傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

疫病罹患日記

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。それから二年、夫が罹った。
 夫は近所の病院に片っ端から電話をかけ、「うちでは無理ですが、○○医院ならあるいは。お約束はもちろんできませんが」「うちだとかなり待ちますし週末は検査ができないので、××病院にチャレンジしていただいてからのほうがいいかと個人的には思います」「待つと思いますが、受診していいですよ」という順序で情報を得たそうだ。
 幸運なことである。このところの感染爆発で、地域によっては検査を受けることさえままならないのだ。待つことに問題がない状態だったのでできたことでもある。疫病患者は隔離された場所で待機して疫病患者だけが受診する診察室に入るのだが、待機場所はだいたい屋外なのだ。
 わたしは自治体がやっているモニタリング検査会場に向かった。陰性。

 夫は陽性診断をもらった夜から38度台の熱を出し、それが三日続いた。寒気がひどいらしく、羽毛布団をかぶって震えていたが、それより彼を怯えさせたのが嗅覚異常だった。ゼリー状の栄養食と、調子が良いときにはわたしが作った卵がゆを食べていたのだが、「豆とか出汁とかの香りがあんまりしない」と言う。鰹と昆布の合わせだしなど正月くらいにしかやらないのだが、それを使っても「少ししかいい香りがしない」と言う。「でもうまいような気がするから白粥よりこれがいい」と言う。わたしたちは食いしん坊なのである。
 たぶん嗅覚異常もきてる、味覚の半分は嗅覚だから。やや回復した夫はそのように語り、タロを連れてきてくれと言った。タロはわたしたちの犬である。ふだんは入れない寝室に連れてこられたタロは「おすわり」と言われるがままにじっとしている。ふだんは元気ないたずら者なのに、空気の読める犬である。
 夫はタロの頭頂部に鼻をうずめ「くさくない」と悲しそうにつぶやいた。
 犬は犬くさいものである。シャンプーから二週間経った犬に密着して息を吸ってくさくないなら明らかに異常だ。タロはしんねりと座っていた。

 やがて夫は通常の食事が取れるようになり、タロをかいで「くさい!」と大喜びし、無事に自宅待機期間を終えた。このたびの疫病では夫の症状はごく軽症である。しかも自立生活をいとなむ大人ふたりの家だ、負担もそうはない。小さい子どもふたりがいる一家全員で倒れた友人がいたが、彼女はどれほどたいへんだったことだろう。わたしはぜんぜん苦労していない、幸運な人間なのだと思うべきである。

 そう思ったのだが、いざ自分がかかるとぜんぜん幸運とは思えなかった。
 夫が自宅待機を終えた一週間後、今度はわたしに疑わしい症状が出た。熱ではない。味覚異常である。
 その日は豚肩ロースのブロックを角煮風に煮ていた。途中で煮汁を味見して、わたしはぎょっとした。塩味がほとんどない。そして金属っぽい苦みがある。来た、と思った。醤油と砂糖をどぼどぼ入れた煮汁から金属味。生理的な恐怖を感じた。
 夫のかかった病院に電話して受診、陽性、職場に連絡。夫は粛々と買い置きの経口補水液を冷蔵庫に詰め、「僕は一回罹ったけどそれでも自宅待機だそうだから」と言って家にいた。このたびの疫病では、直近で罹って治ったから大丈夫でしょうとも言えないのだ。
 自宅療養で同居者への感染を防いだルポライター夫妻の書いた記事を読んだのだが、彼らは犬を撫でるたびに犬の毛を拭いていた(たまたまこの家にも犬がいたのだ。それにしても犬もたいへんである)。わたしたちはすでに片方かかって治った状態ではあったが、いちおう「ワンちゃんが舐めても安心! アルコールフリーウェットシート」で拭くことにした。
 そしてわたしは夫の手法を踏襲し、朝晩犬に鼻をつけて吸った。そう、わたしは微熱で済んだのだが、夫より強い嗅覚・味覚異常が出たのである。
 一週間以上、わたしはつらかった。タロがぜんぜんくさくない。食欲はあって、あっさりしたものなら普通食を食べられるのだが、何を食べてもおいしくない。というか怖い。味がまったくないなら怖くはないのに、金属っぽい苦みや経験したことのないえぐみを感じる。なまじ元気なので本来の味と感じた味の対応表を作ったりした。療養期の自由研究である。

