傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

あの女の恋愛感情を利用していい生活をしてやろう

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。それがきっかけで僕と彼女は一緒に暮らし始めたのだけれど、この生活が気に入りすぎて疫病の流行が終わってもやめたくない。

 つきあって三ヶ月という、恋愛的にいちばん盛り上がっているタイミングで同居したから、すぐ破綻してもおかしくないと思っていた。なにしろ僕はすぐ飽きちゃうのだ。女の子と半年以上つきあったことがない。
 僕の個人的な感覚では、同じ相手とのセックスは三回目から十回目がピークで、あとはまああってもなくてもという感じだし、恋愛的な様式としてのデートについては「女の子のドリームを読み取ってサービスするのめんどくせえな」と思う。だから自分は長期的な関係に向いてないのかなあ、なんて思っていたのだけれど、好きな人と生活を共にしてみたら継続したくなったので、向いてなかったのは長期的な関係というより長期的な「恋愛」関係だったみたいだ。

 シェアハウスをいくつか経験したからわかるんだけれど、僕はけっこういろんな人と居住スペースを共有することができる。でも最高ではなかった。シェアハウスでは揉めたり突然出ていったりする連中を横目に「まあ俺も正直いくらかの不満はある」と思っていたし、その一方で「限界を超えるまでがまんする前に普通に話し合え」とも思っていた。ずっと実家にいようと思ったこともなかった。「大人になって誰かと住むなら自分で選んでくるのがいい」という感覚を持っているからだ。
 疫病下につきあいはじめた彼女と同居してみたら、「これこそ求めていた生活だ」と思った。もちろん最初はあれこれ試行錯誤したけれど、相互に自分の要望を述べながら試行錯誤できること自体がそもそも貴重なのだ。
 納得できる家事分担、さぼりたい部分の一致、均等割できる家計、たがいが摂取する音の出るコンテンツが不快でないこと、これだけでQOLは爆上がりである。そして何くれとなく話せておしゃべりが楽しい。めしもうまい。俺のめしもうまいと言ってくれる。そういう相手が家にいるってほんとうに素敵だ。この生活を手放すまいと僕は思った。

 思って、結婚しませんかとオファーしたんだけど、それは断られた。彼女は身体上の理由で子どもができないのだ。そのことは知っていたんだけれど、「子ども以外に結婚する理由が自分には見当たらない」と言われたのですごすごと引き下がった。さてはあの女、「この先ほかに好きな人ができたときに法的責任を問われるのはいやだ」くらいのこと思ってるな。恋愛脳め。
 将来子どもがほしくなったら籍を入れて特別養子縁組をやろうと言って、それは受け入れてもらった。僕は子どもが好きだけど実子に執着はない(と思う。実子も養子も持ったことないからたぶんだけど)。
 そうして現在は安定して愉快に生活しているのだけれど、僕にはひとつの秘密がある。いつも通り、恋愛的にはとうの昔に彼女に飽きちゃってるのだ。

 しかし彼女にそれを悟られてはならない。僕の恋愛感情が消えたとわかったら、即この家を出て行くに違いないからである。あの女はそういうやつなのだ。同じ相手に延々と恋愛できるし、自分に恋していない相手はすぐ捨てて「失恋した」とほざくのだ。なんでだよ。俺ぜんぜんわかんねえ。
 だからばれていはいけない。恋愛的に夢中なままですよというふりをしなければならない。セックスだってする(べつにいやではないのだ、めんどくせえだけで。あと、くっついているのは好きです)。デートだってする(彼女は自分のドリームは自分でかなえるタイプなので、デートと称するものは実質ただの家族イベントであり、普通に楽しめる)。そしてそれらを、心からやりたくてたまらないふりをする。
 彼女が年をとって新しい恋愛の機会が訪れなくなればいいのにな、と僕は思う。そしたら僕の恋愛芝居がなくなっても伴侶でいようという気になるのではないか。でもわかんないな、あの女なぜかモテるんだよな。僕らが四十過ぎても他に相手が見つかるのではないか。先は長い。

 まあいい。恋愛の芝居くらいする。彼女が唯一だからではない。世界にはたくさんの人間がいるから、彼女と暮らすのと同じくらいの快適さと愛着を形成できる相手はきっと他にもいるだろう。でもそんな相手を探すのはめんどくさい。めちゃくちゃ時間と労力がかかって見つかる前にめんどくさ死すると思う。

 そんなわけで僕は今日も彼女に恋をしているふりをする。この女の恋愛感情を利用していい生活をし続けようと思う。頭の中のほとんどのことをしゃべりながら、そのことだけは絶対に口にしない。