傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

コスパのいい結婚

 そういえば結婚してないんだよね。
 尋ねられたのでそうだよとこたえる。こうした質問は三十代ではよく受けたが、四十代になるとかえって新鮮である。わたしに質問した知人は、他人の結婚式の二次会という場だから「こういう質問もOK」という気分になっているのかもしれなかった。
 でもずっと同じ彼氏と住んでるんだよね。そのように重ねて質問される。そうだよとわたしはこたえる。わたしは彼氏が好きだけど、結婚という制度を嫌いなの。それで、何年か前に彼氏のご家族にもそういう説明をしたんだよ。彼氏が親戚の集まりで激詰めされてさあ。おまえそんないいかげんなことでいいのか、相手の女性に申し訳ないと思わないのかって。さすがに彼氏がかわいそうでしょ。わたしのわがままにつきあってくれてるのに。

 え、それで理解してもらえたんですか? あ、すみません、自分は新婦の従弟です。
 わたしはその男性を見る。彼はにっこりと笑う。話に割って入ることに手慣れている、と思う。年のころなら三十代、明瞭な発声の、いかにも手をかけた健康的な外見の、そしてわたしにある種の警戒心を持たせるタイプだった。
 わたしは未だそのタイプに名前をつけることができない。「リーダーシップがある」といった理由で職場で重宝される、しばしば高学歴で立派な肩書きの、快活で如才なく社交をこなす人のごく一部に、そういうタイプがいるのだ。わたしになんともいえない嫌悪感を催させるタイプが。

 わたしはにっこりと笑う。まるで相手を歓迎しているかのように笑う。
 ええ、理解してもらいましたよ。そうしたことに関心がおありなの? つまり、結婚しないカップル関係に。

 ええ、と彼はこたえる。わたしの「ええ」をやや男性的に、より深い声で感じよく仕立て直した口調で。
 いいなあ。僕も理解してもらいたいんですけど、なかなか難しいんですよ。古い常識って厄介ですね。
 わたしは身振りと表情で彼の話をうながす。

 彼は話す。彼の「彼女」との同居は五年目、彼女は家事のすべてと彼の仕事のアシストを担っている。彼はそれを頼んでいない。「彼女」が自発的にやっている。「彼女」はかつて彼の会社でアシスタントをしていたが、現在は無職である。生活費は彼が負担している。「彼女」からは何度か結婚のオファーがあったが、彼はイエスと言わなかった。ノーとも言わなかった。
 彼女と同居しているあいだ、彼は他の誰ともデートしなかったわけではない。もちろん。成り行きとして、新しく性的関係を結ぶ相手ができる。当然のことながら。
 それが「彼女」に発覚すると、彼はプレゼントを買う。「彼女」が指定したかばんやジュエリーを買う。「彼女」はそれを受け取る。
 そのようにして彼らは暮らしている。

 彼は言う。
 何年も同居していると、事実上夫婦だと見なされるんです。おかしな話ですよね。彼女はそれを狙ってるんですけど、でもそれよりは結婚がいいんだそうです。法律上の権利が全部欲しいんなら別れるしかないけど、結婚という形式があればそれでOKみたいなので、あちらに生活費以外いかないように対策して契約書を作って籍を入れるのが落としどころかなと。
 なるほど、とわたしは言う。なまじ内縁関係を主張されるよりは、ね。彼女よりいい人がいるともかぎらないし。
 そうなんです、と彼は笑う。

 彼が去る。横で話を聞いていた知人がつぶやく。ドン引き。
 ドン引きだね、とわたしはこたえる。
 知人は言いつのる。いや僕だって別にラブフォーエバーとか思いませんよ。人間は打算で恋人を作るし、打算で人と暮らすよ。でもさあ、いくらなんでもあれはさあ。生活費と浮気バレ慰謝料プレゼントを支払えばアシスタントと家政婦ゲット、お得だね!……それしか見えない。人間同士の関係に見えない。その彼女はたぶん「結婚」というドリームをかなえるためなら何でもするんだろうけど、それも怖い。あとあの人、浮気相手に対してすら、好きって感じしなかった。コスパ以外なんもない感じ。登場人物全員大丈夫か。カウンセリングとか行ったほうがいいんじゃないか。

 そうねえ、とわたしはこたえる。でも少なくともあの人は、たぶん困っていないのだからねえ。愛してないことが問題だなんて、まさか言わないでしょう。わたしなんて同類とまで思われたみたいだし。
 わたしはあの人物の同類ではない。もちろん。わたしは恋人の労働を搾取していない。
 しかし、とわたしは思う。わたしがあの手の人間に敏感なのは、わたしの中に彼らと似た何かがあり、それを強く嫌悪しているからかもしれない。