 味覚が戻った日のことはよく覚えている。夫に呼ばれて食卓に行き、まず「おいしそう」と思った。さわらの粕漬け、温豆腐の野菜あんかけ、冬瓜と茗荷の冷やし鉢。ーーの、味がした。香りがした。
 わたしはがつがつと食べ「治った」と宣言し、タロをつかまえて顔をうずめてくさいくさいと言った。タロはおおいに暴れた。

あの人のこと好きだったのにな

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。家の中に人がいる時間が増え、それに連動して増えたもののひとつがDVの類である。統計上も増えているし、身のまわりでも話を聞く。今どきはボコボコに殴ると一発で終わるのか、精神的な暴力の話が多い。といってもたいていは伝聞で、被害者本人から話されたことはなかった。今の今までは。

 わたしは暴力被害者本人から話を聞いたらさぞ腹が立つだろうと思っていた。正義感というより、個人的に嫌悪感が強い。伝聞でもかなり腹が立つ。
 ところが実際に目の前の同僚が話し出すと、わたしはどうコメントしてよいかわからなくなってしまった。なぜなら彼女は、ーーほとんど無表情だけれど、わたしの感受性がおかしくなったのでなければーー楽しそうだからである。

 彼女の夫はわたしたちと同業他社で、もとは彼女の先輩だった。彼女が転職したのである。夫婦で社内にいるのもどうかなと思って、と彼女は控えめに言った。
 彼女も彼女の夫もリモートワークが増えた。そうすると彼は昼間の彼女の過ごし方をチェックする。ダイニングテーブルで仕事をしている彼女のところに来て資料をのぞきこみ、鼻で笑う。または「この程度の仕事をさせる会社にいるのはきみの勝手だが、向上心がない人間が家にいるのは不愉快だ」というようなことを言う。そして彼女の用意した昼食を食べ、そのどこが不十分であったかを指摘する。たとえば糖質が多すぎると言う。そして「こういう食い物が好きだからそんなみっともない体になるんだ」と言う。
 しかしそれは彼の機嫌が比較的良いときである。彼は突然彼女を無視する。彼女はその原因を考え、取り除く。多くの場合それは「不正解」である。その場合、無視は続行される。彼は彼女を存在しないものとして扱うが、家事の成果は当然のこととして受け取る。食事をしながら必ずため息をつき、乱雑に残したまま席を立って、その食事が「不正解」であることを示す。

 わたしが黙っていると、彼女はふたたび口をひらく。

 わたしが彼を手のひらで転がせないのがいけないのよね。
 もともとね、人の上に立つことが当たり前の人だから。チェックポイントが多くて、指導役としてはとても優秀だった、おかげでわたしも成長できたのよ。
 そしてね、彼は、誰かと横並びになることがすごく苦手なの。仲の良い先輩や後輩はいても、同い年の友だちとは今はうっすらした関係しかない。彼が「上」になろうとするから。
 そういう人だから、女や部下だったような者が「上」になると、ダメになっちゃうみたいなの。
 うん、今みたいに。
 わたし、幸いにも転職がうまくいって、この三年ばかり、とても評価していただいているじゃない? 企業のネームバリューは明らかに前いた会社、つまり彼の会社より「上」だし、最近は給与も彼より多いの。年齢は下なのにね。ふふふ。
 あの人のこと好きで結婚したんだけどな。
 威張り屋なのは知ってたの。そんな彼を手のひらで転がせると思ってた。実際、彼の仕事がうまくいっているときには、彼も転がされてくれたのよね。でも彼の評価は頭打ちになってしまった。見下していた後輩に追い抜かれたりもしているみたい。彼は言わないけど、前の会社だもの、内情は聞こえてきますよ。
 それでねうちもうずっとセックスレスなのね。わたしがだらしない体になったからだというのが彼の言い分ね。わたしそれが許せなくてね、だって努力してるのよ、体重だってサイズだって結婚前と同じに保っているのよ。そもそもわたしというか、相手の女の体型なんか関係ないのよ。わたし知ってるんだから。なんでかって、元カノたちに聞いたから。会社の後輩とばかりつきあうから情報が回っちゃうのよ、ばかねえ。
 でもわたしはそれを指摘しない。わたしのせいねという顔をしていてあげる。ある意味わたしのせいでもあるのよ、ほら彼、「上」じゃないとダメな人でしょ、そしてわたし、じわじわと、そして転職以降ははっきりと、彼の「下」じゃなくなっちゃったでしょ。確定申告の控えとか、収入がわかるものをうっかり鞄からはみ出させたりしているし。彼ね、わたしの持ち物を漁るのが、とっても好きなのよね、ばれてないと思ってるみたいだけど。

