傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

他人のプロレスを笑うな

 A助教はわたしたちが学部三年生から四年のあいだ、実習室の主をやっていた。
 そのころわたしたちの大学の大学院生が急激に増え、院試をだいぶ厳しくしても院生室の机が足りなくなったのだという。それで通常は院生室にスペースをもらっている任期つき助教の居所が実習室の一隅に移された。実習室は配分される予算と授業の定員に比してやけに広く、空間が余っていたのだそうだ。そんなわけでA助教はそこに二年ばかり、いわば小さな研究室をかまえることになった。
 かわいそうである。
 なぜかわいそうかといえば、助教としてもらえる空間と持ち物(デスク、椅子、機材、天井までの本棚一棹、それらを除いて二畳ばかりの占有空間)は同じであっても、実習室では始終授業がおこなわれ、何ひとつわかっていない子どもの顔した二年生やら三年生やらがうろつき、少々もののわかった四年生に至っては夜まで居座って、何かといえば「Aせんせー」と寄ってくるからである。A助教はそのころまだ二十代で、自分の大学院に博士課程の籍を置いたまま昼はわたしたちの大学で助教の仕事をし、夜な夜な博士論文を書いていた。
 オールストレート進学の博士課程後期在学中にフルタイムのアカデミックポジションを得つつ学位論文を準備していたのだから、今にして思えば優秀なエリート研究者である。でもそんなことわたしたちにはどうでもいいことだった。

 A先生は助教だから授業を持っていなかったけれど、訊けばイヤそうな顔しながら簡潔かつ的確に教えてくれたし(だいたいは「これを読みなさい」だった。ときどき資料の現物を貸してくれた)、わたしたちはやれソフトウェアの挙動がおかしいのデータの解釈ができないのプリンタの紙詰まりが直らないのといった理由で簡単に「せんせー」とやっていたから、距離は近かった。
 それである飲み会のさなか(いま思えば絶対に超多忙なのに飲み会には毎回来てあまり愉快でなさそうに学生の相手をしていた)、誰かが尋ねた。A先生はプロレスがすごくお好きだそうですね。あれって格闘技というより八百長じゃないですか。それとも八百長を楽しむんですか。

 A助教はその卓についていた全員の顔を見渡してため息をつき、言った。きみ、プロレスに向かって八百長などというのは、ゴジラに向かって「ぬいぐるみー!」と叫ぶようなものだ。
 ゴジラはぬいぐるみだ、もちろん。あるいはCGだ。しかしゴジラ映画の中にあってそんなことを言うやつは人間ではない。ゴジラゴジラだ。映画の中ではね。そしてプロレスの観客は映画の中で逃げ惑う人間たちと同じ立場だ。だから嘘をついているのでも現実の中で欺瞞をやっているのでもない。別に仲間になれとは言わない。だから僕らのことはどうか放っておいてほしい。
 そうだな、きみたちの大好きな恋愛と同じだ。いや今はある種の恋愛よりある種の結婚かな。そう、結婚はただの民事契約だよ。それ以外はきみたちがその中でやっているロールの結果として幻視されるものにすぎない。でも誰もそれをばかにするべきではない。他人のプロレスを笑うことを、他人の神聖さを笑うことを、僕は軽蔑する。どんなに滑稽に見えても、そして構造的な問題があったとしても、その問題の社会的な取り扱いとそれを必要とする個人への対処は別であるべきじゃないのか。うん、もちろんだいたい問題はあるんだが、それが誰かの人権を著しく侵害しているケース以外では、積極的に介入するつもりもない。ロマンというのはそういうものだと僕は思うよ。でもね、あなたがたは、たちの悪い安いロマンに引っかかるような人間になるのじゃないよ。

 わたしたちにはその話のいくらかしかわからなかった。でもA先生がそんなだから、わたしたちはみんな彼を好きなのだった。小柄でやや小太りで丸顔で髭をはやして、がんばって老けて見られようとしているスーパーマリオみたいな、すごく頭がよくて結局のところお人好しの、酔うほどに言葉使いが丁寧になる、ひどく若い先生。

 わたしが最後にA先生に会ったのは卒業後すぐのことである。
 A先生は着任時すでに妻があったから、わたしの卒業後には新婚と言うには長い結婚生活を過ごしていたはずなのだが、いかにも新婚カップルという様子で食事をしていた。わたしは彼氏に誕生日を祝われるために来て、背中合わせの席についたのだった。
 A先生夫妻は一時間もするとわたしの横を通ってレストランを出ていった。ちょっと目があったので、わたしはうろ覚えの記憶をたどってアントニオ猪木のポーズを小さくつくった。A先生はうつむき、わずかに笑って、それから後ろ手を振った。