傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

やさしさの出力調整

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのために多くの学校でオンライン授業が導入されたが、わたしの勤め先の専門学校は比較的早く対面を再開した。実習なしには成り立たない分野であり、いわゆるエッセンシャルワーカー(疫病後突然人口に膾炙した語である)を育てる場でもあるからだ。
 わたし自身はその分野を勉強したのではないし、資格も持っていない。学校事務をやろうと思って就職先を探したら採用してもらったのだ。

 対人サービスで窓口業務があるところには必ずヘビーなクレームが発生する。何をどうやっても発生はする。できるのは減らすことだけである。
 今回わたしが対応したケースはどう考えても防げるものではなかった。
 学生が学校に来なくなると、事務が取りまとめて学年担任の先生に通知する。先生はたいていその前に把握しているが、ともあれ先生は学生にメールを出したり、電話をかけたりする。それらのうち一定の学生は連絡をすべて無視する。
 この事態が続くと、教員側と事務側の双方で、保護者(たいていは親)への連絡が検討される。一人暮らしの学生なら健康なども心配になってくる。とはいえ、学生によっては親に連絡されるとたいへんなことになるので、一律同じ時期に連絡するわけではない。世の中には学生の奨学金を取り上げるようなとんでもない保護者から逃げてきた学生だっているのだ。
 今回のケースでは早い段階で担任の先生が保護者に電話をかけていた。入学時提出の書類に書かれていた、学生のお父さまの携帯電話番号である。先生がかけても出なかったとのことで、事務からもかけた。やはり出ない。
 さらに時が過ぎたが、その学生は学校に来ない。本人も保護者も連絡に応じてくれない。このままでは留年は確実だし、一留で済まない可能性もある。ここまでくるとわたしの職場では書面を送る。
 するとその学生のお母さまから電話が入った。そう、お母さまは何ひとつご存知なかったのである。自分の娘(女子学生である)が学校に行っていないことも、学校が本人や父親の携帯電話に電話をかけていたことも。

 お母さまの言い分はこうである。
 娘が学校に行っていないのに放置していたとはなにごとか。本人に連絡したというが、いつ誰がどのように連絡したのか。連絡に応じられない気持ちになっていると想像しなかったのか。学校に行けなくなった原因について調査したのか。もっとずっと早い段階で、両親の双方に連絡があってしかるべきではないか。学校に行ってもいないのに学費を支払えとはどういうことなのか。
 ところが、「学生対応についてのデータを開示せよ」といった要求をするつもりはないのだという。つまり、要望あっての電話ではないのだ。感情の問題なのである。まあそうじゃないかとは思っていた。
 こういう人はいる。
 大きなできごとがあって自分の感情を処理できなくなったとき、他人にそれを委託しようとするのである。親しい人と話したり海に向かって叫んだりするなどして落ち着き、要望をまとめてから電話してほしいのだが、それをすっ飛ばしてしまう。そして電話口で延々と話し、泣き、怒り、また話す。
 わたしの経験則によれば、こういう人の90%は話せば落ち着き、その後も話はこじれない。5%はぜったいに納得しない。残り5%は一度落ち着いて電話を切るが、その後何かのきっかけでまた感情を昂ぶらせ、電話をかけてくる。

 このお母さまが90%の人でありますように、と思いながら電話を切った。
 一週間後にまたかかってきた。最後の5%のケースだったか。

 「担任に出席状況等について問い合わせたい」というので先生につないだ。案の定、内容は実際には出席のことではなく、わたしの時と同じであるようだった。
 わたしと先生は顔を見合わせた。あのお母さま、「問い合わせ」二回じゃたぶんおさまらないな。

 わたしの勤め先は小さい学校なので、校長がそこいらにいる。わたしと担任の先生で連れだって校長をつかまえ、今回のケースについて相談した。
 うんそれはね、もう慰めなくていいよ。校長はそう言った。次かかってきたら録音して「事務的」な対応して。

 二人とも、その人にやさしくしてくれてありがとね。でも、そろそろ、やさしさの出力を絞るタイミングだね。
 あのね、そういう人って、「こんなにつらいんだからまたなぐさめてもらわなくっちゃ」って思うの。二回ゲットしたものは三度も四度も手に入ると、どこかで思ってる。だから「問い合わせ」の名目がギリギリ立つうちに、「もらえない」前例を作らなきゃいけないの。