 あの人のこと好きで結婚したんだけどな。彼女はそのせりふを繰りかえす。ねえお知り合いの他のモラハラ野郎の奥さんたちを誤解しないでね。わたしがおかしいだけだからね。だってわたし、別れたくないんだもの。彼がどんどんダメになるのを見たいんだもの。こんなのおかしいよね。わたしあの人のこと、好きだったのに。

さみしいと人はおかしくなるんだよ

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのために人と人が会う機会があきらかに減った。わたしはそれに危機感をおぼえ、人とのコミュニケーションの場や出会いの場を工夫して増やした。
 友人が減ってもかまわない人もあるのだろうが、わたしはそうではない。若いころから意識的にさまざまな形式で親しい人をつくり(形式というのは友人とか恋人とか、そういうのです)、その人々によくするように心がけ、長期的にはそれが返ってくることを期待してやってきた。わたしにとってわたしを大切にしてくれる他者は運命のように与えられるものではなく、また一度得たらずっと持っていられるものでもなく、自分から獲得しに行き、相互に定期的にその必要性を判断するもので、だから原則として時が経てば減るものだ。

 わたしにこのような感覚が芽生えたのは十九歳のときである。それまでは環境によって人間関係を与えられるような感覚を、薄ぼんやりと持っていた。今の時代なら成人年齢だったというのに、わりと子どもだったのだろう。
 大学の夏休みに高校時代の友人たちと集まった。そのなかに非常に頭脳明晰なSがいた。高校生の時分から三カ国語を話し、あまりに成績が良いので予備校から奨学金をもらい、当然のように日本でいちばん入りにくい大学に入学した友人である。
 大学でもあなたよりできる人はそんなにいないでしょうと言うと、Sはうふふと笑い(無邪気で愛らしい人なのである)、いるよう、と小鳥のような声で言った。でもねえ、いちばんできると思ってた同級生の男の子がいなくなっちゃったの。カルト宗教につかまっちゃった。怖くなっていま本読んで勉強してる。大学一年生はよく狙われるんだってさ。

 わたしはそれまで、自分がカルト宗教や洗脳手法を用いる集団に引っかかることはないと思っていた。子どもらしい傲慢さで「わたしはそんなに愚かじゃない」と思っていたのだろう。
 でもSの同級生は、わたしが知るかぎりもっとも高性能な頭脳を持つSが「自分よりできる」と言うような人なのだ。それでもあっけなくつかまって、「たぶんもう帰ってこない」。
 どうしてそんなことになっちゃったんだろう、とわたしが言うと、Sはあっさりと、さみしいからだよ、と言った。たぶんねえ、さみしいと人間はおかしくなるんだよ。少しおかしくなったところで、その隙間にぱっとフックをかけるやり方があるんだよ。それがカルトなんだと思う。あの男の子の親御さんとか親しい人がうまく取り返してくれたらいいなって思う。
 でもねえとSは言う。悪名高いカルトでも、その子にとって以前の生活と比べて不幸かどうかなんてわたしには決められない。わたしはあの子の友だちじゃなかったし、今帰ってきたら友だちになるかといったら、ならないと思う。たいていの他人ってそうじゃん。同級生でも八割は「個人的にもっと親しくなりたい」と思わないじゃん。だからわたしにはその子のさみしさを埋めてあげる可能性がない。それでカルトはあの子をさみしくなくしてくれたんじゃないかと思う。それが最低の方法だとしても、わたしたちにできることは「そういうのがのさばらないように社会的な対策を立てよう」とかじゃん。
 だからねえとSは言う。さみしくならないように気をつけるよ。みんなも気をつけてね。

