傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

お父さんのUFO

 わたしがそれを見たのは空の半ばを薄雲が覆う冬の夕方で、太陽の位置には雲がなくて、空は、今にして思えばたいそうみごとな、青と茜色のグラデーションをしていた。わたしは小学校五年生で、空の色に感興をおぼえるような心はまだなく、足下のブロックをできるかぎり自分の決めたルールにしたがって踏むことに情熱を燃やしていた。友だちも同じことをしていた。わたしたちは学校から帰るところで、叱られないぎりぎりの帰宅時間までやくたいもないことで時間をつぶしていた。たとえばブロックの境目を決して踏まず、白っぽいブロックと黒っぽいブロックを踏む数が左右の足で同じくらいになるようにする、というようなことで。

 うつむいていた頭を上げると空に大きく輝くものがあった。わたしたちはそれを見つめた。わたしも友だちも口をきかなかった。それはとても美しかった。それはわたしたちに合図を送るようにまたたき、そして、消えた。残った空を見てはじめて、空は綺麗だとわたしは思った。

 わたしたちはきゃあきゃあと騒いだ。今の、今の。ねえ見た。見た。UFOだ。UFOだよ。どうしよう。ニュース見よう、きっとやってる。

 わたしたちはおおいに興奮し、それぞれの自宅に向かって走った。わたしの家には誰もいなかった。いつものことだ。子ども向けの携帯電話が一般的になる少し前のことで、わたしの通信手段は自宅の電話だけだった。わたしは震える指で母の携帯電話にかけた。母は出なかった。仕事中はたいていそうだ。わたしは留守番電話に向かって、できるかぎり簡潔に、自分の目撃した驚くべき現象について話した。留守番電話の録音の限界はすぐにきて、わたしは苛々した。次に父にかけた。そして同じように留守番電話に向かってUFOの話をした。今度はぜんぶ吹き込むことができた。わたしは少しだけ満足し、おおいに興奮したまま電子レンジを使って軽食をあたため、もりもり食べてから塾に向かった。

 ニュースではなにごとも放送されなかった。それどころか一緒にUFOを見たはずの友だちはその夜には急激にそれに対する関心をうしなっていて、電話の向こうで気のない声を出した。母は落ち着きはらって、そういうのはだいたい目の錯覚だ、と説明した。わたしは憤然とした。あんなに奇跡的なできごとがこの世に受け入れられないなんて、まったく信じられなかった。すると父が言った。それはUFOかもしれないねえ、宇宙人が乗っていたのかもしれないねえ。

 父は世界中で目撃されたという宇宙人の話を、わたしにした。母は途中であきれてお風呂に行ってしまった。父はかまわず、いろいろな宇宙人の話を詳細に展開した。今にして思えば、父はそういううさんくさい話にやたらと詳しい人だった。父は内緒話の口調になり、でも、と言った。まだ誰も宇宙人をちゃんと目撃できていないんだ。UFOを目撃したきみなら、そのうち宇宙人に会えるかも。そうなったらすごいことだ。

 わたしはとてもうれしくなった。父はうっとりと目を閉じ、宇宙人、とつぶやいた。おおむね機嫌の良い人だったけれど、その日の笑顔は格別だった。宇宙人、とわたしもつぶやいた。お風呂から上がった母がわたしたちを見て首を横に振り、外国人みたいに肩をすくめた。

 そういえば、とわたしは言った。わたしはもう大人で、父はとうに死んでいる。丈夫で病気ひとつしない人だったのに、わりと若いうちに突然の事故であっけなくいなくなった。今日は夕焼けが綺麗だったよ、見た?そのように訊くと、見てないと母は言う。それから笑う。お父さんに似てきたねえ。

 母が言うには、父という人は始終あやしげな本を読んでいるし、何かというとぼうっと空を見ているし、気が弱くて頼りないことこの上なく、働きはするが出世欲とは無縁で、ほんとうにだめな人だったのだそうだ。じゃあどうして結婚したのと訊くと、母はまた笑った。お父さんには夢を見る能力があるからよ。あたしは、お父さんとはちがう種類の本を読んでるけど、やっぱりしょっちゅう現実じゃないことを考えているから、夢を見ることのできる人じゃないと一緒に暮らせない、あんたは、お父さんに似てる。

 わたしは夕焼けを思い出す。今までに見たいろいろな夕焼けを思い出す。その中にUFOはいなかったかと思う。子どものころに見たあの美しい光の中には、きっと、宇宙人がいたのだ、と思う。宇宙人はいつか、わたしの前にあらわれるだろう。UFOにはきっと、お父さんも乗っているんだろう。上機嫌で降りてきて、わたしに手を振るんだろう。そう思う。