傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

健全な孤独死のための覚え書き

 あのさあ、わたし孤独死しようと思って、あんたも一緒にどう? 何それ、孤独死ってしようと思ってすることなの、しかも一緒にって何よ、私みたくひとりじゃなくて、家族がいるのに、子ども二人いるのに。わかってないなあ、だから孤独死を志すんですよ、健全な孤独死を。わかんない、ぜんぜんわかんない。

 だってわたし、子どもが成人したら同居なんかしたくないもん、わたしの可愛い息子たちは世界に旅立ってほしいし、世界じゃなくても、まあ日本でいいんですけど、東京から出なくてもべつにかまわないけど、自分の好きな場所で好きなように生活してほしい、老いた親が心配だから一緒に住むとかやめてほしい、まじで。

 それはまあ、そうかもねえ、親との同居ってそういえば、どうしてみんな、するのかねえ、考えたことなかったわ。さあ、同居する人にはする人の考えがあるんでしょ、わたしはそういう考えかたをしない、それだけなんだけど、とにかく、わたしの将来の理想は、子どもと離れて暮らしている状態、それでさあ、夫はわたしより先に死ぬわけ。

 死ぬの。死ぬ、男女の平均寿命の差があり、彼とわたしの年の差が四つある、順当にいけば彼が先に死ぬ、あとー、彼がー、俺より先に死なないでくれって言うからー、えへへ。そうかそうか、よかったね、それで最後にはひとりで残るわけね、なるほど。

 うん残る、今後の人生が理想どおりに進んだらわたしが残る、そしてさらに理想の老後を考えると、できるかぎり元気な状態で自宅にいたい、あれよ、年寄りの夢としてしばしば語られるピンピンコロリってやつ、わたしもそれがいい、入院とか避けたい、で、めでたくコロリしたとしよう、そしたら、孤独死じゃん。そうか、孤独死だ、孤独死以外ないわ、その理想の人生だと。

 ねえ、だからさあ、わたし、わかんないんだよ、孤独死いいじゃん、最高じゃん、それなのに孤独死ってなんかこう、忌むべき言葉みたく使われてる、それで、脅し文句になってる、あんたみたいないい年した独身者を非難するための用語になってる、ねえ、あれは何なの、わたし、まじで意味わかんないんだけど。

 あれはね、「あるべき家族」を持たない者への憎悪の一形態ですよ、死体が腐るという問題では実はないんだよ、もしも死体が腐ることが問題なら、婚姻とか関係ない、死体問題を解決したいなら、火災報知器みたいな死体報知器を開発して全住宅につければいい、そのための開発を政府かなんかがすればいい、それだけのことなの、でもそういう話にはならないでしょう、必ず、家族の崩壊がどうとか、選り好みしないで結婚しろとか、独身なんて社会にとっての迷惑そのものだとか、そういう話になるでしょう、つまりね、孤独死というのは、ツールにすぎないの、「正しい家族」を拒絶した人間を罵倒したいという気持ちの受け皿が「孤独死問題」なの、「正しい家族」を選ばなかった人自身がそれを内面化していることもある、いずれも、死体の話をしているのでは、実はない。

 そうかあ。そうだよ、死体は関係ない、彼らはただ、彼らの思い描く「家族」の枠におさまっていない人間に石を投げたいだけなんだよ、孤独死が石として機能しなくなったら別の石を探してくるでしょう。

 ねえ、わたしたち、年をとったら毎日連絡を取り合おうね、そして片方の連絡が途切れたらもう片方がすみやかに通報しよう、あの家でおばあさんが死んでいますって。かまわないけど、でも、わたしたちがおばあさんになるころには、もうちょっとテクノロジーが発達しているんじゃないかな、部屋の中で死んでるか確認できるシステムのひとつやふたつ、できるんじゃないかな。うん、きっとできるよ、できてほしいなあ、友だちの死体を確認しにいくのも億劫だものね、くさそうだし。そうそう、死んですぐ見つけても夏場とかわりと腐ると思うんだよね、冷蔵庫に入って死ぬわけじゃないからさ、まあ、私は、死んだあとくさかろうが汚かろうが、個人的にはどうでもいいんだけど、死んだら嗅覚とかないし。

 よし、決めた、わたし、最高の人生の結末として、最高の孤独死をする、それでもって、あんたの仇を討ってやる、あんたの選んだ幸福な独身生活をどうこう言うやつ、まとめて否定してやる、わたしたちはいろんな生き方をして、そうしてみんな幸せだったって、あいつらにわからせてやる、だから安心して死んでほしい。ありがとう、でも、まだ死なない、あと、できれば四十年くらい。