傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

あなたの最後のパーティ

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのためにいくつかの事象が絶滅する見通しだ。そのうちのひとつがパーティである。

 この世界にはかつて、知らない人を含む多数の人間が集まって飲食をともにし、特段の目的もなくさほどの実りもない会話をし、それだけで何時間も過ごす、という行事があった。宴会とかパーティとか、そういう名前のイベントである。現在でもないのではない。よほどの関係のある者同士のよほどの機会であれば実行可能だ。
 具体的には、披露宴だとか、精進落としだとか、そういった冠婚葬祭的なものは、実行しても非難されることは少ない。少ないが、それらもしだいに減ると予測される。「感染リスクを取ってまで来いというのか」と思われることが人間関係上のリスクだからである。「感染リスクを負うか否か選ばせるのは申し訳ないから」という理由でわずらわしい義理の関係から遠ざかることもできる。そのうち、招待しても不自然でないのは何親等まで、くらいの「マナー」ができるのではないか。

 そんなわけで大半のパーティ、とくに些末な宴席は遠からず絶滅する。私は宴会大好きなパーティピープルとかではなかったから、それでもまあ生きるのに差し障りはない。ないんだけど、生きるのに障りがなければ何がなくなってもいいということはない。この世から余剰が少しずつ消えれば、いずれは自分の生命が不要と感じる、人間というのはそういうものだと、私は思っているのである。
 だから私は私の最後の宴会について思い返し、それを記述しようと思う。

 あれは二月末のことだった。疫病は世を席巻していたが、人々はそれがまだ短期でおさまると思っていたので、怖がること自体が少々珍しく、「不謹慎」な言い方をするなら浮き足立っていた。私もそうだった。
 私は趣味でフィクションや感想文を書いていて、それを読んだ人からときどきお金をもらって文章を書いている。もちろん本業は別にある。その日は脚本を依頼されたラジオドラマの収録で、帰りに宴会が設けられた。参加者はその日に収録された番組にたまたまかかわった俳優やスタッフであり、全員を知っているのはディレクターだけだった。まあせっかくですから飲みましょうよ、ということで、飲みに行った。今となってはなつかしいばかりの不要不急ぶりである。
 疫病はすでに流行し、私の本業の出張が取りやめになったりもしていたが(新幹線やホテルの払い戻しをして、払い戻しが混み合っているということでずいぶん待ったことを覚えている)、都心の居酒屋は満席だった。人々は今からは考えられないほどぎゅうぎゅうに飲食店を埋め、無防備に話ながら飲食していた。私たちもそこに加わった。

 私の隣に座ったのは頭の回転の速い豪快な女性で、宴席をともにするにはベストな相手だった。私は二十数年もののフェミニストであって、エンタテイメント業界の宴会のノリにすっとなじむタイプではない。先方もそれをわかっていて私を誘うので、人によっては「下手なこと言えないな」という空気を出す。なんなら「僕きっと怒られちゃいますねー」とか言う。しかし彼女のような人がはさまってくれれば全員が安心である。彼女ははっはっはーと笑って、言った。ここでわたしたちが感染したら明日の新聞に「浜松町の居酒屋で二十代から四十代の男女七人濃厚接触」って出ちゃいますね。はっはっはー。

 笑うようなことだったのだ。私たちにディスタンスは課されず、私たちに消毒液はかけられず、私たちに体温計は向けられなかった。非接触体温計を見たことさえなかった。

 私たちが何も考えず「せっかくですから」と宴席をもうけることはきっと二度とないだろう。選び抜かれた少数ではない、知らない人をふくむ雑多な大人数で無目的に集まることは、この世界ではもう起きないだろう。
 私たちは重要な関係だけを選んでコミュニケーションを取るだろう。私たちは関係の些末な糸をすべて捨てるだろう。私たちの薄いつながりは清潔なデジタルデータの形式でしか保持されないだろう。薄いつながりが直接のコミュニケーションに移行する確率はひたすら下がりつづけるだろう。袖すり合うような縁を感染リスクとして減少させるだろう。
 私はあなたの最後のパーティについて尋ねる。あなたが最後に参加した、無目的でさほどの実りのない、あなたにとって重要でない多数の人々との会話の場を。それは不要と判断された事象だから、今のうちに書いておかなくてはきっとどこにも残らない。