傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

ふたり狂い

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。それから半年でわたしの部下のひとりの様子がおかしくなった。部下といっても年次も近く、長年の友人でもあったから、わたしはたいそう心配した。でも彼はしだいにわたしの仕事を非難するようになった。
 最初は感染症対策についてで、これはわたしたちの会社全体がほとんど何もしなかったようなものだから、役員のわたしが責められるのは故のないことではない。
 ところが彼の非難はそれにとどまらなかった。次に持ち出されたのは通信上の安全の問題だ。たしかに、オンラインでの打ち合わせは理屈の上では完全に安全とはいえない。でも実質的には問題ない。そのように彼に説明した。しかし彼は「実質的には」では納得してくれなかった。
 彼はとうとう「自分と家族の安全を守りきれない」という理由で会社を辞めた。引き留めたかったが、彼がとても辛そうだったので、ぐっとこらえてできるだけ円滑に退職できるよう手配した。すると彼は彼の妻とともに、慰留がなかったことについての問題点を指摘するたいへん長いメールを送ってきた。そこには裁判という文字すらあった。
 わたしはすっかり疲れきって、彼が(どうにか気持ちをおさめて手続き上は通常どおりに)辞めたあともしばらく気持ちの整理がつなかなった。
 だって彼はそんな人間じゃなかったのだ。有能で、愉快で、誰の話も真剣に聞く誠実さがあって、部下にも慕われていたのだ。

 その彼から連絡があったのは疫病の流行開始から二年半が経過したこの初秋のことである。
 彼のメールにはたいへん丁寧に当時のことを詫びる文言が連ねられていた。そしてその後ろには簡潔に「退職のさいに騒ぎを起こした自分を不審に思い、精神科を受診したところ、統合失調症と診断されました。投薬治療が著効し現在は寛解しています」とあった。
 わたしは安堵した。彼は病気だったのだ。人口の一パーセントがかかる、よくある病気だったのだ。そして良くなったのだ。彼の人間がまるきり変わってしまったのではなかったのだ。

 わたしは喜んで返信した。彼は定年まで数年を残して退職してしまったのだが、知人の紹介で六十五歳定年の職を得たのだそうで、そのお祝いも伝えたかった。
 彼はたいへん恐縮したようすの返信をくれた。その文面は先のメールより感情を乗せた書きぶりで、以前の彼らしさがあった。彼はこのようなことを書いた。

 自分はもとから神経質な人間ではありました。子どもが赤子のころは新生児が突然亡くなる病気のことをいつも気にしていましたし、少し大きくなれば交通事故やけがの心配をし、留学すればそこで起こりうる最悪の事態を考えました。体調が悪くなるとそうした空想がエスカレートするので「ここまでいくと妄想的だ」「精神疾患のカラーがある」と思ったものです。もともとそんなだったから、病気になったときに自分を疑うのが早かったのかもしれません。もちろん、神経質な人間が発病する病気というわけではありません。
 妻のことも心配していただき、身の縮む思いです。その節は妻もたいへん失礼な、病的なメールをお送りしてしまいました。お詫びのしようもございません。本人も深く恥じ入っております。
 妻は病気ではありませんでした。ただわたしに症状が出たとき、わたしにひどく同調しました。いま妻のメールを読むと、まるでわたしと同じ病気であったように見えます。しかし妻はわたしがおかしな考えを口にしなくなったらほとんど元に戻りましたし、わたしが寛解してからはすっかり元気です。治療を受けずに治るのだから病気ではないと医師は言いました。
 そうした例はなくはないようです。

 そうか、とわたしは思った。
 わたしは彼の退職当時、何度も会って親しみを感じていた彼の妻にまで責められてつらい思いをしたのだが、彼女もまた通常の状態ではなかったのだ。
 十年ほど前だったろうか、ふたりで飲んでいたとき、彼はこう言ったものだった。妻は外から見れば社交的で快活ですが、あれでなかなか繊細なやつなんですよ。気の小さいわたしとはお似合いだと思っています。息子はーー息子はわたしたちと似ていないな。年頃の男の子のわりに親を好いてくれていますが、何というか、気質が違う。

