傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

蛮勇と退屈

 職場には男しかいないから、居心地はいいよ、えっと、要するに、ホモソーシャルなんだけどね。

 僕がそう言うと目の前の女が黒いマニキュアを塗った爪をひらひらさせてでかい声で笑った。そして宣言した。なんだ、自覚してるんじゃん、よっ、このホモソ野郎。

 すごいせりふである。完全に罵倒だ。そりゃ、僕が自分で言ったことの引き写しなんだけど、自覚がある人間ならののしってもいいというものではない。というか、自覚があることを示すのは非難を未然に防ぐためなのに、そういう自衛の作法がぜんぜん通用しないのだ。社会性に問題がある。

 いい年をして奇抜な髪型、垂れ目のちょっと変な顔、ひじきみたいなマスカラ、いつも踵のついた靴。とてもよく笑う。誰であっても女性に対しては少し格好つけてしまうところが僕にはあるんだけど、この人はそういう意味で楽な相手だ。女だけど、恋愛対象が女だけなのだ。色恋沙汰に陥る可能性がゼロだとわかっている友だちはラクで、きっとそれは僕が根本的に性差別を除去できていない人間だからだと思う。

 彼女はだいたいの場合ハイテンションで、でも僕らのカップにはお茶しか入っていない。この世には酒とか飲まなくても言いたいことが言える人間がいるんだなと思う。この人にいちばん縁のない単語はきっと「忖度」だ。何でも口に出して話したがるし、他人にもそうしてほしがる。そういうのって僕のまわりではなかなかない。暗黙の了解みたいなものがいっぱいある。同性ばかりの、年齢の幅も狭い集団にいるせいかな、と思う。なんとなく。

 僕は男子校の出身で、大学でも男ばかりのコミュニティにいた。女性の少ない職場に就職して、ふだん仕事でやりとりするのはみんな同性だ。そのうえ男友達と部屋を借りている。似たような人間と寄り集まっているのがラクなのだ。女の人と恋愛をしてもすぐに終わってしまう。

 あのさ、と僕は言う。僕はおっしゃるとおりホモソーシャルでぬくぬくしていて、それが変わることはたぶんない。それがわかっているのに、きみはどうして僕と話をするんだろう。僕は楽しんでるし、きみも楽しんでると思う。それはなんとなくわかる。でもどうしてきみが楽しいのかはわからない。なぜかっていうと、きみも僕と同じように同質性の中にひきこもればラクにちがいないと思うから。職場はまあしかたないかもしれないけど、女友だちがたくさんいて、女の人と恋愛して、ろくでもない男はいなくて、いいよね、きっと素敵だ、とても楽しいと思うよ。

 わたしをなめてはいけない。彼女は今度は笑わずに言う。世界の半分は女ではないとされる者だ。その中でいちばん多いのは男とされる者だ。そしてわたしはうっかりすると女としか口を利かずに生きてしまう。あなたの想像のとおりに。でもそれは素敵じゃない。ぜんぜん素敵なことじゃない。そんなふうに過ごしたらわたしの世界では男というものが個別の人間ではなくてカテゴリになってしまう。そしてそのカテゴリはニュースや文献や統計だけ見ていると「ろくでもない」と感じられやすい。そんなはずはない。いろんな人がいて、時間が経つと変化もするはずだ。

 「男」はいちばんわかりやすい例だけど、それにかぎらずわたしは、カテゴリを使用して個人との対話を捨てる人間になりたくない。人間は全員人間として認識したい。そのためにいろんな人と話す。わたしを殴らない人間で、わたしが話していて楽しい人間を、女とか同世代とか日本人とかに限らず、全人類から探す、そのための努力をちゃんとする。

 そうか、と僕は言う。そうだよ、と彼女は言う。ばかだなあと僕は思う。そんな蛮勇はどう考えてもコストパフォーマンスが悪いと思う。この人はいったい何回「殴られて」生きてきたんだろうと思う。好感を得にくそうな外見で、ゴリゴリのマイノリティで、それを隠す気がなくて、権力や財産を持っているわけでもなくて。それで勇敢だなんて、とても可哀想だ。

 あなただって完全な同質性の中になんかいないじゃない、そもそもわたしと話をしているのだし。彼女がそう言って、僕は我にかえる。そうだ、そういえば僕とこの人はちっとも同質ではない。人間だということくらいしか共通点が見当たらない。

 立派な心がけだね、と僕は言う。立派かどうかはどうでもいいや、と彼女は言う。同じような人間としか話さないでいると、わたし、心が暇になってしまう、そしたら、同質性の高い人々だって上手に愛せなくなるよ、わたしは、そんなのはいやなんだ、自分の世界を退屈な場所にしたくないんだ。