傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

無害なケアのために

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのために多くの人が以前より家にいるようになった。するとよく聞こえるようになったのが「家族のお世話の負担が大きすぎてやっていられない」という声である。小中学生が登校できない時期には保護者が昼食を家で作らなければならなくなった。なんなら在宅で仕事をしながら子どもの相手をするのである。
 わたしには子どもがいないのだが、子どものいる友人たちから「今日のお昼どうしよう」とLINEが入ったりして、はたから見るだにたいへんそうだった。ちなみにわたしは「卵かけごはんにしよう」などと回答していた。卵かけごはんなら小学生でも自分で作れる。

 現在、子どもたちは登校している。それでも「お世話の負担が大きすぎてやっていられない」人はまだいる。同僚のひとりは、「家にいるときのお昼は自分でどうにかしてもらうようにお願いした」「ほんとうは自分でお昼を食べたあと、お皿も洗ってほしいんだけど、それはまだやってくれない」と言う。
 在宅ワークの最中に夫の世話までしていたらそりゃあやっていられないだろう。そもそもその夫はどうなのだ、とわたしは思う。思うけど言わない。その場には社内で有名な男性の先輩がいたからである。なぜ有名かといえば、自分の家族の食生活を一手に引き受けているのである。料理が上手なだけでなく、とにかくマメな人で、出社時にしょっちゅう弁当を持ってくる。もちろん妻子の分も一緒に作っている。というか、子どもの弁当のついでに自分と妻の分を作っているのだという。
 わたしは先輩が「男だからといって料理のひとつもせず妻にやらせっぱなしとはなにごとか」というようなことを言ってくれると思って待った。すると先輩は意外なことを言った。
 その旦那さんは、家族の世話をしないで、お世話されるだけがいいのかな。どうしてだろう。世話すると気持ちいいのに。

 先輩のことばの意味がわからなかったので、場所を変えて先輩の話を聞いた。
 先輩が世話好きなのは昔からだそうである。そういう男はたまにいますよと先輩は言う。自分の父親がそうだったとか、逆に父親を反面教師にしてとか、いろいろ言うけど、なんでかは正確にはわからない。おれは人の世話するといい気分になるから、だからしてる。学生の時は予備校で働いていて、経済的にはそれでOKだったんだけど、小学生の家庭教師も必ず入れていた。子どもの面倒を見たくてさ。
 だって、子どもは、弱くてかわいいだろう。そういうのに頼られるのはいい気分じゃないか。おれの場合はほら、男だから、「男の人なのにすごい」なんて加点されちゃったりして、余計おいしいんだよな。はは、ずるいよね、女の人は当たり前みたいにやっているのにね。
 最近、息子が大きくなってきてあんまり手がかからなくなって、ちょっと退屈なんだ。もうあんまり弱くないからさ。
 そういうのってあんまりいいものじゃないよ。ちょっと間違うと恐ろしいことになると思うよ。
 うん、間違いそうになったこと、ある。
 妻が一時期具合を悪くして働けなくなったんだよね。家のこともそんなにはできない。そのときおれがどう思ったかっていうと、もちろん心配したけど、どこかで「やった」と思った。妻は大人でおれがいなくても基本的に平気なんだ。でも具合が悪くなったら、そうじゃなくなった。
 だからおれは言ったんだ。しばらく何もしなくていいって。家のことも子どものこともおれがぜんぶやるよって。フレックス勤務をフル活用すればいける、カネだって普通に暮らしていくぶんにはおれの給料だけでいける、って。
 妻はこうこたえた。わたしはそんなこと望んでない。わたしが望んでいないことを、どうして嬉しそうに、してあげるって言うの。

 うん、ばれてた。おれが愛情からお世話してるんじゃないってこと。弱いものを自分の思い通りにするのが気持ちよくて気持ちよくて、だからやってるんだってこと。
 愛情ベースでお世話するなら妻が望んだことをするだろう。やれることはやりたいというのが妻の望みで、でもおれはそれを無視した。ぜんぶおれがやってあげて、そのうちおれがいないと何もできない人間になればいいとどこかで思ってた。そういう幻想に酔っていて、そんなのがばれないわけはない。
 おれは自分がそういう人間だと知っている。だから気をつけてる。気をつけてるけど、でもさ、やっぱり、二人目がほしかったな、子どもは大きくなっちゃうし、妻はまだ元気なんだもんな。