傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

ゲームとたき火

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのために外出せず遊べるゲームが人気である。僕は据え置き型のゲーム機を起動しっぱなしにしている。そうして仕事から帰ると(仕事はわりとすぐオフィス通いが復活した。ダイニングテーブルで仕事していて腰が死にかけたので正直ちょっとうれしい)スリープ状態から戻す。
 子どものころは人並みにゲームの世界にのめりこんだ。とはいえ僕は本を読むのも好きだったし、少し大きくなってからは自分で近所のTSUTAYAに行って映画を借りたりもしていた。フィクションの中に入れるのなら字でも映像でもいいやという、わりと雑な子どもだったように思う。

 しかし現在の僕のゲームの目的はフィクションへの没入ではない。ドラクエとかが出れば、これはまあお話だよなと思う。思うけど、今や僕はもっと現実的な物語のほうが好きだし、ファンタジーでもちょっとひねりがあるほうが好みだ。
 僕にとってのゲームはいつのまにかフィクションの器ではなくなった。ではなにかといえば、飲み会みたいなものになった。知らない人との飲み会ではない。知っている人とだらだら話すやつだ。

 飲み会は不要不急である。しかし人間はコミュニケーションを欲する。Zoom飲みは正直言ってあんまりおもしろくない。あれは会議システムであって、雑談に向かないと思う。同居している彼女はわりとZoom飲みをやってるけど、あの人は仲間うちの雑談にもアジェンダ用意していくからなあ。あれじゃあ「楽しくてちょっとアルコールが入る会議」だよ。それか対談イベント。

 僕の周囲の男たちは飲み会にアジェンダ用意しないし(ふつうはしないと思う)、かといって女友達みたいに用のない通話をかけてきたりもしない。僕はわりと女の友達が多いほうなんだけど、彼女たちは平気で目的のない通話をする。このあいだは学生時代の先輩の愚痴を一時間半聞いた。
 男たちがそういうのやらないのはどうしてかなと思う。彼らは「おい、聞いてくれ」といってコンタクトを取ってこない。疫病前は「飲むか」といって集まっていた。もちろんアルコールの摂取が目的なのではない。話をしたくて集まるのだ。そうしてそれは今や不要不急、避けるべきこと、よほどの相手でないとしないことになった。

 それで僕が選んだのがゲームである。僕としてはただ通話するだけでぜんぜんかまわないんだけど、それだとあいつらしゃべらないんだよな。なんでかわからないけど。僕も男だけどサシの電話でだらだらしゃべるの全然平気だから、「男は一対一で雑談の通話をしたがらない」と決めつける気はない。僕のまわりの男たちがそうだということ。
 彼らはなぜだか、雑談の場に雑談の場というラベルを貼ることを好まない。トイレを手洗いと呼ぶように、雑談の場を飲み会と呼ぶ。
 誘うときにも、聞いてくれよとか、おまえに話したいんだよとか、そういうこと言わない。僕が彼らにそう言って誘うと変な顔をする。その言い方はちょっとキモい、みたいな返事がかえってきたこともある。だから僕は彼らを飲み会に誘っていた。今はゲームに誘う。マルチプレイヤーの、てきとうなやつに。ゲームに誘うなら、彼らの世界でもキモくないだろうから。

 ゲームをしながら話すと雑談の導入には困らない。あいさつもそこそこに目の前のプレイの話をする。そうしてずるっと近況に持ち込む。
 疫病前、僕はときどきキャンプをしていた。バーベキューしようとか、山歩きしようとか、そういう名目で友人たちを誘った。彼らはたき火を焚くとなぜだかよく話すのだった。彼らにはごはんの友みたいな「雑談の友」が必要なのかもしれなかった。白米をそのままむしゃむしゃ食べる人間ばかりではないのかもしれなかった。

 だからいま現在、僕にとってのゲームは飲み会で、たき火である。今日は地元の、ちょっと年下の友達とゲームをしている。彼はどちらかといえば僕の弟と親しかったのだけれど、どういうわけかこの数年、ちょっと疎遠にされていると、弟が言っていた。
 ゲームしながら聞いた感じだと、どうも就職でつまずいたときにいろんな人に連絡を取らなくなって、職に就いたあともちょっと気まずい、みたいな感じだった。それで子どものころにはそれほど親しくなかった学年違いの僕と話しているのかな、と思った。そのうち弟も入れてゲームしよう。こういう状況では意図的に人間関係をキープする場を作っておかないと、びっくりするほどあっというまに孤独になってしまうから。