傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

暇なやつ、それから悪いことしないやつ

 わたしがどのような人間か説明するとしたら、そのひとつに「暇そうで悪いことはしなさそう」という項目を入れる。
 わたしはものすごい方向音痴である。それなのに道を訊かれる。外国でも訊かれる。電車の乗り方を訊かれる。それからちょっとした頼まれごとをする。ひところは旅行のたびに観光地で誰かの写真を撮っていた(今はセルフィーが多いからか、減った)。飛行機に乗れば隣の人から「このボタン何に使うんだと思う?」「そのペン貸してもらえない?」などと言われる。たまには黙って乗って黙って降りたい。一昨日は搭乗するなり「ちょっとお願い」とスタバの飲み物を手渡された。彼はそれによって自由になった両手を使用して自分の荷物を仕舞っていた。ありがとう、と彼は言った。

 わたしは暇そうなのだ。居住地にいても、世界のどこにいても、誰といてもひとりでいても、たとえ急いでいても、暇そうなのだ。
 わたしは観光客と地元の人がくつろぐ港の公共市場の外のベンチで薄ぼんやりしていた。わたしは海外で薄ぼんやりするのがたいそう好きである。
 市場にはフードコートがあり、人々はそこで昼食を買い、海の見える広場のベンチで食べていた。広場には楽器をつまびく人や歌を歌う人がいて、お金をもらおうとするでもなく演奏しているのだった。
 気がつくと小さなリヤカーに機材とバイオリンケースを載せた男性がわたしの横にいて、やあ、と言った。やあ、とわたしも言った。あのさ、と彼は言った。これ見ててくれる。二分で戻る。
 彼はそそくさと市場が入っている建物に消えた。手洗いだろう。
 薄ぼんやりしていると彼は戻り、ありがと、と言った。見ててくれたんだ。
 とうとう見知らぬ人から商売道具を預けられる身になった。なんだか極まったな、とわたしは思った。

 わたしがこのたび旅行している町は多文化共生を旗印にしていて、いろいろなところでいろいろな人が働いている。たとえばパリとはちがう。わたしはパリをとても好きだが、清掃業者やいわゆる下働きがことごとくアフリカ系であることに、いつまでたっても慣れない。生理的な嫌悪感を覚える。この町にはその種の居心地の悪さがない。
 この町には素敵なブリュワリーがあって、来るたびにお土産にしている。そのためにリカーショップに行く。個性豊かなローカルビール、デイリーから贈答品までカバーするワイン、それからほんの少し、カクテルに使うようなスピリッツと上等なウイスキー。酔っぱらうためだけの安酒はない。
 スーパーマーケットに行けばうっとりするほど新鮮な野菜が大量にあって、干した野生のきのこや量り売りの美しい精肉や加工肉やチーズ、ぴかぴかのサーモンや鱈が並べられている。高級なスーパーじゃないのにだ。アメリカで庶民的なスーパーに行って手に入る野菜は袋入りの小さくてひび割れたにんじんだけなのに。
 わたしがアメリカ合衆国にあるとき、わたしはそれを手に入れて宿に戻り、かなしい気持ちでさりさりと噛む。わたしの好きな、とてつもなく豊かであまりに貧しくて底抜けにさみしい、アメリカ合衆国。ニューヨークのオーガニックスーパーで野菜をいっぱい買って、その日の夜にバーで隣り合わせたアメリカ人から「行ったことがあるのはニューヨークとLAだけ? 毎日生野菜を食べている? ではあなたは本当のUSAに行ったことはないよ」と言われた。彼女はわたしにハイネケンを奢ってくれた。それから、あなたはかわいそうな子だねと言った。きれいな人だった。

 このたびの旅行では中心市街地に宿をとっているけれど、人々はあまり夜遊びをしないようだ。この土地の人々はそんなのよりアウトドアを楽しんでいるように見える。街中には犬連れの人がたくさんいて、犬たちはみな、毎日たくさん散歩してもらっているように見える。

