傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

砂糖菓子のお城の王さま

 愛に飢えているのですよと彼は言った。嘘だねと私はこたえた。あなたが飢えているのは愛じゃないよ、どう考えても。それから私たちはなんだか可笑しくて笑った。日常語でないと言われる語彙を、私はわりに平気で口に出すけれども、誰にでもというのではなくって、慣れが必要で、彼はあまりそういう語を口にしたことのない相手なのだった。
 十年を過ごした恋人と泥沼の挙げ句に別れてから彼はずいぶんと野方図で、デートの相手を幾人もつくり、色も恋もない話し相手にすら性別が女であることを好むところがあった。以前は年に二度かそこいらしか会わない薄い友人だったのに、そんなわけで私にもなにかとお呼びがかかる。職場の近くで軽く飲みながら女たちに関する話を聞いてやるのが私はそんなに嫌いではなかった。なぜなら彼はみじめで可哀想で、いかにも不安定に見えたからだ。私は可哀想なものにえさを投げるような行為が好きだ。そういう自分を卑しいと思う。でも言わない。それらは私の中で完結する遊びで、私は彼に内心の外で何の危害も加えていない。
 私が席に着くなり、プロマネ子がさあと彼は言った。私は友人たちが周囲の人々の名を口にせず話題にしたがるとき、ひどく安直なあだ名をつける。「東京都庁子さん」とか、「だんじり男さん」とか、「ホンダの君」とか、「あなたの女神さま」とか、そんなのだ。プロマネ子さんはもちろんさる企業のプロジェクトマネージャで、彼のあいまいなガールフレンドのひとりなのだった。
 プロマネ子さんはからりと陽気でうるさいことを言わない、彼にとって楽な女性であったのに、近ごろおかしいと彼は語った。私たちなんなの。彼は彼女のせりふを口にした。侮蔑の口調だった。とか言うわけ、なんなのって、なんでもないだろ。だからそう答えたら、私そんなの望んでないって。もういいって。放っておいたら三日で連絡来たから待ちあわせして、そしたらすっぽかされてさあ、意味がわからない。わかるでしょうよと私は言った。もちろんわかると彼はこたえ、ああめんどくさい、と嘆いた。そうかいと私は嘲笑する。楽しそうだね。
 彼は腹を立てて言いつのる。だってそんなの好きとかじゃないだろ、ただの執着だろ、ほしいほしいほしい、あれをしろこれをしろ、自分の思うようにしろ、そういう気分だろ、俺はそういうのにはもううんざりだ。私はにやにやと笑う。だってあなた、それがほしいんでしょ、うんざりしながらアディクトしてるんでしょう。うんざりと依存症は仲良しだよ、たとえば彼女があなたを大好きと言って、会いたいってメール送ってきて、だめって言ったらしょんぼりして、それっきりで、それなりに楽しく暮らしてて、また会えたらすごく喜んで、それだけだったら、つまんないんでしょう。
 私の描写してみせた人物は彼がついこのあいだ切り離した相手だったから、彼は私をにらむ。私は楽しくなって話す。聞いてるとあなた、暗示がすごく上手い。自分が彼女の理想の男であるかのような、自分は実は彼女に恋をしているのだというような、それから彼女もそうであるというような、けれどもそれらを直接に指し示さない言い回しが、すごく巧い。あなたは彼女の心をかわいがるのがとてもうまい、子どもを砂糖中毒にする悪いおばあさんみたいに。
 もともと「砂糖中毒」だったんだろ、と彼は言う。俺のせいじゃない。そういう人ももちろんいる、と私はこたえる。というか、思春期にさかのぼればみんなそうだったと言ってもかまわない。マキノもかよと彼は目をむく。信じがたい。私はにやりと笑う。長かったですよ、私の思春期は。そのときの恋人にとっては、あなたの言う地雷というやつで、それはそれはひどかったね。過去の私に比べたらプロマネ子さんなんかかわいいもんよ。私がうふふとほくそ笑むと彼は気味悪そうに椅子を少し下げた。似合う者しかそれをおこなってはならないと思う程度に彼はそれに対する幻想を抱いている。そう思って私は、いい気分で口を利く。
 いまだ思春期にある成人もいるし、うまく丸めて大人になった人もいる。それらのあいだに線引きは実はできない。あなたのしていることは彼女たちの保持する思春期性みたいなものを引っ張りだす作業だと私は思う。あなたが飢えているのは、愛じゃない、あなたが飢えているのは、ただ自分なしでいられない人、自分が肯定できない今の自分を肯定する道具、可哀想な自分が可哀想じゃないように思える薬物。話を終えて私は、言っちゃった、と思う。内心を超えて危害を加えてしまったから、この可哀想なものを、もう観ることができないかもしれない。