 その後の人生のなかで、わたしのまわりからも何人かがカルト的な場に引き抜かれた。それは新興宗教であったり、自己啓発団体であったり、ビジネス団体であったりした。彼らがさみしかったかどうかはわからない。けれど何かしらの不全感は持っていたように思う。そしてわたしは彼らを止められなかった。わたしは彼らの、親しい相手ではなかったから。
 明らかに搾取的な団体はいつの時代にもあって、そういうものは摘発されてほしいと思う。一方で、生活できる程度の経済力を残して搾取するようなものもあって、たとえばわたしの知人がひとりスピリチュアル系の団体に毎月十万円ほど「受講料」を払っているのだけれど、食うには困っていないようで、本人は「特別な人たちに囲まれて特別な学びを得ている」というようなことを言っている。この人と親しくないわたしは、意見できることはないように思う。だってわたしはその人に「特別な人」や「特別な学び」ーー仲間と優越感ーーを提供することはできない。

 でも自分がそうなりたいとは思わない。だからわたしはさみしくならないように気をつけている。「特別」でなくても気が済むように、「特別な人」に選ばれて褒められることを必要としないように。

ごはん作って待ってるからね

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。わたしの勤務先はいかにも日本的な大企業であり、歓送迎会や忘年会は疫病以降やめている。少人数での会食は暗黙の了解で会社から少し離れた場所でひっそりとする。

 そんな中で年に二度も会食すれば相当な仲良しである。きみとそんなに仲良くなった覚えはない、とわたしが言うと、なんてこと言うんすか僕ら仲良しっすよ話聞いてくださいよと矢島は言うのだった。
 おおかた妊娠中の妻をいたわる方法でも知りたいのだろう。早く帰ったほうがよほど彼の妻のためではないかと思ったが、矢島は「いやそれが英里子さんの命令なんです」と言う。月に一度は外出して自分以外の人間と楽しい時間を過ごすようにと、彼の妻はそう言ったのだそうだ。

 わたしは矢島の元上司である。矢島はわたしを「かちょー」と呼ぶ。わたしはすでに彼の部署を離れているし、課長ではない。矢島は「『ぶちょーほさ』はないでしょ、あだ名として。響きがばかみたい」と言う。職位をあだ名にするのはこの若者くらいのものだ。あと、ばかみたいなのは矢島の言語感覚である。
 英里子さん忙しいんですと矢島は言う。まだ産休入れなくてつわり抱えて引き継ぎしてるんです、かわいそうでしょ、なのに英里子さんたまには出かけろってうるさくて。
 わたしは矢島のジョッキをながめる。以前よりあきらかに酒量が少ない。飲まなくなると弱くなるじゃないですか、と矢島は言う。そうなのだろうか。わたしは出産三ヶ月後に飲んだときにもそれほど弱くなっていなかったが。
 それはかちょーが体力オバケだからです、と矢島は言う。今の上司から「あの人は産後、異常な速度で復帰した」「そして復帰当日から完全に稼働していた」って聞きましたよ、何者ですか。