 こんなにもヘルシーでピースフルでファミリアな土地にいて、そうして友だちも親しい人もできずにドロップアウトしたとしたら、どんなにか孤独だろう。アメリカでの孤独の比ではない。
 そのような人であるバージョンのわたしの朝昼晩のようすが脳裏に展開される。きわめて安全な明るい大通りで、あきらかに様子のおかしい、おそらくドラッグをたくさんやっている人を見たからかもしれない。

 暇なのはいいことである。食うに困らず、おおむね世界を信頼していて、犬みたいに機嫌がいい。わたしはそのような人になりたいと思って努力してきたのかもしれなかった。足下に散らかった、わたしに投げつけられた小石の数々を、ひとつひとつ腰をかがめて、すべて拾って、それらをいちいち磨いて、そうして生きてきたのかもしれなかった。

彼のスタイル

 わたしが彼氏と出会ったのはインターネットのオフ会だった。十年前にはそういうのがあったのだ。映画好きのオフ会である。いわゆるシネフィルの集まりで、面倒くさい人間ばかりが来ているのだろうなと思って(わたしもそうだ)、面倒くさい人間同士で楽しく飲もうと思って行った。
 その中に彼はいて、そして、驚異的にめんどくさくなかった。なんでだろ、たましいの薄暗さはわたしや他の人と変わらないのにさ。
 いや俺はめんどくさいですよ。オフ会で意気投合して後日ふたりで飲みにいったら、彼はそのように言うのだった。あなたがあまりにめんどくさいから俺のささやかなめんどくささが気にならないだけでしょう。
 そうかい、とわたしは言う。そうですよと彼は言う。彼はずっと背筋を伸ばしていて、ジャケットの襟とまなじりとくちびるの端がナイフで切ったみたいなかたちして、いいにおいがして、わたしばかりがラフで、化粧もろくにしていなくって、だってわたしと彼は職場も関係ないし共通の知り合いもいなくて、だから旅先でよくするみたいに、知らない人と話をしに来た。
 彼は居酒屋のテーブルにもバーのカウンターにも決してひじをつかなかった。きれいな男の子、とわたしは思った。厚い黒髪を切れ長の目にかぶせて、眉間のすぐ下から鼻筋をのばした、色の白い、きれいな男の子。ぜんぜんわたしの好みじゃないんですけど。わたし濃いめのマッチョがタイプなんですけど。
 それはスタイルなの。
 駅に戻る道の途中でわたしが尋ねると、彼は足を止める。男性の平均身長ほどのわたしをちょっと見下ろしてわずかに首をかしげてみせる。
 わたしは不意に苛立つ。大股で歩く。
 可愛いね。いい男だね。若すぎるから、かしこくてよくしゃべる猫かなにかと同じつもりでいた。猫じゃなかった。ぜんぜん人間だった。こんなことならちゃんとしてくるんだった。きれいにしてくるんだった。
 気に食わない。
 なんだよ、余裕かよ。おまえ。
 わたしだけ急にぜんぜん余裕ないんだけど。なんで? さっきまで部屋着感覚だったんですけど。ねえなんで? なんでそんなにすっきりした顔してんの? わたし今しがた急にすっきりの反対になったんですけど? わたし気持ち悪いな。わたしだけ気持ち悪いな。
 おまえ何しに来やがった。

 彼は話す。
 はい。かっこつけてます。スタイルをやっている。
 彼は小さい声で言う。僕は、学生時代にバーテンダーをやっていまして、うん、とても小さい、オーセンティック・バーで。ほんとうは学業と両立できる仕事ではないんですが、近所のバーの店主にかわいがってもらって。ええ、お酒を飲める年齢になってすぐ通い始めて、カウンターの内側に立ったのは就活終わって卒業までの、ほんの少しだけ。
 若いころからバーにいたのは、どうしてだろうな。僕はきっと酒が好きだろうと、未成年のころから思ってはいたけれど、でもどうしてかな。さみしかったのかもしれないな。だから、僕は外に飲みに行くときに、身についたルールがあるんだと思う。
 だめだ。おれいまぜんぜんだめ。さっきから、かっこつける余力もないや。
 ターミナル駅が眼の前で光っている。
 わたしはぱっと振りかえり、「わたしきみのこといいと思ってるよ」という顔をする。それからちょっとかがんで、彼の視線の芯をわたしの目の焦点に入れる。わたしはそういうのを無意識のうちにやるタイプである。
 それですっとキスしたから、しかもいやらしくなくってそのままさわやかに解散するキスをやってのけたから、彼はそれからずっと、わたしの彼氏なのである。