 彼と妻の結びつきは非常に緊密なものなのだろう、とわたしは思う。ふたりだけで内面世界を共有しているのだろう。それを相互依存と呼ぶこともできる。けれどわたしはそれが少しうらやましいようにも思う。
 彼らが落ち着いたらまた彼らの家を訪ねても良いだろうかと、わたしは彼への返信に書き添える。

いなくなったあの人のこと

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。それから二年半、わたしの会社からは何人かがいなくなった。転職や定年退職はカウントしていない。職場を変えるのではなく、ただ辞めた人の数である。

 このところ疫病の感染状況はまったくよろしくないのだが、それでも出社は増えた。あまりに長期間なので、弊社の経営陣は「ある程度のリモートワークを残し、リスクは承知で出社してもらって、それでやっていくしかない」と考えたようである。緊急対応というには、二年半はあまりに長い。
 そうすると増えるのが立ち話である。新人や新しいクライアントについての情報交換、リモートワーク生活のこと、リモート対応で導入されたソフトウェアの感想、そして、いなくなった人の話。

 いなくなった人のひとりはわたしの新人時代の指導役だった。
 二十年前のことだから、今から考えるとハラスメントが横行していた。社員個人を「女は」と平気で属性で呼ぶ中堅社員も少なからずいたし、「彼氏いるの?」「結婚は?」などという質問は日常茶飯事、ものを言えば「可愛くないねえ」「色気ねえなあ」といったヤジが返ってきた。「あわよくば」と言わんばかりののアプローチも一度ならずあった。しかしわたしの指導役はそうしたことは一切しなかった。
 彼は有能で親切な指導役だった。しかも一度たりともわたしを「女」という枠に入れなかった。自分が指導する新人としてのみ扱った。そういうのはなかなかできることではない。
 彼はまた、他の人に対しても同様の公平さを発揮した。彼にも彼なりの党派性はあるのだけれど、「僕はこの人を尊敬しているから点が甘いかもしれない」というふうに全体での公平さをはかる姿勢を見せていた。
 いち個人としても感じのいい人だった。ちょっと変わった趣味を持っていて、よくおもしろおかしくその話をしてくれた。家族を愛し、「アメリカ人か」と突っ込まれながらデスクに子どもの写真を飾っていた。

 しかし彼は疫病下でしだいに気持ちを沈めたようだった。彼はだいぶ前から別部署の管理職をしているので、わたしとはやりとりがなかった。
 ある日、彼の上司からわたしに連絡があった。いくつかの部署の統括なので、わたしの遠い上司でもある人だ。会社の中核にいる役員のひとりだから、わたしはちょっと緊張した。
 少し電話したいというので話を聞くと、わたしの指導役だった彼が以前は見逃していたような些末な事柄について、何かと上司に指摘するというのだった。指摘される懸念はゼロとはいえない内容なので、上司は「指摘に感謝し対応する」という返信を繰りかえしていたのだが、あまりに頻回かつ内容が細かいので、だいぶまいってしまったのだという。
 そういう人だったかなと思って、たしかあなた彼の指導を受けていたでしょう、昔はどうでしたか。
 そう訊かれて、そんな人ではなかったとわたしはこたえた。新人としては寛大なイメージを持っていたし、その後もそれを覆すような振る舞いを見たことがない。でも二十年も経てば人間は変わるし、わたしは最近のことをそれほど知らない。そのように話した。
 その後彼は会社を辞めたい旨のメールを送ってきた。彼の上司にあたる役員は慰留したいと思ったが、切羽詰まった様子だったので気持ちよく退職できるよう取り計ると返信した。すると彼は慰留がなかったことに対してさまざまの憶測をめぐらせ、やりとりの詳細を記録しその問題点(と彼が思うところ)を微に入り細を穿ち指摘したメールを送ってきたのだそうだ。裁判という語も、そこには書かれていたという。
 その後、複数の役員が彼に対応し、彼は辞めたのだそうだ。

