彼は見て見て、と言い、一枚のプリントアウトを差しだした。私はそれを熟読して、すごいねえと言った。人の奥さんに手を出すなんて、意外ともてるんだねえ。あと悪いことしてお金いっぱいもらってるみたいだから今日おごって。
彼はふふふと笑ってその紙を元通りに折りたたみ、フォルダにはさんでから鞄に仕舞った。いやあ、先輩から聞いてはいたんだ、この仕事をしていると十人に一人は匿名で悪口を書きたてられるって、あ、ここに書いてあることはみんな嘘だよ、言っておくけど。
彼はそう言い、そうかあと私は言った。少し残念だった。せっかくの怪文書だ、少しは真実が含まれていてほしい。
一緒にいた彼の彼女は長いため息をつき、この人はどうしてこんなにうれしそうなのかしら、と言った。彼女は私に訊いているふりをして、ほんとうは彼に訊いている。私はそういう触媒みたいな役回りが嫌いではない。
私は少し考えてこたえる。人はその内容の善し悪しにかかわらず自分に関する情報にひきつけられるものだけれど、そのほかにも、自分に関する悪口には人を高揚させる性質があるんだと思う。私の知りあいがSNSで自分の悪口を書いている人を見つけたんだけど、もう目が離せなくなっちゃってずっと読んでるんだって。胸がどきどきするって言ってた。
むかつくんじゃなくて、と彼女は訊く。なんかね、むかつくというより、ほとんどうれしいような気がするみたい、と私はこたえ、少し考えてから説明する。
私その気持ちがわかる気がする。どうしてかっていうと、うん、これは私個人の考えだけれど、よく見られたいという気持ちと同じだけの「悪く見られたい」という欲望を、私たちは持っていると思うのね。
彼はそれを聞いてにっこりと笑う。そうして私の話を引きとる。感じのいい笑顔だと私は思う。感じのいい笑顔で感じよく話し、感じのいい彼女を連れて適度に仲良くしている彼の、幾重にも折りたたまれた心情と性癖。
それよくわかるよ、なんていうか、可能性みたいなものを指摘されたいという気持ちなんじゃないかと思う。下劣であったかもしれない自分、下劣でありうる自分、下劣になるかもしれない自分についての噂を目にしているような気分なんだろうね。僕は汚い真似をして大金を稼ぎたいし、人の女に手を出したいし、その女をゴミのように捨てたいと思うよ。そして僕は誰かが泣くのはいやだし、クリーンで幸福な仕事をしたいし、親しい相手を尊重して良い関係を築きたい。僕は矛盾している、僕はいろいろな僕が混じってできている、それだから僕はどこかで僕に対していつも口汚く罵りたいと思っている、つまり、罵られるべきだと思っている。それで他人が悪口を言うとなんだか興奮しちゃうんだろうね。可能性が可視化したみたいで。
彼はそう言い、彼女は憤慨する。何それ、私は他人だから可能性なんて見えない、そんなの知ったことじゃない、可能性とかどうでもいいし悪口はむかつく、私の彼氏の悪口いうなって思う。
彼は彼女のせりふを聞いてとても幸せそうに笑った。