傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

わたしはチャーマラに貸しがある

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。わたしの趣味の海外旅行などというものは何をどう考えてもよぶんなのであり、いまだもってビジネスや親族間の行き来など、名分のある渡航しかしにくい状況である。
 感染が落ち着いた時期には「どこにならすぐに旅行できそうか」という情報が回った。どこを回るかといえば旅行仲間のあいだで回るのである。わたしは単独または少数の旅行を好み、旅行仲間は旅行をともにする仲間ではない。旅行話をつまみに酒を飲む仲間である。今となっては大勢で集まって酒を飲むことも難しいので、おとなしくごく少人数でしょぼしょぼ話すくらいが関の山なのだが。
 感染が落ち着いた時期、「タイならそろそろ行けそうだ」という情報があり、わたしたちはおおいに期待した。短い東南アジア旅行は日常の娯楽のうちとして旅行経験の数に入れないような連中だけれど、あまりに海外に飢えていたからか「もうタイでもいい」などという暴言も飛び出した。タイ旅行大好きなくせにさあ。
 ところが感染はふたたび拡大し、わたしたちはまだこの国の外に出ることができていない。もう二年も出ていない。稼いだカネに余剰が出ればぜんぶ航空券にぶっこんでいたので貯金ができてしまった。日常生活はつましいし(旅行したいばかりにそういう生活スタイルが身についてしまった)ほかにたいした趣味もないのだ。我ながらかわいそうなやつである。

 さて、そうなると心のなぐさめになるのは「いつかここへ行くんだ」という計画のみである。その点わたしは豊かだ。さまざまな計画を立てている。なかでもスリランカ旅行は最高に楽しめるはずだ。なぜならわたしはチャーマラに貸しがあるからである。
 チャーマラはスリランカ人の職業ガイドである。三年前にスリランカでお世話になった。公共交通機関が整っていないエリアを旅するにはよき現地ガイドが必須なのだが、チャーマラは「よき現地ガイド」以上の仕事をした。おかげでわたしはおおいにスリランカを楽しんだ。
 運転技術は上々、ガイド知識は豊富、明朗会計このうえなし、英語は表現がストレートながら必要十分、物腰に余裕があって、会話ではほどよく楽しませほどよく距離を取る。しかも女をあなどるということがない。そのときは当時の彼氏と旅行に行ったのだが、旅行をリードしているのがわたしだとちゃんと理解し、わたしが話しかければわたしを主体に話をした。会話をしても不快なところがなく、なんなら日本の大半の男性よりジェンダー観がまっとうだと感じた。
 どうやら本人も自分が現代的な人間であると自負しているようで、外国の本を読んだり、スリランカ人中年男性にはめずらしく筋トレに精を出したりしていた。わたしたちは自分たちをビジネスの相手としてだけではなく友達だと思うようになった。しまいには自宅に呼ばれて妻子を紹介され、自慢の料理をごちそうになった。「ジャックフルーツのカレーを食べると筋肉がつくから、たくさん食べるといい」などと言うのが可笑しかった。
 でもわたしの当時の彼氏はそういうのが気に食わないみたいだった。わたしたちはスリランカから帰ってすぐに別れた。

 そのようなチャーマラがFacebook上で経済的なピンチを呼びかけたのが一年ほど前のことである。スリランカの観光も疫病で壊滅的なダメージを受けており、商売上手だったチャーマラもガイドの命である自家用車を手放すところまできてしまったという。ふたりめのお子さんが生まれた直後だというのに。
 あの鷹揚で上品なチャーマラが、自宅ご招待の御礼のお金もわたしたちの豪華土産セットにかえてしまったチャーマラが、お金がないというのだ。わたしは速攻で万札を振り込んだ。
 そのときすでに今の彼氏とつきあっていて、わたしとしては内心「まだまだ本性は見ていない。これは試験期間だ」と思っていたのだけれど、「めちゃくちゃいい人そうだしおれもそのうちスリランカ行きたいから」と言ってお金を足してくれたので、めっちゃ好き超好きと思って今もつきあっている。チャーマラはおおいに喜びわたしの誕生日にFacebookで「アンブレイカブルフレンドシップフォーエバー」みたいなことを書いていた。恥ずかしいからやめてほしい。

 友達がいれば、とわたしは思う。海外のみんなも国内のみんなも、旅行というものが好きな友達が元気でいてくれれば、わたしは旅行ができなくても、どうにかがまんしてやっていける。