傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

心はどこにあったのか

彼女はそのとき駆けだしの教師で、小学校四年生を担当していた。教室に入っていくと子どもたちのざわめきが急激に収斂し、教卓に立って視線を送るとさらに小さくなった。小さい机、小さい椅子、小さい靴。よく動く不安定なからだ。子どもがいっぱいいるのを見るだけで、私は正しい職業選択をしたと彼女は思う。何度でも思う。
その日は通常の教科とは別に、命についての授業を予定していた。手はじめに彼女は、心はどこにあると思う、と訊く。子どもたちは習っていないことを質問されたときよくそうするように、小さい声で相談したり、他の子どもの反応を気にして視線を泳がせたりした。
彼女は誰とも相談せず、視線も動かしていない少年を指名する。はい、キムラくん。心はどこにあると思いますか。
あたまにあると思います、と彼はこたえる。どうしてと訊くと、脳があるからですと彼は言う。彼女はくるりと目を回してみせ、あらまあ、つまらない子ねえ、と冗談めかして言う。
教室中の子どもたちが笑った。笑われた子どもは首を動かさず視線だけでその様子を伺い、一度うつむきかけてから面を上げた。十歳の子らしい仕草ではなかった。彼女はにっこりと笑い、両手を広げて子どもたちの声をおさめる。じゃあ次はサトウさん、心はどこにあると思いますか。えっと、しんぞう?胸のなかにあると思います。
教室の空気はよくほぐれ、子どもたちは適度に集中していた。新任の教師はしばしば教室を制御しそこねるけれども、彼女はそんなへまをしたことはなかった。彼女は上手に子どもたちの目をひきつけ、頭を働かせることができた。彼女はそのことをよく自覚していた。
彼女は黒板に向かってチョークを動かす。長く線を引く。チョークがぽきりと折れた。私はさっき何をした、と彼女は思った。三分前、どうして私はいい気分になったの。指先が不意に冷たくなり、彼女はゆっくりと振りかえる。子どもたちが彼女を見ていた。笑われた子も彼女を見ていた。

あのときごめんなさいって言えばよかった、と彼女は言う。私は意図的にみんながあの子を笑うように仕向けたんだ、私は子どもらしくない子どもが好きじゃなかった、ずっとそうだった、それまで無自覚だったけど、私はあの子が嫌いで、だから嫌がらせをしたのよ。
それに気づいたのはどうしてと私は訊く。わかんないと彼女はこたえる。わかんないけどチョークでこう、ぴーっと線を引いてたときに気づいたの、私は悪意を持っていたんだって。あのときの私の心は子どものほうを向いていなかった、私の心は気に入らないものを排除する方向を向いていた。私は子どもが好きで教師になったんだと思っていた、でも私が好きだったのは子どもらしい子ども、自分がコントロールできる子どもだけだった。そんなのって子ども好きって言える?子どもらしくない子どもだって、ちゃんと子どもなのに。
まあまあと私は言う。まあそう潔癖に考えずに。子どもらしい子どもが好きだっていいじゃない。教師だからすべての子どもが好きじゃなきゃいけないなんてこともないしね。もちろん子どもを傷つけてはいけないけれど、それくらいなら本人もすぐ忘れちゃうんじゃない。もう十年も前の話なんでしょ。
彼女は眉間に皺を立てて私をにらんだ。あなたは子どもの心のはたらきをわかっていない、子どもっていうのはね、執念深いの、その後あったいやなことを忘れても、小さいころにあったいやなことはよく覚えてるものなの。あの子は覚えてると思う、もう大人になってるはずだけど覚えてると思う。
じゃあなんでそのとき謝らなかったの、と私は訊く。直後に自分の本心に気づいたわけでしょう、じゃあその次の休み時間にでもさ、さっきはごめんね、先生のせいでいやな思いさせちゃったね、って言えばよかったじゃんか。
彼女はまたしても、この人はなにひとつわかっていない、といいたげな顔で私を眺めて、言う。あのときは教師としての自分のダークサイドに気づいただけでいっぱいいっぱいになっちゃったのよ、気づいたらもう謝れるタイミングじゃなかった。
いい先生だなと私は思う。有能で潔癖で非効率的なくらい考え深くて子どもみたいに執念深い、いい先生だ。