傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

まともじゃないから好きだった

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。わたしの交際相手はそのために職場から同居家族以外との会食を禁じられたということだった。同居すれば食事だろうがなんだろうがしてもかまわないので僕はあなたの家に住もうと思う、と彼は言った。どうぞとわたしはこたえた。彼はわたしに気遣いだの「男を立てる」だのを要求しない、とても珍しい男性だったからだ。
 同居したあとも、彼が家事や小さな面倒ごとをわたしに押しつけようとすることはなかった。わたしはだからここ半年ほど、彼と一緒に生活している。

 わたしの自宅は両親から生前相続した小さな二階建てである。一階はかつて町工場だった。簡単なリフォームをして以来、ときどき人を住まわせていた。その相手はみんな女だった。わたしが親しくなったことのある男は女の家に住むという状況が好きではなかったようで、自宅に置いたことがなかった。今回がはじめてだ。
 その話をするとZoom飲みをしていた友人たちはなぜか無表情になった。彼女たちは中学の同級生で、わたしの色恋の話をことのほか好きなのに、このたびは何も言おうとしないのだった。

 わたしは性愛の対象を性別で区切らないので、彼女らはそれをもって「女も男も好きなんでしょ」と言う。
 でもわたしはほんとうは、男は嫌いだ。威張るから。女は嫌いだ。わたしよりも男を好きだから。

 言うまでもなくそれは、わたしが一緒にいたいと思った男や女の話である。Nイコール一桁ずつだ。そうしてそのNの内訳である男たちは結局のところわたしに一方的なケアを要求した。女はそうするものだと彼らはどこかで信じているようだった。わたしはケア供給機ではない。同じくNの内訳である女たちは、彼女らが想定する「男」の役割をわたしに求めた。わたしは、男ではない。
 だからわたしは泣く泣く過去の恋人たちと別れたのである。けれども中学の同級生たちはそれをもって「男にも女にももてて、すぐ相手を捨てる」と受け取る。さらにわたしの職業をさして「芸術家だし」などと言う。
 わたしはピアニストを名乗ることもあるが、その内実はディナーショーの伴奏でピアノを弾くといった程度のことだし、基本的な生活費は大手楽器メーカーのピアノ教師として得ている。疫病下でピアノ教室の受講生数が激減したのでオンラインで語学教師もしている。地味な非正規労働者である。でもわたしを「奔放なバイの芸術家」にしたがる元同級生たちにとって、そんなことはどうでもいいことみたいだった。

 わたしが男の恋人と同居していると話したら、彼女たちはいっせいに無表情になり、それから話題を変えた。わたしはそれにしたがった。その後、LINEで彼女たちのひとりから「その男の人どういう人? ピアノ関係?」「おうちに住ませてあげて生活費出してあげてたりする?」と質問があった。
 彼は勤め人である。わたしの家を間借りしているからといってわたしの銀行口座に家賃を振り込んいる。生活費は割り勘である。その旨を返信すると、LINEはぷつりと途切れた。
 その後、彼女たちからの連絡はなくなった。すでに約束していた会合について連絡しようとすると、彼女たちとのLINEグループは消滅していた。どうやら嫌われたようだった。

 彼女たちはわたしが男とつきあっても女とつきあっても根掘り葉掘り詳細を聞きたがったものだった。今にして思えば、わたしが男とつきあっているときには「結婚しないの?」とときどき訊かれた。しないとわたしはこたえた。法律婚というものが思想的にどうもしっくりこないからである。わたしが結婚しないと言うと彼女たちはどこか満足そうだった。女とつきあっているときはそれよりなお嬉しそうだった。
 薄々気づいていないこともなかった。彼女たちはわたしが「まとも」じゃないから好きだったのだ。「つぶしのきかない」芸術大学に進学し、「ちゃんとした仕事」を目指さず、「所帯」を持たず、「普通の恋愛」をしないから。「すごーい」と言ってはしゃいでいればいい、自分たちの生活とは無縁の話題を提供するから。
 わたしが男の恋人と住んで、だから彼女たちはいやな気持ちになったのだ。わたしが法律婚をしなくても、わたしの自宅の見た目が「普通の家」みたいになったから。わたしがたとえば美しくて働かない男性を養っていたなら、彼女たちにとってはまだ「許せる範囲」だったのかもわからない。でもそうじゃなかった。わたしがそこいらの平凡な男と割り勘で生活しているから、彼女たちの中でわたしの価値がゼロになったのだ。