傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

わたしのお姉ちゃん

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのために海外在住の姉は気軽に帰国しなくなった。「しょっちゅう行き来するのは不経済だしねえ」と姉は言う。そのこと自体はさみしく思わない。わたしも語学留学や夫の仕事の都合で海外に住んでいた頃には同じように思っていた。そもそも、しょっちゅう親きょうだいに会わなきゃつらいとか日本じゃなきゃダメだとか感じるなら、外国に住もうと思わないのではないか。

 わたしが少しさみしく感じるのは顔を合わせる回数が少ないからではない。「姉はやっぱり遠い」と思うからである。

 姉は昔からわたしの近くにいなかった。子どものころには同じ部屋で寝ていて(子ども部屋がひとつしかなかったのだ)、物理的にはこの上なくそばにいたけれど、それでも姉を近いと思ったことはなかった。
 姉はよく本を読む子どもだった。二歳年下のわたしが物心ついたときにはすでに自発的に読んでいた。そうでなければテレビの歌番組や何かに没頭していた。
 わたしもテレビを観たし、本もそれなりに読んだけれど、姉のように入り込むことはなかった。最初にそのことを自覚したのは読書感想文を書くために姉が大好きだったファンタジー小説を読んだときだ。ナルニアに行くのは姉のような人間だ、とわたしは思った。わたしは本を読むことはできる。でも本の世界に行くことはできない。その世界をのぞき込むことはあっても、わたしのたましいが異界に招かれることはない。
 それが証拠に、とわたしは思った。姉はあんなに成績が良くて難しい言葉を使うのに、すごく簡単なことがわからないじゃないか。たとえば親は今どんな気分か。この親戚には何を言えば気に入られるか。学校の先生から自分が望むような扱いを受けるにはどういう態度を取ったらいいか。
 わたしには明瞭に見えているそれが、姉には見えないようなのだった。わたしって気が強くてかわいくないからね、と姉は言っていたが、そうではないとわたしは思っていた。姉は強いからはっきりとものを言うのではない。強いから大人に媚びを売らないのではない。
 姉の心はいつも半ば以上「ナルニア」みたいなところにあるから、大人たちのいる世界のことがわからない。だから姉は自分を守るために何ごとについても自分の意見を持ち、それを表明しなくてはならない。そうしなければ姉のたましいは容易に「ナルニア」に吸い込まれてしまう。糸の切れた凧みたいに。
 わたしには短いけれど切れにくい糸がついている。だからわたしはその糸を強くしようと、たぶんそのようなことを思った。

 わたしが最後に姉を「お姉ちゃん」と呼んだのは十歳のときである。姉はいかにも姉らしくわたしの子どもっぽい遊びにつきあってくれていたのだが、ある日わたしは気づいてしまったのだ。姉はそれを楽しんでいない。わたしのためにやっている。わたしは妹という手札、幼いという武器だけでこの人を動かしている。
 お姉ちゃん、とわたしが呼びかけると、なあにと姉はほほえんだ。義務を遂行する大人の顔をしていた。わたしはそれからどうしたか覚えていない。でもその次の日から姉を「お姉」と呼ぶようになった。何かを区切らなければならないと、子ども心に思ったのではないか。
 思春期にさしかかった姉は本棚を動かして部屋を半分に区切り、バリケードのようなその空間で何かを読んだり眺めたり鉛筆を動かしたりするようになった。ときどき、物理的にはそこにいるのに気配がほとんどなくなることがあって、そうするとわたしは「お姉がまた『いなくなっている』」と思ったものだった。わたしが彼女を「お姉ちゃん」と呼ばなくなった直後のことである。

 今、わたしたちは中年で、わたしの上の子は来年中学生になる。一年ぶりに帰国した姉は顔を合わせるなり○○くん入学おめでとうと言い、ありがとうとわたしはこたえた。上の子の入学祝いについて打ち合わせたあと、姉は言った。
 そうだ、こないだあんたのこと、「求められる系女子のグランドスラムじゃん」って言われたんだ、えっと、ベタ惚れの夫に連れられて駐在妻をやって子どもを育てて都内に家持ってるじゃん、それについて。わたし、あらためて感心しちゃった、あんたってたいしたやつよ、なかなかできることじゃないよ、なにしろグランドスラムだよ。
 わたしは苦笑した。姉は今でもこの世のことを、自分がなじんだコンテンツのひとつみたいに感じているんだろうと思った。やっぱり遠いなと思った。姉はわたしをうらやまないだろうけれど、わたし、お姉ちゃんは「ナルニア」に行けていいなって、今でも思ってるのにな。