傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

おれにスカートを履かせろ

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。うちの会社も半分くらいリモートワークになって、だから夏はとくに快適だった。夏場に毎日フルレングスのパンツを(しかもワイドや薄地ではないものを)履くのは、端的に言って苦行である。そのうえパンツの傷みもはげしい。お気に入りであればあるほど着る気になれない。
 おれは学生時代、たまにスカートを履いていた。女性装としてではない。メンズファッションとして着ていた。今でも頻度こそ減ったが、時折スカートを履く。なにしろ暑いときにラクだし、かっこいいと思うから。
 おれは髭を生やすしスーツも着る。でもスカートも履きたい。男のあっけない腰まわりからすとんと布が落ちるているのは美的にもナイスじゃないか。なにゆえ日本ではスカートは男のチョイスではないのか。浴衣なんて実質ワンピースだ。着流しの男を見ろ。ああいう感じのシルエット超いいじゃん。

 そうしたところがリモートワーク導入である。おれはいそいそと部屋着のワンピース(部屋着なら男性向けも普通に売っている)をグレードアップし、外出着として腰ばきのスカートも新調した。シャツに合わせて着るときりっとした気分でかつ楽に仕事ができて良い。
 疫病流行当初にリモート飲み会が少しはやった。そのなかで一度「映らない部分はジャージでいい」「いやそれだと仕事中という感じにならない」という話題が出た。メンバーに気の置けない人が多かったこともあり、僕はスカート履いてますよと言った(僕、おれ、私をせわしなく使い分けるタイプである)。いいねと彼らは言った。うち一人が苦笑いをし、皆が黙った瞬間に狙い澄ました声で言った。いやー、最近そういう人増えたよね、あっちに目覚めちゃうんじゃないの。

 誰かがその話題を素早く流す。誰かが別の話題を出す。誰かが返答する。おれは立ち上がって新しい飲み物を持ってくる。さっきのやつがまた言う。そういう格好して彼女さん心配しない? あ、多様性について理解がある的な?
 心配なんかしませんよとおれは言う。理解があるというのがどういう意味だか存じませんが、人間が自分の好きな格好をするのは当たり前だと思っているだけです、おれの彼女は。

 そういう事態を、予測していないのではなかった。伊達に長年スカートを履いているのではない。えっと、「かっこよくいたい」という意味では伊達で履いているんだけど。まあともかく、男のスカートを見たやつがにやにやして「そっちの人?」「あー個性個性」とか言ってくるのには慣れている。なんなら一足飛びに「口説かないでくれよ」と言われたことさえある。あいつらはほんとうに愚か、二重三重十重二十重に無知、まさに蒙昧の輩である。あいつらが何をどう間違っているのかいちいち説明してやる義務はないが、間違っているという態度は崩さない。
 あいつらは怖いんだ。「おれたち」は同じように「男」のコードを守ってそこからはみだしたらからかって笑わなきゃいけないと思ってるんだ。そうしないと自分が笑われると思ってびくびくして、コードから外れる人間を必死に探しているんだ。
 おれは怖くない。笑われることなんか怖くない。嘲笑を返してやる。おれにスカートを履かせろと言う。おれはそういう度胸あるかっこいい男なので。
 スーツを着ろと言う会社に勤めて、だから出社時にはスーツを着る。私服の飲み会ならそのときの気分で服を選ぶ。あいつらの「おれたち」に入れてもらう必要なんかない。おれはおれで、「おれたち」に入れてもらう必要なんかない。群れて誰かを笑わなくちゃ生きられないほど惰弱じゃない。

 彼女に鼻息荒くそのような話をすると、彼女はふーんと雑な相づちを打ち、それから言った。あなたその調子じゃ苦労したでしょ、男社会で。スカート履かなくったって、嘲笑メンバーに入らないと許されないことはめちゃくちゃ多かったでしょ、だから苦労したでしょ。
 した、とおれは言った。我ながらしょんぼりした声だった。高校生のときには男友達がぜんぜんできなかった。大学生にもなれば自分でいろんなところに行けるけど、高校生はそうはいかない。まじで泣きたかった。ていうか帰ってしくしく泣いてた。でもしょうがないじゃん、おれの中でそいつらの仲間になるのってぜんぜんかっこよくなかったんだから。そんなださい連中の仲間に入れてもらわないと「男」をやれないなんてぜったいに思いたくなかったんだから。