傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

皮膚接触のリテラシー

 ため息をついてからだを離す。自分の肩が下がっていることに気づく。その肩をあらためて上下させてみる。引き攣るように痛い。少しほぐれたときの痛みだ。僕の背面は首から背中まで常時ひどく凝っていて、ほぐれるとぱちぱちと痛む。気持ちのいい痛みだ。運動もマッサージもなしにほぐれるなんて久しぶりだ。

 いつぶりだろう。そう思う。なんとなく左側を見る。左側は車道である。夜、夜中、繁華街、その外れ、人通りは少なく、みな大人で、道ばたでハグというにはちょっと長いこと人を抱きしめたくらいで文句を言う人間はたぶんいない。いたら謝る。どうも申し訳ございませんね、みっともないところをお目にかけまして、ええ、いい年をしてねえ、お見苦しいところを。

 見苦しいことをする場所がほかにない。見苦しいなんてほんとうは思っていないけれどーー人前で抱きあって許されるのは年若く見目麗しい男女だけ、というようなジャッジを、僕は永久に憎むーー単に抱きあうべき場所がない。僕らはもう一緒に住んでいない。僕らが密室で服を脱ぐような間柄でなくなって久しい。かといって並んで食事しておしゃべりしてそれで終わりという関係でもない。どう考えても僕らはそうはならない。僕らは出会った日から皮膚接触を第二の言語とする恋人同士だった。そうでなくなったときからは「元恋人」だ。元がついて何年たとうが、友人だとかそういう、別の名前はぜったいにつかない。その結果として路地を、都市を、夜を、僕らは必要とする。たぶん。

 右側のあごに髪が触れ、元恋人が僕に言う。下手になったねえ。何が、と尋ねるとわずかに動いて僕のこめかみと鎖骨のあいだに頭をおさめ、その距離にふさわしい大きさにチューニングした声で言う。こういうことが、ですよ。自転車なら乗り方を忘れることはないけど、他人の皮膚に触れる技能は、衰えるんだよ。ちゃんと、まめに、やっておかないと。

 失礼だなあ、何もしていないのに、昔より上手くなっていたらどうするつもり?僕がそのように茶化すと元恋人はちらと首をもたげて僕を見て、それから言う。ばかだなあ、そんな話をしているんじゃないよ、単に触れるときの話をしているんだよ、子どもを抱き上げるのと同じカテゴリの動作の話だよ。ねえ、きみ下手になった、とっても下手になった、こちらから抱きかえそうと思っても腕を固定して放してくれないんだもの。昔はそうじゃなかった、相手の動きを受け取っていたし、たいていの場合、その意味をちゃんとわかっていた、今はそうじゃない、きみ、能力が下がってる。

 そうか、と僕は思う。僕は下手になったのか。あらかじめ接触を許されていると信じて疑ったことのないこの人を相手にしても、抱きしめるのが下手なのか。枕にしがみつくみたいに相手をまるごとぎゅうぎゅう締めつけて動けなくしていたのか。自分の背中に腕を回してもらうことを想像できないほど、鈍くなっていたのか。

 しばらく誰にも触れていないだけならいいんだけどねえ。路地を抜けて落ち着き、飲み直しながら元恋人が言う。伴侶とか子どもとか、親密に触れる相手をつくらないという選択はもちろんある。そもそも誰にも触れる必要がない人だっている。きみが誰にも触れない生活を選んだ、あるいはしばらく誰に触れる必要も感じなかったというなら、だから下手になったんだな、と思うだけなんだけど。

 元恋人は口をつぐみ、僕を見る。僕は首をかしげてみせる。元恋人は首を横に振り、言う。もしもきみに抱きしめる相手がいて、それであんなふうに身勝手な、あるいは切羽詰まって何も見えてないようなやりかたをするのなら、その人かきみか、どちらかがかわいそうだと思って。つまり、きみは相手のことを考えていないか、相手からじゅうぶんなものをもらっていないと感じているか、どっちかなんだと思う。

 僕は口をひらく。それから閉じる。僕が誰かを粗雑に扱っていても、あるいは誰かから粗雑に扱われていても、この人には何もできないのにな、と思う。少し可笑しかった。何もしてもらえないのに嬉しいと感じる自分が可笑しいのだった。理解されることは皮膚に触れられることに似ている。もっと僕について想像してほしい。もっと僕のことを心配してほしい。そう思った自分の甘えぶりを恥じて、それから、開き直る。道ばたで僕らを非難する他人を想像する。僕はその他人に向かって、ぜんぜん悪いと思ってない顔で謝る。いい年をして、ほんとうにお見苦しいところを、ええ、気持ち悪いところをお見せして、すみませんねえ。