 どうしてでしょうねえ、とわたしは言った。どうしてそんなことになっちゃったんでしょう。まだ定年まで十年もあるのに、疫病前は人望だってあったのに。
 どうしてでしょうねえと、話を聞いてくれた同僚が言った。でもそういうケースほかにもあったみたいですよ。不可解な退職。
 わたしは思うのだけれど、こういう状況は人をずっと傷つけ続けるんです。疫病前の社会にしっかり適応していたとしても、疫病下でがつっとやられちゃう人はいるんです。弱いとか適応力がないとかじゃなくて、この状況がツボに入るというのかなあ。
 さみしいですね、と同僚は言った。さみしいです、とわたしはこたえた。でもこの状況に乱される心だったからこそ、あの人はあんなに親切だったのかもしれない。親切にしてくれた人格と、疫病下でああいうメールを上司に送り続ける人格は、表裏一体のものだったのかもしれない。

疫病罹患日記

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。それから二年、夫が罹った。
 夫は近所の病院に片っ端から電話をかけ、「うちでは無理ですが、○○医院ならあるいは。お約束はもちろんできませんが」「うちだとかなり待ちますし週末は検査ができないので、××病院にチャレンジしていただいてからのほうがいいかと個人的には思います」「待つと思いますが、受診していいですよ」という順序で情報を得たそうだ。
 幸運なことである。このところの感染爆発で、地域によっては検査を受けることさえままならないのだ。待つことに問題がない状態だったのでできたことでもある。疫病患者は隔離された場所で待機して疫病患者だけが受診する診察室に入るのだが、待機場所はだいたい屋外なのだ。
 わたしは自治体がやっているモニタリング検査会場に向かった。陰性。

 夫は陽性診断をもらった夜から38度台の熱を出し、それが三日続いた。寒気がひどいらしく、羽毛布団をかぶって震えていたが、それより彼を怯えさせたのが嗅覚異常だった。ゼリー状の栄養食と、調子が良いときにはわたしが作った卵がゆを食べていたのだが、「豆とか出汁とかの香りがあんまりしない」と言う。鰹と昆布の合わせだしなど正月くらいにしかやらないのだが、それを使っても「少ししかいい香りがしない」と言う。「でもうまいような気がするから白粥よりこれがいい」と言う。わたしたちは食いしん坊なのである。
 たぶん嗅覚異常もきてる、味覚の半分は嗅覚だから。やや回復した夫はそのように語り、タロを連れてきてくれと言った。タロはわたしたちの犬である。ふだんは入れない寝室に連れてこられたタロは「おすわり」と言われるがままにじっとしている。ふだんは元気ないたずら者なのに、空気の読める犬である。
 夫はタロの頭頂部に鼻をうずめ「くさくない」と悲しそうにつぶやいた。
 犬は犬くさいものである。シャンプーから二週間経った犬に密着して息を吸ってくさくないなら明らかに異常だ。タロはしんねりと座っていた。

 やがて夫は通常の食事が取れるようになり、タロをかいで「くさい!」と大喜びし、無事に自宅待機期間を終えた。このたびの疫病では夫の症状はごく軽症である。しかも自立生活をいとなむ大人ふたりの家だ、負担もそうはない。小さい子どもふたりがいる一家全員で倒れた友人がいたが、彼女はどれほどたいへんだったことだろう。わたしはぜんぜん苦労していない、幸運な人間なのだと思うべきである。

