傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

寄るな触るな(感染症対策です)

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。疫病流行当初に一歳だったわたしの息子は二歳半になった。
 実のところわたしは、もちろん疫病はないほうがよかったが、疫病の流行がこの間に重なったことには少々の幸運を感じているのである。

 わたしは三十八歳のときに息子を生んだ。わたしにとってはじめての(予定としては最初で最後の)出産であり、友人たちの間では(今のところは)もっとも遅い出産だった。
 生まれたよーと報告すると彼女たちはいったん祝賀一色のメッセージをくれたが、少し経つとその毛色が変わってきた。高校時代の友人、大学時代の友人、職場でできた友人、趣味で知り合った友人、それぞれにつながりはなく、ひとりひとりバックグラウンドも性格も価値観も異なるのに、子のいる友人から届くメッセージには、なぜか共通したトーンがあるのだ。抜粋するとこんな感じ。

 ベビーカーはがんがん使え。無理にだっこして歩き回らなくていい。スキンシップは座った状態でできる。バウンサーとかも使え。
 母乳神話は神話にすぎない。完全ミルクも選択肢。
 成長曲線の範囲内におさまっていれば誰に何を言われても気にする必要はない。
 究極、死なせなければだいたいOK。
 家事をカネで解決するの超おすすめ。カネで時間を買うべし。
 市販のベビーフードは素晴らしい。
 他人からの「かわいそう」の語は心に入れるな。
 寝ろ。育児交代要員を用意して寝ろ。父親がめちゃくちゃ育児するタイプだとしても保育リソースを確保のこと。

 要するに、親業の先輩である友人たちはわたしに「楽をしろ」と口々に言ったのである。わたしはもともと「子どもを持ったからにはいい母親にならなくちゃ」みたいなまじめなタイプではないし、産んだあとも赤子に対して最大限のことをしてあげたいみたいな気持ちは芽生えなかった。ぼちぼち楽しくやっていこうな、くらいのテンションだった。
 だから友人たちの心配は杞憂だと思っていたのだが、ある日そうとも言い切れないことがわかった。歩いていたら息子をばっとのぞき込んで「かわいいわねえ母乳?ミルク?ちゃんと出てる?」と言う人がいたのである。
 出会って二秒で密着して早口で授乳状況を詰問。不審者である。わたしはすみやかに身をかわし(不審者が物理的にへばりつきそうだったので)、最寄りの交番に向かった。しかしよく考えたらせりふ自体は警察沙汰にするほどじゃなくて距離感が異常なだけだったので交番に行くのはやめた。でもさあ、怖くないですか、すれ違いざまにへばりついてきて母乳の分泌状況を詰問する初対面の赤の他人。
 その後わかったことだが、さすがにここまでの不審者はなかなかいないものの、赤ん坊を連れていると距離感がおかしくなる人や加害的になる人は少なからずいるのだった。頼まれてもいないアドバイスなんて数え切れないほど遭遇するし、とにかくいろんなことを否定される。
 こりゃ参っちゃう人もいるなとわたしは思った。しょっちゅう否定されたら自分のしていることにだんだん罪悪感を持つ人のほうが多いのではないか。なにしろジャッジしてくる連中の価値観は「母親は時間気力体力のすべてを育児に使え」という点で奇妙に一致しているのだ。

 タクシーに乗車して「奥さんに赤ちゃんできるようなことした旦那さんがうらやましい」などと言われた段階で、わたしは理解した。一方的なジャッジ、不要で不快なアドバイスセクシャルハラスメントに至るまで、産後やたら遭遇するようになったおかしな言動。その原因は、要するにわたしが「弱いから」である。
 赤子連れはめちゃ弱い。そしてこの世には弱い人間を選んでふだんから持っている「断罪したい」とか「セクハラしたい」とか、そういう欲求をかなえようとする人間がいるのだ。わたしは腹を立てて夜ごとノートパソコンをひらき、彼らの悪行を書き留めていた。夫はそれをデスノートと呼んだ。夫にはデスノートは必要なかった。赤ん坊を連れていてもわたしより弱そうじゃないからだ。けっ。

 そうしたところが疫病禍である。
 通行人が減った。物理的な接近は社会悪になった。居合わせた者に話しかけるのはよほどの理由があるときだけという合意が形成された。そしてわたしは「弱そうに見える」期間のかなりの時間をきわめて快適に過ごした。
 疫病の感染者数はずいぶん減った。めでたいことである。そうして「感染症対策です」と言えるあいだに、この社会の隅々にまで、他人同士の適切な距離感というものを定着させたいものである。