 何者でもない。産後は早々に完全復帰しなければ「ママ用ポスト」とあだ名されている席に回されることを重々認識している、ただの会社員である。
 夫は善良な人間で、「共働きなんだから家事育児を半分やる」と宣言してがんばっていたが、半分にはとうてい及ばなかった。育児に関してはともかく、家事に関する理由は簡単である。気づかないのだ。日用品のストックはそのうちなくなるし、詰め替え製品は詰め替えなければ中身が満ちないのだし、すべての段差にはいつか埃がたまる。
 わたしは新しい家電と使い捨て製品と防汚グッズを多用して家事の総量を減らし、残った家事を明文化して夫にプレゼンし、「少しくらい家が散らかっていてもかまわないのではないか」と提案した。
 働いている友人達はみんな「自分がやったほうが早い」「愛してるからそれくらいは」と言っていた。でもわたしは自分が結婚して損をしたと思いたくなかった。共働きでも黙って家事をしてあげるのが妻の愛情なら、夫の愛情はなんだというのか。

 だから俺いま定時ダッシュしてごはん作って待ってるんです。矢島はそう言う。でも英里子さん食欲ないんですよね。さっぱりしてれば食えるってもんでもないみたいで。ネット見ても個人差がでかすぎて参考にならないし。もうこれはね、子ども産んだ人に聞いてもらうしかないということで、かちょーにお願いしたわけです。いや特になにか役に立つ情報を持っているとは思わないですけど。なぜならつわりは個人差がでかいから。
 そうだねとわたしは言う。でもそうやってパートナーがあれこれ考えてくれるだけで嬉しいものだと思うよ。わたしの夫も考えてはくれたけど、毎日定時退勤はできなかったし、料理もあの頃は下手でねえ。

 あの頃はということは、今はうまいんすね。矢島が言う。愛すね。料理は愛情なんて愚かな考えは今すぐ燃やしなさいとわたしは言う。ぜんぶ外注だってかまいやしないの。わたしたちはけちだから自炊してるだけです。
 そんなこと言ってかちょー、料理以外にちゃんと愛情表現してるタイプでしょ。矢島はにやにや笑って言う。わたしがむっとすると「照れた」と指さして笑う。人に指をさすんじゃないとわたしは言う。

 わたしは矢島をうらやましかった。わたしは水曜日と金曜日と土曜日、家族三人分の食事を作る。でもわたしは「ごはん作って待ってるからね」と言ったことはなかった。そんなことはぜったいに言いたくなかった。でも矢島は衒いなく言えるのだ。わたしだってほんとうはそっちがよかった。「女だから」「子どもがいるから」と次々に襲う理不尽と切った張ったせず、家の中で家事をめぐる交渉をせず、後ろになにもついていないただの予告として「ごはん作って待ってるからね」と家族に言ってみたかった。

女のロマン

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのために趣味の旅行を控えてはや三年目、子どものために近場のあちこちに行ってもレジャー費として想定していた出費は温存されている。
 わたしはお金のあれこれを考えるのがすごく好きだ。好きな言葉はコスパ、大学院生時代のアルバイトはファイナンシャルプランナー(趣味で勉強して資格を取った。なんなら学部生からできたはずだが、学部生だと顧客がつかない)、修士卒から総研につとめる職業アナリストである。友人が言うには「お金の話をしているときのあなたは輝いている。仕事の話をしているときよりも、家族の話をしているときよりも」だそうである。そんな。仕事も家族も愛しているのですが。

 ですがやはりカネの話は良い。カネ自体がめちゃくちゃいっぱいほしいというわけではない。それならもっとリスクを取って給与の高い仕事をめざしている。潰れそうにない会社に籍を置き、かつ転職しても評価されそうな仕事を積み重ねつつ、昼食はコンビニで数百円の堅実な生活をし、この二十年間銀行のATM利用手数料を支払ったことがなく(あんなに支払いたくないものはない)、その上で効率の良いお金の使い方を考えるのが好きなのだ。先日も友人との食事のあと「この店ではこの方法で支払うと数円トクなのでわたしが払う」と言って笑われた。あなた数円がほしいのではないでしょう、数円トクするのが嬉しいのでしょう。そう言われて「理解されている」と思った。