 ねえねえ、とわたしは言う。あんたわたしのこと何も知らないでつきあったでしょ。
 そうさねえ、と彼は言う。そりゃもちろん何も知りませんでしたよ。仕事も自宅も過去も、なんなら本名も。なんかきれいなお姉さんに突然ツバつけられて、そう物理的につけられたわけよ、あれ? おれがつけたの? わかんねえや。すごい嬉しくって、スキップして帰って、そしたらえらい気が合うじゃん。もう転がりこむし引きずりこむよね。ずっと一緒にいたらいいじゃん。もうそろそろ腹くくってくださいよ。
 そうして彼はうっそりと笑って、言う。
 あなた彼氏いたよね、当時。
 いましたよ。わたしは言う。でもあれは名目上の彼氏にすぎなかった。好きな男ができたらなかったことになるものだよ。なんだ、知ってたの? わたしだけあなたが当時の彼女と別れるの待ったりして、ばかみたい。
 どうでしょうねえ。彼は言う。彼は今でもときどき敬語をつかう。外に飲みに行ったときなんかにつかう。おれのほうが、ばかみたいなんじゃないかな。

年末年始バー願望

 就職した次の年から、年末年始はだいたい海外にいた。
 わたしは高給取りでもお金持ちの子でもない。基本的に倹約家で、旅行にばんばんカネを使うのである。年末年始の旅費は高額で、だから旅行好きの中には「正月に旅行するものではない」と言う人も少なくないのだが、わたしにとっては旅行ができること以上に年末年始をやらなくて済むことが重要で、そのためならお金をたくさん払ってもかまわないのだった。

 「年末年始をやる」って何よ。
 友人はそのように尋ねる。そうさねえとわたしはこたえる。大掃除とか、暮れの元気なごあいさつとか、帰省とか、紅白とかその裏番組とか、おせちとか、お年賀とか、そういうの。わたし大っ嫌いなの。なんでかっていうと、わたしが生まれた家では、正月っていうのは、女の子どもは四六時中お年始のための労働をして、親戚どもに酌して媚び売ってセクハラに耐える、そういう期間で、夜中になってうっかり寝ちゃうと子ども部屋に入ってくるようなのもいて、襖に棒を突っぱって酔っ払いの進入を防ぐんだよ、ま、そうやって「愛想のない」状態でいすぎてもそのうち朝まで説教されて眠れなくなるんだけどね、で、世間ではそれが「正しいお正月」ってことになってた。ちゃんとおせちを準備してきちんと親戚にあいさつして、いいおうちですね、って。
 今は誰からも過度な家事労働や性的労働を強制されないし、眠らせない拷問とも無縁の環境にいますよ、でも、もうね、正月のアイコンが全部ダメなんだよ。そんで年末年始日本にいたら自分の嫌いなものがおめでたいものとしてしょっちゅう提示されるわけ。そんなの脱出するしかない。毎年毎年機長にメリークリスマスアンドハッピーニューイヤー言ってもらう。

 なるほどねえと友人はこたえる。わたしはお正月は普通に楽しい。帰省すると親がちょっとうざいな、くらいで。ほら、彼氏作らないのか結婚しないのかっていうやつ。あれはあった。でも親は、けっこう前に諦めたというか、察したっぽい。うちの親わりと子どもの結婚とか孫とかに執着しないタイプだったみたい。あとわたしのことけっこう理解してくれてるっぽい。助かる。わたしがダメなのは、クリスマスのほう。
 自分が恋愛しない人間であることは別に恥じてない。したくならないからしない。それだけ。よそのカップルはなんかかわいいなって思う。ふだんはね。でもクリスマスは、なんていうか、閾値を超える。わたしたちバブル期に小さい子どもだったでしょ、そのあたりの恋愛万歳コンテンツの刷り込みが取れない。「大人になったらこういうことしなくちゃいけないのか」と思ってた。いやだけど大きくなったら変わるのかなって。それもいやだなって。気持ち悪いなって。
 変わらなかったけどね、その点においては。「そのうち恋をするわよ」なんて気持ち悪いせりふ、何度言われても「うっせえ」だよ。小さいころからずっと。

