傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

サイコパス矢島の結婚

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。それ以来はじめて知人が結婚した。元部下の矢島である。
 ほんとはかちょーにスピーチしてもらいたいんですけど、と矢島は言う。この状況で身内以外式に呼べないんで。呼べたってスピーチはいやだよとわたしは言う。今の上司にしてもらいなさい、そういうのは。
 矢島はわたしをずっと「かちょー」と呼ぶ。わたしの肩書はすでに課長ではない。「あだ名です」と矢島は言う。

 そう言う矢島自身のあだ名は「サイコパス矢島」である。現在はカスタマーサポートの部署の管理職で、わたしがその部署の責任者に着任したときは若きエースパイロットといった立ち位置だった。通常のフローでは対応が難しいクレームを驚くべき速度でおさめる、いわば窓口最終兵器である。ならば部署の社員たちにさぞ慕われているのだろうと思ったら、あだ名がひどい。どうしてでしょうと訊いてみると、その社員はあながち冗談でないような影のさした横顔を見せ、矢島さんはいい人ですが、と言う。いい人ですが、人の心が一部欠損しているのです。
 そのふたつは両立するのですかとわたしは訊いた。するのです、とその社員は断言した。
 そのわけはしばらく同室で仕事をしてみてわかった。突然怒鳴る相手であろうと、不可解な理由で泣き続ける相手だろうと、矢島はまったく動揺しているように見えない。電話を切った直後に鼻歌まじりで別の仕事に戻る。義務感や虚勢でそうしているとも思われない。全体に軽薄な印象のままなのだ。
 多かれ少なかれ、怒号を浴びせられれば怒りや怖れを感じる。不可解な理由で泣きはじめる相手には混乱する。見知らぬ人に強い感情をぶつけられる負担は大きい。
 そもそも、ほとんどの顧客が礼儀正しく問い合わせをしてくるのに、カスタマーサポートは不人気部署なのだ。何らかの不満や不審をおぼえている人間を相手にしていると、たとえ相手が礼儀正しくても、対応する側は疲れるからである。ましてヘビークレームを一手に引き受けるとなると、人によっては退職ものである。
 それなのに矢島さんはなぜ平気に見えるのでしょうとわたしは尋ねた(当時はまだ「さん」をつけていた)。矢島は言った。まあべつに愉快じゃないですけど、会社としてやれることは決まってるんで、できないことはできませんって言えばいいだけなんで。あと顧客は僕のこと別に知らないんで、身の危険とかないじゃないですか。
 怒鳴られたらどう感じますか、とわたしは聞いた。矢島はぼけっとした顔で「怒鳴ってんなー」と思います、とこたえた。泣かれたら、と重ねると、「泣いてんなー」と思います、とこたえた。むかつくとかかわいそうとか、そういうのはないですか。そう尋ねると、ちょっと考えて、あります、と言った。でもみんなみたいじゃないと思います。それでダメージ食らうとかがちょっとわかんないんで。
 矢島さんは感情を同調する相手を選べるのかもしれないです、とわたしは言った。親しい人が泣けば動揺するけれど、知らない顧客が泣いても感情が巻き込まれない、それはある種の才能ですよ、矢島さん。
 矢島はかれ特有の、爽やかかつ胡散くさい笑顔を輝かせ、言った。ありがとうございます。ただ、僕は彼女が泣いてもそれほど動揺しないです。顧客のときよりは動揺していると思うけど。
 かくしてわたしは矢島のあだ名の所以を理解した。

 それから何年かが過ぎ、わたしはカスタマーサポート部署から離れたのだが、矢島からはその間三度にわたって「彼女にふられました」という主旨の話を聞いた。彼女たちの言い回しは異なれど理由はだいたい同じで、要するに彼のいわゆる共感のありかたが問題になるのである。具体的には「冷たい」「信頼しきれない」「けんかのしかたが理屈っぽすぎて自分とは合わない」だったと思う。疫病前の居酒屋で矢島はぐいぐい酒を飲み、かちょー僕は悲しいっすと言った。わたしが泣いていいよと言うとほんとうに少し泣いた。
 その矢島がついに結婚である。「デキ婚持ち込み大成功」とのせりふから、矢島がこのたびの女性と結婚し子をもうけたくて策を練ったと思われた。彼女いい人なんだろうねとわたしが言うと、いい人っす、と矢島は言った。なにしろけんかしてても泣きながら理詰めしてくるんです、いつも理屈が通じるんです、ていうか彼女のことサイコパス英里子って呼んでるんです。
 ああ彼はきっと同類を見つけたのだ、とわたしは思った。おめでとう。素晴らしいことだ。生まれてくる子どもが人並みの「共感」がほしいタイプだったときには近くに適した人がいるといいのだが。