 しかしわたしとて常にコスパのよい生活をしているのではない。そもそもわたし個人のコスパを考えたら共働きで夫婦の収入がさほど変わらないのに家事を一手に引き受けるなんてことはしない。わたしは自分が好きになった男と結婚して子どもを持ちたかった。そしてわたしが好きになった男の中に家事をやる男はいなかった(なお、わたしは面食いであり、わかりやすくモテていて最近批判的に見られている「男らしさ」というやつがどうしても好きである)。だからわたしは男と同じだけ稼ぎながら男のぶんまで家事をする(育児はけっこうやってもらってます。「もらってる」という言い回しで女友だちの眉間に皺が寄ったりしてるけども)。コスパ、悪いですね。わかってるんだ。
 わたしがコスパを度外視するのはロマンに対してのみである。そのロマンが陳腐で前時代的で理屈に合わないことは承知している。誰かが作った「女の子」向けの物語から生まれた、わりとしょうもない夢であることはわかっている。でもわたしはやるのだ、女のロマンを。たとえば派手な結婚式。たとえばスイートテンダイヤモンド。

 そう、スイートテンダイヤモンドである。わたしたち夫婦は疫病下で結婚十周年を迎えた。わたしは粛々と資料を作成した。そして夫にプレゼンした。現在の家計状況、疫病下での支出の変化、スイートテンダイヤモンドを家計支出でプレゼントされたらわたしのやる気がいかにアップするか、プレゼントのシチュエーションはどのようなものを理想とするか。さらに、商品選出においては夫はまったく労力を支払う必要がないこと、座して待っていれば指輪が届くのでしかるべきタイミングで箱をぱかっとあければよいことを言い添えた。夫は了承した。
 それは果たしてプレゼントなのか、という疑問は受けつけない。

 そのようにしてプレゼントされた(プレゼントされたのだ。誰がなんと言おうとも)指輪を見せびらかすために友人を呼んだ。友人はわたしの需要を察知しているので「素晴らしいねえ」「デザインもいい」「よく似合っている」と絶賛してくれた。そのついでのように「ハイブランドだからあまり価値も落ちないでしょう」と言った。わたしはややうつむいた。なぜならデザインが好きで選んだその指輪は、メレダイヤがびっちりついたタイプだからである。
 メレダイヤを主とするアクセサリーの価格の大部分が手間賃だ。石そのものに価値があるのではない。リセールバリューを考えたら大きくて質のいい石を選ぶべきである。
 でもでも、とわたしは言う。かわいかったんだもん。わたしこれがいいんだもん。どうしてわたしの好みとリセールバリューが見合わないのかなあ。はあ。やっぱり大きい石がついてるのにすればよかったかなあ。

 友人はあっけにとられた顔をして、それからおおいに笑った。ばかだねえ、と彼女は言った。ほんとうに、ばかだねえ。わたしはあなたのそういうところが好きだよ。

夏の山

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのために子どもたちのレジャーも変化している。小学生の兄弟のいる友人夫妻に連絡してようすを聞いてみた。遠出はできないが毎週のように珍しい経験をさせてあげているらしい。「うちでもコテージを借りるから合流しないか」と打診すると、ぜひにとのことだった。それで二家族で山あいのコテージへ行くことになった。

 わたしたちには子どもがいないから、疫病前の旅行は大人二人の静かなものだった。疫病禍で在宅勤務が多くなって犬を飼い、出かけるときには犬の泊まれるところを選んで連れていくようになって、少しにぎやかになった。今回はそこに友人夫妻とその子ふたりが加わり、異例のにぎわいである。なにしろ小学三年生と一年生の元気な男の子たちだ。どれくらい元気かというと、移動するときはだいたい走っていて、家ではしょっちゅう踊りのようなしぐさをしている。四六時中トレーニングしているようなものだ。
 子どもたちの家では動物を飼っておらず、犬と触れ合うのを楽しみにしていたから、コテージに入るなり大興奮、犬もはしゃいで大騒ぎである。
 ひととおり騒いで落ち着いたところで川遊びに出かける。安全性重視でポイントを選んだので、せいぜい膝までの深さでぱちゃぱちゃ遊ぶだけだが、それでもずいぶん喜んでくれた。そのうち釣り体験を提供しようと思う。
 林道で飛んでいた虫を指して、「クワガタかカブトムシの雌だね。飛ぶとあんなふうに見える」と教えると、子どもたちはさかんにわたしをほめた。ここ数年でいちばんほめられた気がする。虫に詳しく犬を飼っていると子どもにちやほやされる。うれしい。ふだんは会社員だから生き物趣味は何の役にも立ちやしないのだが。