 別の友人が言う。いやあたいへんだね二人とも。わたしはそういうのはないなあ。でも夫の実家には行かないけどね。ううん、働かされるとかはないの、いい人たちですよ、でも別に友だちとかではない。わたしが自分で選んだのは夫だけで、あとのつきあいは任意にしたい。だから行かない。それをとやかく言う人はいなくもない。旦那さん理解あるんですねとか言われる。そういうちょっとしたイヤ感はあるな。

 年末年始が十全に楽しい人って、いるのかな。わたしがそのように言うと、彼女たちは笑って、年末年始は楽しいものでしょ、と言う。シンプルに仕事が休みなだけで楽しいじゃんねえ。あんただってイルミネーション観に行ったりするじゃん。
 まあねえ、とわたしは言う。キラキラしててきれいだから行く。観たらきれいだなと思う。でもそれはそれとして正月は具合悪くなっちゃう。だからさ、はたから見たら楽しんでる人だって、ちょっとしたイヤ感があったり、人によっては具合悪くなるようなしんどさを抱えてたりするのかなーって、そう思うわけよ。
 筋トレマニアは三が日ジムが閉じて憂鬱だろうし、お正月になるとやさしかったおばあちゃんのこと思い出して泣いちゃう人もいるだろうし、地元のいつメンとなんとなく気が合わなくなってきたなーって人もいるだろうし、年末特番で好きな番組が休みになっちゃった……とかもあるだろうし。
 わたしさあ、そういう人が来て話す年末年始バーをやりたいんだよね。赤の他人だから話せる重い話も、「仕事納めが終わると近所の犬友がみんな犬を連れて帰省するからうちの犬がさみしがる」みたいな話も、聞きたいんだよねえ。

世が世ならスターだったような人

 直属の上司に関して、人事からの聞き取り調査が入った。要は「あなたの上司、パワハラやってませんか」という話である。
 この部署では、二年前にメンバーがひとり、次の転職先なしに辞めている。それから一人が見るからにまいってしまって休職した。その後ついに「転職先が決まったから、全部報告してから辞める」というメンバーが出たのである。
 全部報告してから辞めるという同僚はなかなか用意周到で、時間をかけてじゅうぶんな証拠を収集し、満を持して告発をおこなったのだという。そうしてわたしたちにも「調査入るだろうからよろしく!」と根回ししてきたのだった。なんだかハイになっていた。
 助かるなあ、と思う。あの上司、できればいなくなってほしいもの。
 とはいえ、実のところわたしは、やんわりとした被害しか受けていない。上司は男性で、彼からきついせりふを投げられ、長時間拘束されるのは、必ず男の部下なのである。

 上司は羽振りのいい、見栄えのする男性である。部下を連れて行く飲み会は彼の奢りだ。上司はわたしたちの会社が大きくなる前からの社歴があり、トップの覚えもめでたく、ヒラの若手社員の感覚では信じられないくらい給与も高いようだった。
 上司の飲み会の一次会はあっさりと終わる。上司はよく飲み声が大きくなるが、それだけである。そしてわたしのような女性社員はその場で帰される。
 そのあとは男性だけで二軒目、三軒目に流れるのだと聞く。
 二軒目以降はほとんど必ずキャバクラに行くのだそうだ。それもまた奢りで、終電がなくなるとタクシー代までくれる。それでも今どき明け方まで上司と一緒にいたい若手社員などいない。最後は押しつけあいのようになるのだと、誰かが言っていた。
 上司はあきらかに女性社員を敬遠している。物腰柔らかに、ていねいに接し、そして一定以上のハードな、すなわち重要な仕事は与えない。「セクハラにならないように」という姿勢であるらしい。そして、重用するのは必ず男性の部下である。
 よくわからないけど、業務に関する事実上の意思決定の場が私的な飲み会に設定されていて、そこに「女の子」の部下は呼ばれないのだとしたら、その排除だって結構なセクハラじゃないだろうか。

