傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

僕らは世界をハックする 一人目

 自分の頭の良いのは知っていた。僕には兄がいて、両親は兄にも僕にも熱心に時間とカネをかけたけれど、僕のほうがはるかに勉強がよくできたし、習い事やスポーツのたぐいもそつなくこなし、人間関係上も強者だった。兄はべつに落伍者なのではない。平均よりはずっといい。僕があまりにすぐれているのだ。

 そんなわけで、僕は天性の才覚を前提として、じゅうぶんに資本を投下され、必要な時に必要なコストをかける(勉強するとか、見た目を整えるとか)手間暇も惜しまなかったので、現役で東京大学に入った。そうして、地頭、コミュニケーション能力、外見、生まれ育ちなどにおいても、自分が同級生の中で上位クラスに入ることを確認した。その年のうちに彼女を三人取り替え、学生サークル四つに顔を出してばかばかしくなってやめた。三年生になったころにはベンチャー企業を立ち上げていた。

 ベンチャー経営自体はたいしておもしろくなかった。せいぜい大企業に買ってもらえば大成功なのだ。しょぼい。しょぼいなあと僕が言うと、まあね、と相棒は言った。相棒は僕が知るかぎり僕と同じくらい頭の良いただひとりの同級生だった。僕が手加減なく口をきける唯一の相手。相手の知的レベルや知識の範囲に合わせてやるストレスがない、たったひとりの対等な友人。

 俺たちの会社は、と彼は言った。しょぼくないことをするための皮にすぎない。いいか、俺たちはこれから世界をハックする。

 僕らはまず、いわゆるバイラルメディアで一発あてた。まあまあの資金がころがりこんできた。世間がそれを非難しはじめたころ、僕らはすでにそこから手を引いていた。僕らはイメージが悪い事業の矢面に立つほど愚かではなかった。現代においてイメージ戦略はカネよりはるかに重要だ。僕らが世界をハックするとき、その行為の最終責任をとるのは別の人間でなければならない。そのためなら儲けを半分他人にくれてやってもよかった。

 次に僕らは独自の「SEO戦略」を大企業に売り込んだ。簡単にいうと、Google検索結果の上位に来ることだけをめざしたマニュアルをもとに安いライターに大量の作文を書かせてアクセスを稼ぐという手法だ。だいたいの人間は愚かで弱いから、たとえばガンかもしれないと思ったら「ガン」と検索する。そのときに上位に来るページがカネを生む。だったら検索結果上位に置かれるページを作ればいい。内容はどうでもいい。クリックさえされればいい。そんなものはGoogleアルゴリズムリバースエンジニアリングすれば大量生産できる。

 そのころ僕らはすでに大学を卒業し、大学院生の肩書きを得ていた。研究なんてしょぼい行為に興味はなかった。教員もほとんど全員がしょぼくてコネクション上もまったく意味がなかった。それでも大学院進学をしたのは「学生ベンチャー」を継続させるためだった。

 大企業は僕らの「SEO戦略」を買った。そしてそれは驚くほどの利益をもたらした。僕らは「SEO戦略」の洗練に夢中になった。たかが作文の条件を工夫してマニュアル化してそれを回すシステムを作るだけでカネがごろごろ入ってくる。大企業が実質たった二人の僕らの会社に慇懃に依頼してくる。木っ端ライターどもが僕らの作ったマニュアルを必死に守って最低賃金以下の報酬で無内容な記事を大量生産する。相棒は僕にささやいた。なあ、こんなに愉快なことがあるか。ないね、と僕はこたえた。

 やがて僕らはその仕事から手を引いた。体調不良を心配している人間に「先祖の霊のたたりです」と書かれたページを見せるようなしくみを世間が長く許しておくはずがないからだ。もう少しやればもっと儲かっただろうが、僕らは金銭欲や物欲などという低俗な欲求の奴隷ではない。僕らは世界をハックしたいのだ。そしてそれができるのだ。そういう人間が世間の非難を浴びる必要はない。

 非難を浴びたのはだから、僕らに仕事を委託した大企業だった。ふだんは見ないテレビをつけると、黒い服を着た大企業の役員連中がマスコミ各社のカメラのフラッシュを浴びて頭を下げていた。「見たか」とメッセージが入った。もちろん相棒からだ。いま見てた、と僕は返した。痛快だよね。

 相棒のメッセージは続いた。どうやらあの委託を請けたのは誰かという話にまでなっているみたいだ。そろそろ海外でやらないか。

 僕はますます愉快になった。それでこそ僕の相棒だ。僕らは早々に当該ベンチャーを畳み(僕らはそのころすでに複数の会社の名義を持っていた)完璧なタイミングで大学院を修了し、クリーンな「学生起業家」の顔を保ったまま、シンガポールに新しいオフィスをかまえた。