 晩ごはんは車で麓の蕎麦屋に行く。子どもたちが蕎麦を好きなのだ。大人は軽く済ませてコテージで酒を飲む心づもりである。蕎麦屋はなかなかの人気で、名前を書いて順番を待つ。一年生の子がわたしの書いた字を読む。た、な、べ。
 そうだよとわたしは言う。子どもは目を大きくして尋ねる。じゅんさん、たかはしじゃないの? どうして?
 「じゅんさん」はわたしのことで、高橋は友人夫妻と子どもたちの姓である。ずっと家族ぐるみのつきあいをしているから、わたしたちのことを親戚と思っていたらしい(小一だと親戚の概念は曖昧だろうけれども)。
 親戚じゃないからだよ、とわたしは言う。子どもがへんな顔をしているので、こう付け加える。仲が良い友だちなんだ。親戚じゃなくても仲良くしていいんだよ。
 むっくんは、と小一は質問を重ねる。むっくんとはわたしのパートナーのことである。むっくんはじゃあ、たなべ? 
 むっくんは「リー」。わたしはそうこたえる。たなべじゃない、と小一は言う。たなべじゃない、とわたしは言う。小三のお兄ちゃんが顔を出して、ふうふじゃないからだよ、と言う。だって、二人とも男だもん。
 小一は五秒ほどめちゃくちゃ考えている顔をして、それから飽きて走り出す。わたしは小三を見る。小三はちょっと得意げなようすで、日本でけっこんできるようになったら、むっくんとけっこんする? と訊く。ドヤ顔をするだけあって、大人っぽい発話だ。どこかの段階でわたしたちについて考えて大人に尋ねたりしたのかもわからない。
 わたしは彼に敬意を表して正直にこたえる。同性婚ができるようになっても、わたしはしたくないかな。そんなのに認めてもらえなくても、わたしたちは家族だと思っている。でもむっくんはしたいと言っていたから、できるようになったら考えるよ。
 当分はできるようにならないだろうというせりふは音声にしない。

 コテージに帰る。花火の準備をする。東京二十三区では公園で花火のできないところが多くて、わたしの居住区でも友人家族の居住区でも禁止である。それで旅行先で花火をやったら子どもがさぞ喜ぶだろうと思って専門店で買ってきた。その甲斐あって子どもたちはたいそう喜んでくれたし、大人も楽しかった。犬もあまり怖がらず、それどころか寄っていこうとするので、少し離れたところに係留した。
 子どもたちは帰宅してから花火のことを作文に書いたのだそうで、友人が写真に撮って送ってくれた。小一の作文の冒頭はこんなふうである。ぼくは、どようびの、よる、いぬのはりーと、じゅんさんと、むっくんと、はなびを、やりました。小三の書き出しはこう。ぼくは、土よう日に、家ぞくと、ともだちのじゅんさんと、むっくんと、花火をやりました。

彼女のリゾート

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。彼女もその影響を受けて仕事をくびになった。一年前のことである。
 彼女は高給取りで、夜景のきれいな湾岸のタワーマンションに住んでいた。くびになるとすぐに賃貸物件を探し、半蔵門オフィスビルの影にひっそり残った影のような、築52年のワンルームに引っ越した。内装はそれほどでもないが、外観がなにしろ悲惨である。お化けマンション、と彼女は思った。