 そう思ったのだが、いざ自分がかかるとぜんぜん幸運とは思えなかった。
 夫が自宅待機を終えた一週間後、今度はわたしに疑わしい症状が出た。熱ではない。味覚異常である。
 その日は豚肩ロースのブロックを角煮風に煮ていた。途中で煮汁を味見して、わたしはぎょっとした。塩味がほとんどない。そして金属っぽい苦みがある。来た、と思った。醤油と砂糖をどぼどぼ入れた煮汁から金属味。生理的な恐怖を感じた。
 夫のかかった病院に電話して受診、陽性、職場に連絡。夫は粛々と買い置きの経口補水液を冷蔵庫に詰め、「僕は一回罹ったけどそれでも自宅待機だそうだから」と言って家にいた。このたびの疫病では、直近で罹って治ったから大丈夫でしょうとも言えないのだ。
 自宅療養で同居者への感染を防いだルポライター夫妻の書いた記事を読んだのだが、彼らは犬を撫でるたびに犬の毛を拭いていた(たまたまこの家にも犬がいたのだ。それにしても犬もたいへんである)。わたしたちはすでに片方かかって治った状態ではあったが、いちおう「ワンちゃんが舐めても安心! アルコールフリーウェットシート」で拭くことにした。
 そしてわたしは夫の手法を踏襲し、朝晩犬に鼻をつけて吸った。そう、わたしは微熱で済んだのだが、夫より強い嗅覚・味覚異常が出たのである。
 一週間以上、わたしはつらかった。タロがぜんぜんくさくない。食欲はあって、あっさりしたものなら普通食を食べられるのだが、何を食べてもおいしくない。というか怖い。味がまったくないなら怖くはないのに、金属っぽい苦みや経験したことのないえぐみを感じる。なまじ元気なので本来の味と感じた味の対応表を作ったりした。療養期の自由研究である。

 味覚が戻った日のことはよく覚えている。夫に呼ばれて食卓に行き、まず「おいしそう」と思った。さわらの粕漬け、温豆腐の野菜あんかけ、冬瓜と茗荷の冷やし鉢。ーーの、味がした。香りがした。
 わたしはがつがつと食べ「治った」と宣言し、タロをつかまえて顔をうずめてくさいくさいと言った。タロはおおいに暴れた。

あの人のこと好きだったのにな

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。家の中に人がいる時間が増え、それに連動して増えたもののひとつがDVの類である。統計上も増えているし、身のまわりでも話を聞く。今どきはボコボコに殴ると一発で終わるのか、精神的な暴力の話が多い。といってもたいていは伝聞で、被害者本人から話されたことはなかった。今の今までは。

 わたしは暴力被害者本人から話を聞いたらさぞ腹が立つだろうと思っていた。正義感というより、個人的に嫌悪感が強い。伝聞でもかなり腹が立つ。
 ところが実際に目の前の同僚が話し出すと、わたしはどうコメントしてよいかわからなくなってしまった。なぜなら彼女は、ーーほとんど無表情だけれど、わたしの感受性がおかしくなったのでなければーー楽しそうだからである。

 彼女の夫はわたしたちと同業他社で、もとは彼女の先輩だった。彼女が転職したのである。夫婦で社内にいるのもどうかなと思って、と彼女は控えめに言った。
 彼女も彼女の夫もリモートワークが増えた。そうすると彼は昼間の彼女の過ごし方をチェックする。ダイニングテーブルで仕事をしている彼女のところに来て資料をのぞきこみ、鼻で笑う。または「この程度の仕事をさせる会社にいるのはきみの勝手だが、向上心がない人間が家にいるのは不愉快だ」というようなことを言う。そして彼女の用意した昼食を食べ、そのどこが不十分であったかを指摘する。たとえば糖質が多すぎると言う。そして「こういう食い物が好きだからそんなみっともない体になるんだ」と言う。
 しかしそれは彼の機嫌が比較的良いときである。彼は突然彼女を無視する。彼女はその原因を考え、取り除く。多くの場合それは「不正解」である。その場合、無視は続行される。彼は彼女を存在しないものとして扱うが、家事の成果は当然のこととして受け取る。食事をしながら必ずため息をつき、乱雑に残したまま席を立って、その食事が「不正解」であることを示す。