 上司は仕事ができる人間だったそうである。長時間労働を平気でこなし、社内や取引先の年長者に好かれ、同世代のあいだでもノリがよく、女性社員の評判も良かったのだそうだ。
 世が世ならスターだね、とわたしは思う。花形の社員。
 わたしは上司を好きではなかったが、それでも最初は「仕事はできるから」と思って認めていた。実際彼の根回しは的確で、だから自分の意思決定を上まで通すことができて、それで数字も出すのだ。
 でもよく見ていると、その成果の多くは、どこかに圧力をかけた結果なのではないかと思われるものだった。彼はどこにどのような圧力をかければ自分の仕事にプラスになるか、もっと言ってしまえば自分の仕事の成果が上がっているように見えるかを、よくわかっているようだった。
 わたしはだから、上司への評価を少し修正した。「本質的に仕事ができるわけではないけれど、社内政治に長けていて成果を出す」というふうに。
 でもその「政治」は誰かの犠牲なしに成り立たないものだった。そしてその誰かは、社内であれ取引先であれ、彼より弱い立場の人間だった。わたしがやんわりと排除された上司と男の子たちのサークル(ほんとうにそんな雰囲気だった。大学のサークルみたいな)からは、わたしにまでぽつりぽつりと不満のことばが届いた。その内容は「わたしはあの上司によって重要な仕事をさせてもらえない状態だが、それでも男性社員じゃなくてよかった」と思うようなものだった。
 そして退職者と休職者が出た。わたしは上司への評価を大きく修正した。あの人は仕事ができるのではない。他人を利用するのが上手なのだ。
 今の男の子たちはそんな人間にいつまでもつき従ったりしない。

 わたしは思う。今でも、あの上司のことをかっこいいと思う人はいるはずだ。なにしろ二年周期で不倫相手を取り替えているそうだから。相手はもちろん社内の「女の子」である。もてそうだもんな、とわたしは思う。わたしには理解しがたいことだが、一部の人は、整った顔だちと羽振りのよい身なりとコミュニティ内での強者ポジションがあれば、それだけで相手を好きになる。
 わたしはLINEをさかのぼる。スクリーンショットを取る。無責任なうわさにすぎないんですけど、と注釈を入れて、人事にそれを見せる。
 こういう追撃があちこちでおこなわれているんだろうな、と思う。

そうそう、戸籍の附票とかあれこれロックしたのよ

 わたしには長年のストーカーがいるじゃない? 生物学上戸籍上の母親ね。そう、わたしが断絶を宣言して、賃貸の緊急連絡先から何からぜんぶ赤の他人にして行方をくらまして、そしたら母親が戸籍の附票とりまくって引っ越したら秒で手紙出したりマンションの前で待ち伏せしてたりした、あれ。仕事の都合もあって引っ越し八回したけど、まだ来るからね。いやあもう長いよ、二十年以上毎月とかの頻度でせっせと附票取ってるわけ。シンプルに奇行。
 わたしは、どうあってもインターネットに名前と職場が公開される仕事をしているからさ、押しかけ先はぜったいわかるのよ。だから戸籍の附票やら何やらはロックしてなかったんだけどね。
 うん、制度上はかけられる。そうそうDV等支援措置ってやつ。二十年前にできたんだけど、当時から「どうせ職場はばれるし」と思ってた。若いころは職場でそんなに力もなくて、職場にストーカーが来てポジションがあやうくなるくらいなら自宅に来るほうがなんぼかマシだった。わたしの母親という人は権威に弱いから自宅がわかれば自宅のほうに来ますよ。

 そんでもさあ、わたし結婚することにしたじゃん。わたしは、結婚したらストーカーが結婚相手にまで迷惑かけるから、それもいやだったんだけど、それ以前に、結婚という制度が嫌いだから、ぜったいしないつもりだったけど、ずっと一緒に住んでたら「内縁の夫」にはなっちゃうわけ。そんで法律婚するとわたしが死んでもわたしの財産の三分の一がわたしをゴリゴリに虐待した両親のところにいかなくて済むわけ。うん、それは法律婚するか親が死ぬかしないと絶対避けられないことなのね。
 だから、もう実を取ろうかなって。職場のポジションもストーカーごときで脅かされない状態になったことだし、貯蓄もそれなりにできて、「いま死んだら三分の一もってかれる」と思ったらおちおち交通事故にも遭えやしない。もう思想信条より実を取る。

