傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

僕が正常になった日

 疫病が流行しているので不要不急の外出が禁じられた。そのために人々は個人的なコミュニケーションに困り、インターネット越しに話したりしていたようである。僕にはそういうのはとくに必要ないのでやらなかった。数ヶ月間くらい私的なコミュニケーションがなくても僕の精神はとくに問題を感じない。個人的な情を交換する会話は年に何度かでじゅうぶんに足りる。疫病のせいではない。もとからである。そういうのを正常でないと言う人もいるんだろうけれど。

 久しぶりに友人と会った。その友人が久しぶりなのではなく、友人という関係の人間に久しぶりに会った。なにしろ僕の友人は一桁しかいない。そのうえで疫病が流行したので、他者がいる空間での食事など一年ぶりである。僕は独居で、遠方に住む血縁者と話したいという欲求もとくにないので(仲が悪いわけではない。単に必要がないのだ)、一年間、すべての食事を黙って一人で食べた。そういうのは正常な状態でないと人は言うのだろうし、だから外出禁止が少しでも緩むといっせいに人と会おうとするんだろうけれど。

 友人はテーブルの向こうにいる。大きなテーブルである。隣のテーブルとも大きく間隔があいている。そういう場所を選んだと友人は言う。どうもありがとうと僕は言う。僕は食が細いし、満腹したらぜったいにそれ以上食べたくないし、酒は一滴も飲まない。他人に合わせて喫食するなんてぜったいにごめんである。友人は僕のそういう性質をよくわかっているから、勝手に好きなものを食べて手酌で日本酒をのんでいる。そして言う。羽鳥さん、ここしばらく、快適だったでしょう。

 僕はうなずく。僕は他人と物理的に接触することが嫌いだ。目の前の友人のような、よほど慣れた人間であれば、たとえば自動車の隣の席に座ってもそれほど不愉快ではない。世の中のほとんどの人間とはそれ以上近づきたくない。僕はそれほどまでに他者との接触や近接を嫌う。職場ではコクーン状の半個室ワークスペースを使用している。就職氷河期世代だったので何度か転職しているが、転職条件のひとつに「じゅうぶんなワークスペース」と明記している。混んだ会議室はひたすらがまんする場所だった。満員電車に乗らないためだけに相当の家賃を負担し、一時間歩いて通勤している。

 そいういうのは正常じゃないと、若い頃はとくにうるさく言われたので、ひどく努力して女性と交際したりもしたけれど、そしてそれはやってできないことではなかったけれど、そのあと「抑うつ状態」と診断された。交際していた人が嫌なのではなかった。他人との物理的接触のすべてが、僕は嫌なのだった。医者にしつこく質問されたのだけれど、僕は人を汚いと思っているのではない。自分を汚いと思っているのでもない。単に皮膚だとかそういうものと接触するのが嫌なのだ。調理のために生肉を触るのが嫌で、生きている他人の身体はもっと嫌だと、そのように感じる。生まれつきそういうたちなのだ。

 でも今、混んだ会議室はない。大量の他人がみっしり詰まった宴席もない。僕はきわめて安定し、仕事のパフォーマンスは向上した。

 友人は言う。羽鳥さん覚えてる? 私が「羽鳥さんに向かって正常じゃないって言ったやつ全員殴りに行く」って言ったときのこと。

 覚えている。僕が抑うつ状態に陥ったとき、最初に気づいたのはこの友人だった。友人は僕の性質をよく知っていた。僕と交際していた女性と親しい仲でもあった。

 正常になろうと努力した、その結果、どうも生きていかれる気がしない。そういうようなことを、僕は述べた。友人は憤怒した。そしてかばんから紙とペンを取り出し、名前を書けと僕に命じた。あなたにそう思わせた人間の名前をぜんぶ書け、ひとりひとり殴りに行くから。そう言ったのだ。

 友人は言う。でも今や世界はこのようになった。人々はモニタや、アクリル板や、ビニール・カーテンや、フェイスシールドや、そんなものをはさまないと、他人と話すことができない。なんならそのうえでマスクをつけている。みだりな物理的接触は悪事になった。ねえ、「正常」なんて、その程度のものですよ。今やあなたは「正常」であり、社会に迷惑をかけない、立派な生活態度の人なのですよ。

 僕は笑う。僕はうつむいて少しだけ笑う。僕はもうだいぶ前から「正常でなくてもよい」と思い定めて生きてきた。でもいざ自分が「正常」になってみると、やはり少しだけ、ほんの少しだけ、嬉しいように感じるのだった。