 わたしが黙っていると、彼女はふたたび口をひらく。

 わたしが彼を手のひらで転がせないのがいけないのよね。
 もともとね、人の上に立つことが当たり前の人だから。チェックポイントが多くて、指導役としてはとても優秀だった、おかげでわたしも成長できたのよ。
 そしてね、彼は、誰かと横並びになることがすごく苦手なの。仲の良い先輩や後輩はいても、同い年の友だちとは今はうっすらした関係しかない。彼が「上」になろうとするから。
 そういう人だから、女や部下だったような者が「上」になると、ダメになっちゃうみたいなの。
 うん、今みたいに。
 わたし、幸いにも転職がうまくいって、この三年ばかり、とても評価していただいているじゃない? 企業のネームバリューは明らかに前いた会社、つまり彼の会社より「上」だし、最近は給与も彼より多いの。年齢は下なのにね。ふふふ。
 あの人のこと好きで結婚したんだけどな。
 威張り屋なのは知ってたの。そんな彼を手のひらで転がせると思ってた。実際、彼の仕事がうまくいっているときには、彼も転がされてくれたのよね。でも彼の評価は頭打ちになってしまった。見下していた後輩に追い抜かれたりもしているみたい。彼は言わないけど、前の会社だもの、内情は聞こえてきますよ。
 それでねうちもうずっとセックスレスなのね。わたしがだらしない体になったからだというのが彼の言い分ね。わたしそれが許せなくてね、だって努力してるのよ、体重だってサイズだって結婚前と同じに保っているのよ。そもそもわたしというか、相手の女の体型なんか関係ないのよ。わたし知ってるんだから。なんでかって、元カノたちに聞いたから。会社の後輩とばかりつきあうから情報が回っちゃうのよ、ばかねえ。
 でもわたしはそれを指摘しない。わたしのせいねという顔をしていてあげる。ある意味わたしのせいでもあるのよ、ほら彼、「上」じゃないとダメな人でしょ、そしてわたし、じわじわと、そして転職以降ははっきりと、彼の「下」じゃなくなっちゃったでしょ。確定申告の控えとか、収入がわかるものをうっかり鞄からはみ出させたりしているし。彼ね、わたしの持ち物を漁るのが、とっても好きなのよね、ばれてないと思ってるみたいだけど。

 あの人のこと好きで結婚したんだけどな。彼女はそのせりふを繰りかえす。ねえお知り合いの他のモラハラ野郎の奥さんたちを誤解しないでね。わたしがおかしいだけだからね。だってわたし、別れたくないんだもの。彼がどんどんダメになるのを見たいんだもの。こんなのおかしいよね。わたしあの人のこと、好きだったのに。

さみしいと人はおかしくなるんだよ

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのために人と人が会う機会があきらかに減った。わたしはそれに危機感をおぼえ、人とのコミュニケーションの場や出会いの場を工夫して増やした。
 友人が減ってもかまわない人もあるのだろうが、わたしはそうではない。若いころから意識的にさまざまな形式で親しい人をつくり(形式というのは友人とか恋人とか、そういうのです)、その人々によくするように心がけ、長期的にはそれが返ってくることを期待してやってきた。わたしにとってわたしを大切にしてくれる他者は運命のように与えられるものではなく、また一度得たらずっと持っていられるものでもなく、自分から獲得しに行き、相互に定期的にその必要性を判断するもので、だから原則として時が経てば減るものだ。

 わたしにこのような感覚が芽生えたのは十九歳のときである。それまでは環境によって人間関係を与えられるような感覚を、薄ぼんやりと持っていた。今の時代なら成人年齢だったというのに、わりと子どもだったのだろう。
 大学の夏休みに高校時代の友人たちと集まった。そのなかに非常に頭脳明晰なSがいた。高校生の時分から三カ国語を話し、あまりに成績が良いので予備校から奨学金をもらい、当然のように日本でいちばん入りにくい大学に入学した友人である。
 大学でもあなたよりできる人はそんなにいないでしょうと言うと、Sはうふふと笑い(無邪気で愛らしい人なのである)、いるよう、と小鳥のような声で言った。でもねえ、いちばんできると思ってた同級生の男の子がいなくなっちゃったの。カルト宗教につかまっちゃった。怖くなっていま本読んで勉強してる。大学一年生はよく狙われるんだってさ。