 それで戸籍の附票やら何やらロックすることにした。
 親という立場の人間はぜーんぶ見られるの。結婚相手のことだけじゃない、婚姻届もろ見られる。証人欄の住所氏名もぜーんぶ。それは彼らの権利なの。

 その権利を制限するための手続きで、嫌な思いをするだろうと思ってたんだよね。だって、親とかかわりなく人生を送っているとわかると、当然のように人は言うからね。どうしても親御さんと仲良くできない? 親御さんにもいろいろ事情があるんだよ。育ててもらった恩があるし、何より子どもを愛さない親なんかいないものです。
 はは。
 知らんし。
 わたしと同じ目に遭っても「子を愛さない親はいない」って言う人はいるでしょうね。殺されても口がきけるならそう言うんだろうね。
 でもわたしはそうじゃない。
 わたしはだから、定番のせりふが来るんだろうなーと思って、区役所と警察署に行って、また区役所に行ったのよ。

 そしたらねえ、もう、すごいの。
 誰も加害者を庇わないの。わたしを被害者として手続きを進めるの。相手が親でもだよ。すごい。時代は変わった。「子ども」の立場の人間に、暴力被害を認めている。
 警察なんかね、担当の人、昔ながらって感じの男性警察官よ。その人の仕事は支援を求める人、この場合はわたしに、支援が必要かを判断することなのね。でも証拠を出せとかは言わない。それはあらかじめ調べてわかってた。基本は自己申告。相手を裁くためではなく、戸籍を使用したつきまといを防ぐための手続きだからかな。
 それでわたしは、嘘じゃないことがわかればいいのかなと思ったんだよね。実際その警察官、ドラマの刑事さんみたいな目つきしたからね。眼力のタツ、みたいな。
 それで話すでしょ。概略、小学生のころ、中学生のころ。その後エスカレートし、と言ったところで、警察官はぱっと遮って、はい、もう結構です、とこう言うの。
 嘘じゃないってわかればいいなら、そこまででもじゅうぶんなんだろうね、素人考えだけど。
 それに、強そうな警察の人だって、子どもがひどい目に遭う話を必要以上に聞きたくはないのかもしれない。これは想像だけど。

 その警察官さあ、SNSにうかつなことを書かないようにって、彼氏にも気をつけてもらうようにって、危ないんだからねって、出口まで送ってくれながら言うのよ。そんなんわかってるって。

 親にふるわれた暴力はなかったことにされるから、わたしはずっと腹を立てていた。でも今は、がんばって申請すれば、少なくともうちの自治体では、そうじゃなくなったみたい。なんか、ほっとしちゃうよね。でももちろん、まだぜんぜん不当なことだって、あるんだけどさ。

わたしの愚かなきょうだい

 姉が来た。
 姉の住処はさほど遠くないから、わりとしょっちゅう実家に戻ってくる。姉が来ると高齢の祖母の介助をいくらか任せられるから、わたしも両親もやや助かる。祖母は施設に入ることが決まっているから、家にいる間にたくさん顔を見せてほしいし。
 玄関に行くと姉が足元にかばんを置いたまま彦左衛門と対峙していた。彦左衛門は犬である。なぜ現代の人間より文字数が多い立派な名前なのかはわからないが、この犬は保護犬であって、名前は前の飼い主がつけたのをそのまま使っていて、その由来は不明である。
 彦左衛門は姉が就職して一人暮らしをはじめたあとにうちに来た。そしていまだに、姉とわたしの区別が、どうやらついていない。わたしたちはたしかに外見の似た姉妹だが、見間違えるほどだろうか。犬は視力が弱いから、匂いがそっくりなのだろうか。なんかちょっとやだな、姉ちゃんと同じ匂いなの。
 ともあれ彦左衛門はわたしを振りかえり、しばらく考えこんだのち、すごすごと定位置に戻った。ヒコはさあ、と姉が言う。あんたが家にいるはずなのにわたしがドアをあけたもんだからびっくりしてたんだよ。まだわかってないんだね、二人いるって。おばかさんだねえ。