 彼女はしばらく仕事を探さなかった。区内にある公立図書館と大学図書館が提携していて、区民はいくつかの大学図書館を使うことができる。彼女はそれらを回り、やがてお気に入りを見つける。それほど規模の大きくない大学の、やはり規模は大きくない、設備の新しい図書館である。
 彼女は朝食を多めに摂る。それから図書館へ行く。午前中の図書館は空いている。壁際に並べられたデスクは疫病対策でひとつずつ空けて使う仕様である。落ち着いて使えていいなと彼女は思う。ソファや予約して使う個室や、映像を観るための場所まであるから、気が向いたら移動する。
 半月か一ヶ月のあいだのテーマを決める。たとえば昔好きだった作家の本をぜんぶ読み返して最新作まで追う。好きな画家の図版と伝記を読み、美術の鑑賞方法についての解説書を読む。自分が生まれた年の新聞と雑誌を大量に読む。高校生のころに読めたはずの古文を読もうとして挫折してもう一度文法からやりなおし、大学受験で一度読んで印象に残っていた古典を読む。テーマが尽きることはなかった。
 午後2時を回ると自転車に乗って家に帰る。簡単な昼食をつくって食べる。家の中を見渡す。まだ捨てるものがあるなと思う。そしてそれを捨てる準備をする。部屋と服装はどんどん簡素になる。
 あとの時間は散歩をするか、区民プールに行くか、昼寝ないし夕寝をするか、昔もらったアナログのソリティアをして過ごした。夕食も凝ったものは作らなかった。髪をひっつめると、美容院は必要なくなった。

 お坊さんみたいな生活、とわたしは言った。彼女をカフェに誘ったら図書館に呼び出されたのである。忙しいのだと彼女は言った。だから自分のいるところに来てほしいと。図書館の中に話ができるところがあるなんて思わなかった。「コミュニケーションスペース」とかいうコーナーで、コーヒーが出ないカフェみたいな感じだった。
 ここしばらくはフィクションに出てくるAI像の変遷を追うのに忙しいのだと彼女は言った。何か研究とかしているのと訊くと、そんな仕事みたいなことするわけないでしょう、と言って笑った。あのね、これは、リゾートなのよ。

 くびになって落ち込んでいると思った? 外資金融の馘首なんかしょっちゅうあることよ。それを含んでの高給なんだから、しばらくのんびりしてやろうと思った。あの競争と過労の場に帰れない可能性はあるけど、それはそれでべつにかまわなかった。そしてリゾートをやろうと思った。
 もちろん、海外の有名リゾートは軒並み閉じてた。それに、ああいうところが好きかっていうと、たいして好きでもないの。日本人の休暇の日数だと、土地に体をなじませる前に帰らなきゃいけない。カネをかけること自体を楽しむゲームとしての側面を持つものでもあるでしょう。そういうのには飽きた。
 だから自分でリゾートを作ったの。年間滞在予算二百万円の、とびきりのリゾート。家賃6万のお化けマンションと図書館と自転車と区民プールと東京の街があれば、一年だって遊んでいられる。

 わたしは彼女を眺めた。素顔をファンデーションで軽く整え、黒髪を結い上げて額を出し、すらりとした足に装飾のない薄布を纏わせている。きれいなお坊さんみたいだ。
 かつて彼女は札束で磨いたみたいにスノッブかつ超かっこいい女で、わたしはその徹底したブランド志向が好きだった。彼女はそれを「ゲーム」と呼んでいた。自分は上等だと言い張りたい連中の中で抜きん出る、あきれるほど俗っぽくて目が潰れるほどゴージャスなゲーム。
 ゲームには戻らないの、とわたしは尋ねる。戻る、と彼女はこたえる。リゾートにも飽きそうな気配がしてきたところで再就職の話が来たからね、戻る。そして中目黒のぴかぴかしたマンションに住んでいけすかないスーパーフードを食べる。
 そしてね。彼女はわたしに身を寄せてささやく。お化けマンションのあの部屋を買うの。ときどきそこに帰って、今のような暮らしをするの。