 わたしはそれまで、自分がカルト宗教や洗脳手法を用いる集団に引っかかることはないと思っていた。子どもらしい傲慢さで「わたしはそんなに愚かじゃない」と思っていたのだろう。
 でもSの同級生は、わたしが知るかぎりもっとも高性能な頭脳を持つSが「自分よりできる」と言うような人なのだ。それでもあっけなくつかまって、「たぶんもう帰ってこない」。
 どうしてそんなことになっちゃったんだろう、とわたしが言うと、Sはあっさりと、さみしいからだよ、と言った。たぶんねえ、さみしいと人間はおかしくなるんだよ。少しおかしくなったところで、その隙間にぱっとフックをかけるやり方があるんだよ。それがカルトなんだと思う。あの男の子の親御さんとか親しい人がうまく取り返してくれたらいいなって思う。
 でもねえとSは言う。悪名高いカルトでも、その子にとって以前の生活と比べて不幸かどうかなんてわたしには決められない。わたしはあの子の友だちじゃなかったし、今帰ってきたら友だちになるかといったら、ならないと思う。たいていの他人ってそうじゃん。同級生でも八割は「個人的にもっと親しくなりたい」と思わないじゃん。だからわたしにはその子のさみしさを埋めてあげる可能性がない。それでカルトはあの子をさみしくなくしてくれたんじゃないかと思う。それが最低の方法だとしても、わたしたちにできることは「そういうのがのさばらないように社会的な対策を立てよう」とかじゃん。
 だからねえとSは言う。さみしくならないように気をつけるよ。みんなも気をつけてね。

 その後の人生のなかで、わたしのまわりからも何人かがカルト的な場に引き抜かれた。それは新興宗教であったり、自己啓発団体であったり、ビジネス団体であったりした。彼らがさみしかったかどうかはわからない。けれど何かしらの不全感は持っていたように思う。そしてわたしは彼らを止められなかった。わたしは彼らの、親しい相手ではなかったから。
 明らかに搾取的な団体はいつの時代にもあって、そういうものは摘発されてほしいと思う。一方で、生活できる程度の経済力を残して搾取するようなものもあって、たとえばわたしの知人がひとりスピリチュアル系の団体に毎月十万円ほど「受講料」を払っているのだけれど、食うには困っていないようで、本人は「特別な人たちに囲まれて特別な学びを得ている」というようなことを言っている。この人と親しくないわたしは、意見できることはないように思う。だってわたしはその人に「特別な人」や「特別な学び」ーー仲間と優越感ーーを提供することはできない。

 でも自分がそうなりたいとは思わない。だからわたしはさみしくならないように気をつけている。「特別」でなくても気が済むように、「特別な人」に選ばれて褒められることを必要としないように。

ごはん作って待ってるからね

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。わたしの勤務先はいかにも日本的な大企業であり、歓送迎会や忘年会は疫病以降やめている。少人数での会食は暗黙の了解で会社から少し離れた場所でひっそりとする。

 そんな中で年に二度も会食すれば相当な仲良しである。きみとそんなに仲良くなった覚えはない、とわたしが言うと、なんてこと言うんすか僕ら仲良しっすよ話聞いてくださいよと矢島は言うのだった。
 おおかた妊娠中の妻をいたわる方法でも知りたいのだろう。早く帰ったほうがよほど彼の妻のためではないかと思ったが、矢島は「いやそれが英里子さんの命令なんです」と言う。月に一度は外出して自分以外の人間と楽しい時間を過ごすようにと、彼の妻はそう言ったのだそうだ。

