしだってお父さんとお母さんに会いたかった。
 だって、わたしのお父さんとお母さんだよ。わたしはもういい大人だけれど、そんなこととは関係なく、ふたりの前では娘なんだ。どうして会ってはいけないの。お父さんとお母さんはおじいさんとおばあさんで、今は元気だけれど、元気といっても老人の元気にすぎなくて、あした死んじゃうかもしれないんだよ。わたしがお父さんとお母さんに会えないままふたりが死んじゃっても、みんなは「オンラインで『帰省』していたんだからいいだろう」と言うの? どうしてそんなこと言えるの?

 どうしてかは知っている。いやというほど理解している。だからわたしは、ばれたら叱られるかもしれないことをする。ロミオとジュリエットみたいに両親と密会する。夫のほかには誰にも言わず、助手席に娘を乗せて、レンタカーを走らせる。