傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

人間でない男

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのために友人たちとの集まりも控えていたのだが、近ごろは「いくらなんでももういいだろう」という雰囲気である。疫病以来の帰省、疫病以来の再会、疫病以来の帰国といった話がよく耳に入る。
 そんなわけで疫病前は毎年会っていた高校の同級生たちと再会した。皆でお弁当を食べていた仲である。
 四十代になっても人生は変化するものらしく、転職したとか、子どもができたとか、彼氏ができたとか、近況報告だけでずいぶん盛り上がった。それが一段落して、娘さんは元気と訊かれた友人が持ち出したのが、ホストの話だった。自分の子どもの同級生がホストに入れあげていてたいそう驚いた、という話である。

 この友人はなにしろまっすぐな人間である。この世には正義があると思っているし、愛は素晴らしいと思っているし、人間同士はわかりあえると思っている。そんなだから、「十代の子どもがホストに行きたいという気持ちについて、同世代の娘の解説を受けてあれこれ考えたところ、そういうこともあるかもしれないと思った」などと言うのだった。
 誰かが「いや大人がその気持ちをわかると思ったらいけないでしょう」と言う。そうするとみんながホストの話をはじめる。「一度行ってみたい」とか「ぜんぜん興味ない」とか「行ってみたけどつまらなかった」とか、やいやい言う。
 行ったことないけどぜったいに行かない、とひとりが強く言う。みんなが彼女を見る。彼女は言う。
 わたしはベタな少女マンガみたいなロマンティックが好きなんだ、自分でわかってるんだ、お姫さま扱いされたらコロっと落ちる。ありふれた営業のせりふを聞いて「自分を見いだしてもらった」「特別な言葉をもらった」とうっとりする。そして定期預金を崩す。自分でわかってるんだ。だからぜったいホストなんか行かない。定期預金のために。

 わたしはびっくりした。わたしは生まれてこのかた、ベタな恋愛ものの少女マンガの主人公の気持ちがわからない。マンガのお話を面白く読みながらも「主人公はどうしてこんな男が好きなんだろうなあ」と思う。だって、そういう男って、基本いばってるじゃん。「おまえ」とか言うじゃん。言えばいいこと言わないみたいなコミュ障でもあるじゃん。壁ドンとかぜったい無理。
 でもそれは、マンガの中では「かっこいい」ということになっているのだった。現実ではそうでないのかといえば、そんなこともなく、たとえば客商売で似た様式が提供され、一部の女性に好評を博しているようなものでもあるのだ。

 だって、いばるのに、とわたしは言う。いばってお金取る人の何がいいの。

 彼女はわたしを見て笑う。あなたはピュアだねと言う。あのね、ここで言う「男」は、えっと、「女」でもいいんだけど、とにかく、そういう対象は、人ではないの。神さまとか妖精とか、そういうのなの。一部の人間にはきれいな人間のなりをした自分向けの上位存在を求める機能がインストールされているの。妖精にかどわかされたいの。神さまに見つけ出されたいの。美しいものに特別な価値を与えてほしいの。
 わたしの夫は人間ですよ。彼女は言う。人間だからかっこ悪いところもあるし、ていうか普通のおじさんだし、だからもちろんいばらないほうがいいし、皿を洗ってくれたほうがいい。ほつれたパジャマを着て口あけて寝ててもいい。でもね、そういうのはわたしにはロマンティックじゃない。ロマンティックを経由してそこに行けたらいちばんよかったんだろうけど、わたしにはそれは来なかった。
 来なかったことにいまだに未練があるから、お金めあてのつまらないテンプレートにでも引っかかる自信がある。そりゃあもう、頭がぼーっとしてふわーっとお金出しちゃう自信がある。だから行かないの。

 残りのみんなは「最近のホストにはさまざまな営業形態があるらしい」という話に移行していた。
 わたしはそれを片耳で聞きながら彼女の顔を見た。ピュアなのはわたしではなく、この人じゃないかしらと思った。恋愛沙汰やパートナーシップの相手が最初から人間でしかないわたしが見たことのない美しい神さまの夢を見て、いまだにそれをうしなっていない。
 わたしがそのように言うと、彼女は苦笑してこたえた。人間に人間じゃない役割を求めるなんて、ぜんぜんピュアじゃないよ。そのうえ定期預金のほうがずっと大事なんだから。