 わたしは矢島の元上司である。矢島はわたしを「かちょー」と呼ぶ。わたしはすでに彼の部署を離れているし、課長ではない。矢島は「『ぶちょーほさ』はないでしょ、あだ名として。響きがばかみたい」と言う。職位をあだ名にするのはこの若者くらいのものだ。あと、ばかみたいなのは矢島の言語感覚である。
 英里子さん忙しいんですと矢島は言う。まだ産休入れなくてつわり抱えて引き継ぎしてるんです、かわいそうでしょ、なのに英里子さんたまには出かけろってうるさくて。
 わたしは矢島のジョッキをながめる。以前よりあきらかに酒量が少ない。飲まなくなると弱くなるじゃないですか、と矢島は言う。そうなのだろうか。わたしは出産三ヶ月後に飲んだときにもそれほど弱くなっていなかったが。
 それはかちょーが体力オバケだからです、と矢島は言う。今の上司から「あの人は産後、異常な速度で復帰した」「そして復帰当日から完全に稼働していた」って聞きましたよ、何者ですか。

 何者でもない。産後は早々に完全復帰しなければ「ママ用ポスト」とあだ名されている席に回されることを重々認識している、ただの会社員である。
 夫は善良な人間で、「共働きなんだから家事育児を半分やる」と宣言してがんばっていたが、半分にはとうてい及ばなかった。育児に関してはともかく、家事に関する理由は簡単である。気づかないのだ。日用品のストックはそのうちなくなるし、詰め替え製品は詰め替えなければ中身が満ちないのだし、すべての段差にはいつか埃がたまる。
 わたしは新しい家電と使い捨て製品と防汚グッズを多用して家事の総量を減らし、残った家事を明文化して夫にプレゼンし、「少しくらい家が散らかっていてもかまわないのではないか」と提案した。
 働いている友人達はみんな「自分がやったほうが早い」「愛してるからそれくらいは」と言っていた。でもわたしは自分が結婚して損をしたと思いたくなかった。共働きでも黙って家事をしてあげるのが妻の愛情なら、夫の愛情はなんだというのか。

 だから俺いま定時ダッシュしてごはん作って待ってるんです。矢島はそう言う。でも英里子さん食欲ないんですよね。さっぱりしてれば食えるってもんでもないみたいで。ネット見ても個人差がでかすぎて参考にならないし。もうこれはね、子ども産んだ人に聞いてもらうしかないということで、かちょーにお願いしたわけです。いや特になにか役に立つ情報を持っているとは思わないですけど。なぜならつわりは個人差がでかいから。
 そうだねとわたしは言う。でもそうやってパートナーがあれこれ考えてくれるだけで嬉しいものだと思うよ。わたしの夫も考えてはくれたけど、毎日定時退勤はできなかったし、料理もあの頃は下手でねえ。

 あの頃はということは、今はうまいんすね。矢島が言う。愛すね。料理は愛情なんて愚かな考えは今すぐ燃やしなさいとわたしは言う。ぜんぶ外注だってかまいやしないの。わたしたちはけちだから自炊してるだけです。
 そんなこと言ってかちょー、料理以外にちゃんと愛情表現してるタイプでしょ。矢島はにやにや笑って言う。わたしがむっとすると「照れた」と指さして笑う。人に指をさすんじゃないとわたしは言う。

 わたしは矢島をうらやましかった。わたしは水曜日と金曜日と土曜日、家族三人分の食事を作る。でもわたしは「ごはん作って待ってるからね」と言ったことはなかった。そんなことはぜったいに言いたくなかった。でも矢島は衒いなく言えるのだ。わたしだってほんとうはそっちがよかった。「女だから」「子どもがいるから」と次々に襲う理不尽と切った張ったせず、家の中で家事をめぐる交渉をせず、後ろになにもついていないただの予告として「ごはん作って待ってるからね」と家族に言ってみたかった。