 姉が来る日は父も母もいそいそと早く帰ってくる。それでみんなで食事をするのである。仲が良いからではない。いや、仲は良いのだが、それ以上に皆、姉が心配なのだ。妹であるわたしも、心配される側でなく、する側である。
 俐子、と父が口火を切る。俐子は姉の名である。俐子はもう生活費にこと欠くような追っかけは卒業したのだろうね。
 姉の目が泳ぐ。うん、と言う。姉は嘘が下手である。後ろめたい時には「後ろめたいです」という顔をする。父は静かにプレッシャーをかける。姉は小さい声で「いや前の推しはもうね、ぜんぜん、降りたんだけど、中学生の時に好きだったほらあの、あのバンドがさ、期間限定復活公演でね」などと、もごもご言う。それから慌てて、ごはんはちゃんと食べてる、と言う。姉は推し活で散財しすぎて、言うまでもなく年下の、そして収入も自分より低い妹であるところのわたしに家庭内借金をしており、いま現在も返済の只中なのである。
 それに俐子あなた貯蓄はどうしたの。
 母が追撃する。あなたみたいな子こそ天引き式の貯蓄をやらなくちゃいけないと言ったでしょう。ちゃんと手続きした? それなら返済が遅れてもいいって、玲子は言ってくれたでしょう。
 玲子はわたしの名である。
 姉はぱっと顔を輝かせ、うん、やった、と言った。家族全員が笑顔になった。どうやら職場で手続きを手伝ってくれる機会が設けられたらしい。助かる。家族として礼を言いたい。
 つみたてNISA? 確定拠出年金
 母が笑顔で尋ねると、姉は再び目を泳がせ、えっと、とつぶやいた。あの、なんか、会社がやってくれるやつ。
 祖母が小さくため息をついた。祖母は自分が介護施設に入る資金を若いころから溜めていた。

 このように姉はこの家の誰にも似ていない。愚かである。彦左衛門のように愚かである。しかし、彦左衛門は犬であり、うちで飼われていて、生涯を家庭犬として過ごすのだから、愚かでも良い。問題は姉だ。
 姉は子どものころから異様に勉強ができた。塾にも行かせていないのに、と両親は言っていた。それに対する姉の回答は「教科書を読んだ」であったという。
 神童タイプは往々にして思春期に失速するが、姉はそのまま軽々とたいそうな大学を出、修士課程を経て総研に就職した。仕事はできるようである。
 しかし、他のことに関しては、姉はきれいさっぱりだめなのだ。放っておくとろくなものを食べないでわけのわからないことに熱中して散財するし、そうかと思うと一日中寝ているし、ろくでもない男とつきあってすぐ結婚して秒で離婚したし(「なんであんな男と」と問い詰めたら「その時はいい人だと思った」とこたえた)、部屋は常にカオスでたまにわたしが片づけに行っている。
 わたしは思うのだが、人間の賢さはかんたんに定義できない。知能指数でいえば姉はぶっちぎりで賢いのだろうが、現実生活においては彦左衛門クラスである。なんだよ、「なんか会社がやってくれるやつ」って。

 姉は彦左衛門を膝に乗せてしんねりと言う。わたし、ダメだよねえ。大きくなったら大丈夫になると思ったのにな。
 もう大きいのにな。
 ほんとだよ、とわたしは言う。でも怒っていない。わたしが面倒を見てやろうと思っている。わたしは姉が好きである。父も母も祖母も姉が好きである。姉は悪い人間ではないのだ。彦左衛門が悪い犬でないように。

