傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

わたしたちはお呪いをする

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。それから半年が経過し、わたしたちはみな、おまじないをやって暮らすようになった。

 わたしは歩く。マスクをつけて歩く。わたしが住んでいる住宅地は休日でも人通りが少ない。駅前に出るまで誰ともすれ違わないこともある。それでもわたしはマスクをつけている。
 疫病の流行当初はマスクを持ち歩いて遠くから人が来たらすれ違う前にかけるようにしていた。でも今は二メートルどころか三メートル離れていても「マスクをしていない」というだけで駆け寄って行く手を塞ぐ不審者が出たということで、近隣の警察署から注意喚起が流れている。自転車の後ろに乗せた子どもがマスクを外していたという理由で自転車の前輪に傘を突っ込まれる事案も発生したとのことである。
 だからわたしは家を出る前にマスクをする。誰ともすれ違わなくても、マスクを外さない。

 スーパーマーケットで買い物をする。スーパーマーケットの店員さんはゴム手袋をしている。この店の店員さんは勤務の長い人が多くて、決まった時間に行くと決まった人がいるから、ときどき話をしたりもする。
 そんな店員さんのひとりはレジ作業でゴム手袋をするようになった当初、「意味がない」と言っていた。「だって、手袋をつけっぱなしでいろんなお客さんと対面するのでしょ、たとえばわたしが気づかないうちに例の病気になっていて、飛沫でお客さんに感染するとしたらね、つけっぱなしの手袋に飛沫がついて、それで感染するのでしょ、素手をこまめに洗ったほうがよほど安全でしょう」と。
 わたしだって素手をこまめに洗ってもらったほうが安心である。でもみんなゴム手袋をする。外しているとクレームが来るのだそうである。

 服の量販店で買い物をする。入り口には体温計がある。その表示によればわたしの体温は三十五度ないということである。自宅ではかると三十六度台だ。どうやら低く出るのである。そもそも無症状なら体温は変わらない。
 お客の中にはマスクなしでマウスシールドをしている人がいる。マスクの代わりになるものではないのだが、テレビ番組に出ている芸能人がしているから、あれでいいのだと思っている人がけっこういるのだと聞いた。そういうものなのだろうか。テレビは撮影のためにやむを得ずリスクを承知の上でマウスシールドを使っているのではないかとわたしは思うのだが。

 近所のレストランで食事をする。政府の要請でラストオーダー19時、閉店20時である。ラストオーダー間近、カウンターががら空きなのを見た上ですべりこんだので、メインとして頼みたかったラムチョップは持ち帰りにしてもらう。
 ここのシェフもわたしの顔見知りである。閉店が早くなって安全になりましたかとわたしは尋ねる。そんなわけないですよとシェフは笑う。距離をとってマスクの外の目だけで笑いを表現することに慣れたような笑顔だ。
 これだけすいていれば昼でも夜でも安全ですよ。夜だけウイルスが活性化するなんてことはないでしょう。この事態になってから通し営業にして夜はやく閉めているんですが、昼のほうがお客さんが多いです。日があるうちは襲われないみたいな、気持ちの問題ですかね。
 僕の両親なんて、親戚の集まりに出ましたからね。僕は断りました。大勢で飲食したら危ないから。でも親は怒るんですよ。他人じゃないのだからといって。他人じゃなくてもかかるのにね。でも僕は黙って叱られました。親がかわいそうで。
 わたしの母もです、とわたしは言う。布マスクをたくさん縫って送ってくるのです。お友達にあげなさいと言うのです。でももう医学的に有効なタイプのマスクが安く大量に手に入るじゃないですか。好みの見た目のマスクがほしかったらそれはそれで選択肢があるし。
 でも母はマスクを縫っていれば自分がこの世界で役に立っていると思えるんです。だからわたしはマスクを受け取るしかないんです。友達はもうみんな持っているからとは、言いますけど、「お母さんのしていることには意味がない」とは言えないんです。

 わたしたちはそのようにおまじないをする。おまじないをして清く正しく暮らしていれば疫病に襲われないのだと思っているみたいだ。疫病にかかるのは夜中に遊び歩いた人間であって、まじめに仕事をして遊びを控えていれば、そして正しくおまじないをしていれば、疫病で陽性になるはずがないと、まるでそう思っているみたいだ。

 でもそうではない。もちろん。