女のロマン

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのために趣味の旅行を控えてはや三年目、子どものために近場のあちこちに行ってもレジャー費として想定していた出費は温存されている。
 わたしはお金のあれこれを考えるのがすごく好きだ。好きな言葉はコスパ、大学院生時代のアルバイトはファイナンシャルプランナー(趣味で勉強して資格を取った。なんなら学部生からできたはずだが、学部生だと顧客がつかない)、修士卒から総研につとめる職業アナリストである。友人が言うには「お金の話をしているときのあなたは輝いている。仕事の話をしているときよりも、家族の話をしているときよりも」だそうである。そんな。仕事も家族も愛しているのですが。

 ですがやはりカネの話は良い。カネ自体がめちゃくちゃいっぱいほしいというわけではない。それならもっとリスクを取って給与の高い仕事をめざしている。潰れそうにない会社に籍を置き、かつ転職しても評価されそうな仕事を積み重ねつつ、昼食はコンビニで数百円の堅実な生活をし、この二十年間銀行のATM利用手数料を支払ったことがなく(あんなに支払いたくないものはない)、その上で効率の良いお金の使い方を考えるのが好きなのだ。先日も友人との食事のあと「この店ではこの方法で支払うと数円トクなのでわたしが払う」と言って笑われた。あなた数円がほしいのではないでしょう、数円トクするのが嬉しいのでしょう。そう言われて「理解されている」と思った。

 しかしわたしとて常にコスパのよい生活をしているのではない。そもそもわたし個人のコスパを考えたら共働きで夫婦の収入がさほど変わらないのに家事を一手に引き受けるなんてことはしない。わたしは自分が好きになった男と結婚して子どもを持ちたかった。そしてわたしが好きになった男の中に家事をやる男はいなかった(なお、わたしは面食いであり、わかりやすくモテていて最近批判的に見られている「男らしさ」というやつがどうしても好きである)。だからわたしは男と同じだけ稼ぎながら男のぶんまで家事をする(育児はけっこうやってもらってます。「もらってる」という言い回しで女友だちの眉間に皺が寄ったりしてるけども)。コスパ、悪いですね。わかってるんだ。
 わたしがコスパを度外視するのはロマンに対してのみである。そのロマンが陳腐で前時代的で理屈に合わないことは承知している。誰かが作った「女の子」向けの物語から生まれた、わりとしょうもない夢であることはわかっている。でもわたしはやるのだ、女のロマンを。たとえば派手な結婚式。たとえばスイートテンダイヤモンド。

 そう、スイートテンダイヤモンドである。わたしたち夫婦は疫病下で結婚十周年を迎えた。わたしは粛々と資料を作成した。そして夫にプレゼンした。現在の家計状況、疫病下での支出の変化、スイートテンダイヤモンドを家計支出でプレゼントされたらわたしのやる気がいかにアップするか、プレゼントのシチュエーションはどのようなものを理想とするか。さらに、商品選出においては夫はまったく労力を支払う必要がないこと、座して待っていれば指輪が届くのでしかるべきタイミングで箱をぱかっとあければよいことを言い添えた。夫は了承した。
 それは果たしてプレゼントなのか、という疑問は受けつけない。

 そのようにしてプレゼントされた(プレゼントされたのだ。誰がなんと言おうとも)指輪を見せびらかすために友人を呼んだ。友人はわたしの需要を察知しているので「素晴らしいねえ」「デザインもいい」「よく似合っている」と絶賛してくれた。そのついでのように「ハイブランドだからあまり価値も落ちないでしょう」と言った。わたしはややうつむいた。なぜならデザインが好きで選んだその指輪は、メレダイヤがびっちりついたタイプだからである。
 メレダイヤを主とするアクセサリーの価格の大部分が手間賃だ。石そのものに価値があるのではない。リセールバリューを考えたら大きくて質のいい石を選ぶべきである。
 でもでも、とわたしは言う。かわいかったんだもん。わたしこれがいいんだもん。どうしてわたしの好みとリセールバリューが見合わないのかなあ。はあ。やっぱり大きい石がついてるのにすればよかったかなあ。

 友人はあっけにとられた顔をして、それからおおいに笑った。ばかだねえ、と彼女は言った。ほんとうに、ばかだねえ。わたしはあなたのそういうところが好きだよ。