夜中に帰宅して居間のフットライトだけをつける。いつのころからか思い返すと、二十年ちかくそうしている。あとで妻になった彼女と、どちらかのワンルームに泊まっていた学生時代、いずれかが先に眠ってもかまわないよう、そうしていた。
音をごく絞ったテレビをつける。誰かが氷の上で踊っているのを観るともなしに観る。疲れると人間がただ動いているのを視界に入れたくなる。よく知っているのは陸上、ルールがそれなりにわかるのはいくつかの球技。どういう競技かもよく知らなくてても、テレビに映っていたら漫然と観る。今夜はフィギュアスケートだった。
もう結婚していたか、それともまだだったか、とにかく、妻が言っていた。あなたは言葉があんまりうまくないから、疲れてるときは人が話す番組はいやなんじゃないの。さみしいから人間を見たいけど、口を利いている人間は鬱陶しいから、踊りとか観てるんじゃないの。言葉があんまりうまくない? なんのことだろう。僕はおしゃべりなほうだと思うし、率直なほうだと思う。
おかえり、と妻が言った。寝室の扉がひらいて、ちいさく顔を出していた。なんだか可愛いのがいるな、と思う。なんだこれどうして俺の家にいるんだよクソ醜いな、と思う。ああ妻か、と思う。当たり前だ、家に帰ってきたのだから。あ、世界選手権の再放送じゃん、わたしも見る。妻は言い、ソファに座った。うたた寝していたのか、ちょっとむくんだ、平和な顔をしていた。妻が訊いた。どうだった、ここまで。どの子も転ばなかったよと僕はこたえた。
子。妻はつぶやき、あのさあ、と尋ねた。昔から気になってたんだけど、あなたスポーツ選手にかぎって「あの子」とか「この子」とか言うよね。なんで。
僕はびっくりして、だって子どもじゃないか、と言いかける。それから、なんでだろ、とこたえる。この大会の選手なんか、三十歳の人いるよ。妻が指摘する。子どもなわけないし、あなた普段、大人に「子」って言わないでしょ、二十歳超えたら大人扱いするでしょ、そもそも、ジュニア大会に出てるんじゃなければもう大人だって、昔言ってたじゃない、学生とのときとか。学生選手を子ども扱いするべきじゃないって。
僕は何か都合の悪いものを感じて、時間を稼ぐためだけに、そうだったかな、と言う。稼いだ時間で思いついたせりふを言う。年だね、若い人が子どもに見えるのは。妻はそれに対しては何もコメントせず、お、と言う。テレビ画面に日本人の選手が出てきた。
選手がぐらつく。僕は腰を浮かせる。選手はぶれた体軸を立て直す。僕は息を止めていた。僕は息を吐いた。転ばなかったね、と妻が言った。僕は自分が少しおかしいことに気がついた。フィギュアスケートを僕は好きではなかった。好きではないのに、どういうわけか見てしまうのだった。その理由はたぶん、とにかくよく転ぶ競技だからだ。僕はひどく都合の良くないことに気づき、それを退けようとして、あきらめた。そこには何かがあるのだ。
妻がちょっと笑う。僕もしかたなく笑う。思い出した、と妻が訊く。思い出した、と僕は言う。
自分が十九のときに大会で転んで陸上競技を辞めたこと、それ自体を忘れていたのではない。ただ、たいしたことではないと思っていた。スポーツ自体が自分にとっては余技であり、学生時代の趣味であり、体力づくり程度のものだったと、そう思っていた。けれどもそうではなかった。今の今まで忘れていたけれど、十代の僕にとって、それはとても重要なことだった。僕の最初の人生は走ることを柱に構成されていて、僕の原初的な喜びはそこにあった。そうして僕はその過去を、丸ごと否定した。捨てた。僕は転んだから。十九のときに、全国大会の決勝で。
忘れていた、と僕は言った。そう、と妻が言う。話さないんじゃなくて忘れるんだよね、人間はとことん都合の悪いことを認めないよね。いつから気づいてた、と僕は訊く。六年前。妻はやけに具体的にこたえた。
学生のころは単に話したくないんだと思ってた、大会で転んだのがショックだったんだろうし、格好いいことじゃないから。だからその後は話題にしないようにしてたんだけど、子どもが歩き始めたころ、あなたちょっと異常だったよ。自分では気づいていなかったかもしれないけど、子どもは、転ぶものだよ、そのときに、あなた、おかしかった。子どもなんて転ぶために歩いてるようなもんなのに。あのね、そろそろ大丈夫になってよ、うちの子はこれから自転車を練習するんだし、いっくらでも転ぶんだから。