典型に回収される

 あの子ね、もうわたしたちの話、通じないよ
 グループLINEから抜けた同級生について、一人がこのように投稿した。それは時たま思い出したように動くだけの、やけに多くの同級生が加わっているグループで、だから誰かが「退室した○○って、誰のこと?」と投稿するまで、わたしはメンバーが減ったことに気づいていなかった。LINE上の名前は本名とはかけ離れたものに変更されていて、だからわたしには誰だかわからなかった。「××のことだよ」と本名を教えてくれる投稿があり、そして、「もう話は通じない」との投稿が続いた。
 その後、わたしは「もう通じない」と投稿した元同級生に個別のメッセージを投げた。単純に気になった。
 わたしたちは通話することにした。そして彼女は語った。あの子、と彼女は言った。子、というような年齢では、わたしたちはとうにないのだけれど、彼女にとってはいつまでも「子」であるらしかった。

 変な男とばかりつきあってたでしょ、あの子。ほらあなたも「いやあ、もう、その話はいいよ」って言ってたじゃない。十年近く前かなあ。あのあたりから、あの子に会うのをやめる人が増えたの。
 でも状況は変わらなかった。うん、つまり、彼氏ができて、もしくは彼氏らしき何かができて、彼女の家に来て、えっと、相手は既婚者とかだから、相手の家には行かないのよ、彼女の家に来る、で、来なくなる。あの子はそれを嘆く。
 そこまでは知ってるよね。いつものパターン。わたしはあの子のこと大事だったから、みんなが敬遠してからも、話を聞いていた。
 そのうちあの子はスピリチュアルにはまった。スピリチュアルカウンセラーとかっていう人が、インターネットにいるんですって。そういうのが全部いけないとはわたしは思わないよ、わたしだって占い師に占ってもらったことある、でもそういうのはさ、遊びだったり、話を聞いてもらってすっきりするためのものでしょ。
 あの子にはそうじゃなかった。「真実」を語るものだった。

 その「真実」によれば、あの子の相手の男は「運命の人」なの。運命だからこそ離れる時があるんですって。専門用語をまくしたてるんでよくわからなかったんだけど、「運命の人とは、離れざるをえないときがあって、それによって二人の魂のステージが高まる」んだそうです。でね、運命の人にはランクがあって、あの子の恋愛の相手はいつも運命の人で、どんどんランクの高い運命の相手に巡り会ってるんだってさ。
 ここまでくると占いじゃない。与太話だよ。
 でもその与太話を、あの子は必要とした。
 あの子にはどうしても「運命の人」が必要だった。そしてそれは絶対に男で、絶対に恋愛対象でなくてはならなかった。あの子はどうしても、運命の男に選ばれて愛されなければならなかった。
 どうしてだろう。職があって、生活して、友だちがいて、趣味があって、きょうだい仲もよかったし、ご両親もまだお元気で、でもあの子にとってそんなのは「運命の男」の足元にも及ばないものなんだ。あの子を心配してあれこれ言うご家族やわたしやほかの友だちは、価値がないんだ。そしてわたしたちを、「魂のステージが低い」者として扱うんだ。
 どうしてかな。「運命の男」って、そんなにいいものなのかな。わたしにはそんなのいないよ。いなくていいと思ってるよ。わたしがそんなだから、あの子はわたしのこと、嫌いになったんだ。

 わたしは何も言えなかった。彼女はとても悲しそうだった。でも同時に、それが世の中では珍しくもない話だと、わかってもいるみたいだった。
 どこかへ行ってしまう人たちは、最初はひっそりと、典型的な行動をとる。その型の一つが、ある種の不均衡な恋愛である。片方が神さまで、もう片方が信者で、神さまに別途恋人や配偶者がいるような、あれだ。一度やそこらなら「そんな恋愛をすることもあるんだ」と思えないこともない。
 でも、どこかへ行ってしまう人たちは、それを繰りかえす。そしてしだいにかたくなになる。スピリチュアル商法の顧客になるのもその後の典型のひとつだが、そうでなくても、周囲の人からしだいに遠ざかってしまう。

 わたしが悲しいのは、そうした過程でその人の個性がどんどん見えなくなることだ。その人たちはなぜだか、典型に回収されてしまう。細かな個別性が、だんだん見えなくなってしまう。同じようなことをして、同じようなことを言う。
 人間は典型ではないはずなのに、なぜだか、典型に回収されてしまう。

 もういいんだ、と彼女は言った。あの子にはあの子の大切なものがあって、それはわたしと相容れない。だからもう、わたしは、諦めるしかない。