傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

年末病の取り扱い

 いつもと同じ時間に目が覚めた。死にたいと思った。それから、おお、来たな、と思った。

 理由はわかっている。年末に決まって寝込む、その前哨戦のようなものである。年末年始というのは日本の家族の聖なる日なので、わたしのように生家と縁を切って故郷をまるごと捨て新しい家族も持ちたくない人間とは相性が悪い。帰省と家族の絆の話は周到に避ける。家族礼賛が正しいとも自分が正しいとも思わない。けれども少女時代のわたしにとって年末はいつもよりさらに重い家事労働をやらされるための、正月は次々やってくる親戚に酌をして下劣な「冗談」と「スキンシップ」にさらされる日であったから、メディアの流す年末年始像は見ないほうが健康に良い。

 あまりに調子が悪いと精神はかえって安定する。超低空安定である。不安定になるほどのエネルギーも残っていなければ生きるための最低限のことしかしないので、寝ていれば年が明ける。だからもっとも調子の悪い仕事納めから大晦日については自分で自分を心配する必要がない。一日十八時間くらいうとうとと眠り、目が覚めればまぶたの裏から悪夢を剥がし、鬱々とし、あらかじめ用意した食べ物をもそもそ食べる。

 精神がもっとも荒廃するのは仕事や生活の瑣事をこなすだけの気力と思考力が残っている十二月中旬からだ。今年もそろそろその気配がやってきた。わたしはカーテンをあける。外には冬の青空が広がっていて苛々する。斜め向かいの新築マンションのガラスが光って胸が悪くなる。首と背中と腰が痛い。わたしは機械的にカーテンを開ききり、軽いストレッチをする。痛みが移動して感じられて顔をしかめる。毎週近所の焙煎所で買っているコーヒー豆を挽く。味は金属質で不快である。

 ふだんのストレッチは気持ちが良い。ふだんのコーヒーはとても美味しい。要するに不調が来たのだ。わたしはそう思う。テレビはつけない。SNSも見ない。調子が悪くて気力が残っているときは何を見たって悲しいか不愉快か、なにも感じないかだ。だから見ない。コーヒーは香りだけが最高だった。味が変に感じられるのを無視して飲むと気分が少しマシになった。黒い魔法の液体。

 身支度をする。服はすべてちくちくと肌を刺し、なんでこんなもん買ったんだとわたしは思う。でもしかたない。これを着るしかない。足はやたらと浮腫んでいて靴に詰め込むと身体の苦痛がまたひとつ増える。わたしは幽霊のように歩く。

 夕方になると不調そのものに慣れてきた。たいていの冬と同じパターンだ。人間は何にでも慣れる。ずっと痛いと痛いのが当たり前になってくる。背中と腰をかばって歩くのでガラスに映った自分が一瞬老人に見える。まあいい、とわたしは思う。そのうちほんとうの老人になる。それまでは死なないように気をつけよう、なるべく。

 そもそも、とわたしは思う。死にたいと思っているのは、実は、「今」ではない。ちょっとアンコントローラブルかつ強烈なだけで、回想の一種である。死にたかったのは少女のころのことだ。いま死にたいのじゃない。大人になってから死にたいと思ったことはない。わたしはふだん、なかなか愉快に暮らしているのだ。それが遠い日のような気がするのは錯覚だ。わたしは、それを知っている。自分の想念が偏っているのもわかっている。不調のときに自分の内面ばかり見ないほうがいいことを知っている。

 そのように話すと友人は眉を寄せ、それじゃあお正月も寝てたほうがいいんじゃない、と言った。この友人は夫もふくめ三代前から江戸っ子で、帰省という概念がない。そのためによく正月に食事をする。友人が、今年は年末でも、と言うので、年末は具合が悪いのだと説明したら、正月も寝てなくていいのかと心配された。そうかとわたしは思った。それから説明した。

 お正月は、いいの。お正月が来るとわたしはまあまあ調子が戻って世界は美しいの。たぶんここが東京だからだよ、そして誰もわたしを追い立てることがないとわかるからだよ。なんで年末はそれがわかんないのかと思うんだけど、たまにかかる医者によると、そんないっぺんにはわかんないものなんだってさ。頭でわかれば症状が出ないなら精神科医は要らないって。まあそうだよね。医者が言うには昔、わたしはお正月も調子悪かったんだって。わたしは何でも忘れちゃうから、そのこともよく覚えてないんだけど、でもお正月はわたし、好きだよ。

 そうかい、と友人が言う。それじゃあ来年もお正月の東京を歩こう、人の少ない、うつくしい東京を歩こう。