傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

そしてわたしは嘘をつく

 疫病が流行しているので不要不急の外出が禁じられた。しかしながら引っ越しはいまだ認められている。「要」で「急」であるという審査を通るかぎりにおいて。具体的には労働もしくは「家族」の要請するかぎりにおいて。

 この社会は第一に自助、それから血縁・法律婚家族の「絆」で回っている。真実天涯孤独であるならその証明書を出せばしかるべき機関が(ゲットーとあだ名されている)指定住宅を提供する。「福祉」である。疫病が流行しているこの非常事態において許される私用の引っ越しは、家庭の結成と解散、または「福祉」を要するケースのみである。

 わたしの引っ越しは政府の定義における不要不急でない。この国家がこの事態において容認するものではない。わたしは女で、女と暮らしたいのである。

 そんなだからわたしは芝居を打った。わたしは一緒に暮らしたい女を「緊急連絡先の姉」とし、そうして同世代の男の友人を「結婚する予定の人」として連れて、不動産屋におもむいた。そのようにしてわたしは「生家と配偶者をもつ正しい家族」の隅につらなる嘘をつき、引っ越し先を探すことができたのである。一度賃貸住宅に入居してしまえば、契約者であるわたしの「お姉さま」が入りびたっていても、「ご主人さま」の居住実態がなくても、滅多なことではバレない。一名入居として借りて二名住んだら訴訟もありうるので、リスクが段違いである。

 わたしの収入はわたしの借りようとする物件が求める相場の二倍である。そこまで収入をつり上げても自分が選んだ相手と住む部屋を借りることができない。「ご主人さま」の芝居をして相応のリスクを取ってくれるやさしい友人の助けがなければ、借りることができない。

 わたしは良い子の顔をする。わたしは不動産仲介業者に勤務先の書類を出す。収入証明を出す。彼らはにっこりと笑う。わたしは知っている。わたしが馬鹿正直に女と一緒に住みたいと言えば、どういったご関係でしょうか、という慇懃な発言にはじまる長い長い尋問に耐えなければならないことを。「お姉さま」と「ご主人さま」を連れず単独で物件を探し、緊急連絡先に男の名を書けば、その男の愛人として扱われることを。

 この社会において「血縁者なし」「女」「未婚」で生きるための陰に籠もった労力は莫大であり、女が女と住むためにはさらに多くのフェイクを要する。

 わたしはこのような世界に生きていたくない。しかし自分から死ぬことは今のところしないでいようと思っている。だからわたしは嘘をつく。「お姉さま」と「ご主人さま」がいらっしゃって「ご両親さま」がお亡くなりになった、善良で正しい国民の芝居を打つ。

 去年、わたしの知人が引っ越しをした。知人はずっと自由業で、年収はわたしの三分の一ほどである。でも知人は猫を二匹つれてひとりで簡単に引っ越した。ペット可の物件は賃貸物件全体の十分の一しかないから、わたしなどには夢のまた夢である。知人にはまったく夢ではない。緊急連絡先として機能する血縁者を持っているからである。さらに知人は男であり、独身であり、これから結婚して子をなす可能性を思わせる属性にあるからである。そういう「信用のある」人間は簡単に賃貸物件を契約することができる。

 わたしは、親族からそれはそれは陰惨な虐待を受けて十代で家出をし、ひとりで働いて図書館で勉強して大学に行って職について熱心に働いた。そうして法律婚をして子を産むのに向く思想および性的志向を持っていない。だから「社会的信用がない」。嘘をつかなければ賃貸物件のひとつも借りることができない。

 わたしは善良な顔をする。高給取りのエリートの顔をする。名刺を差し出す。いわゆるところの清楚な格好で、女性らしいとされる控えめなそぶりで、言う。お恥ずかしいことですが、事情がありまして、主人ではなくわたしの名義での契約を希望しているんですけれど。

 不動産仲介業者は「配慮しますよ」という顔をする。わたしはあらかじめクチコミで「柔軟」な不動産仲介業者を選んで来ている。わたしは浅く椅子に腰掛け、「ご主人さま」の横でよぶんな口をはさまずにいる。

 わたしはほほえむ。わたしはとても感じよくほほえむ。不動産屋を出て、芝居につきあってくれた友人に頭を下げる。彼はわたしをかわいそうだと思っている。

 わたしは契約書にサインする。わたしは数十万円を支払う。そうしてわたしは、疫病の空気を吸って、そのままいなくなりたいようにも思う。