傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

花火の見える家

 他人が買ったマンションの冷房の効いたリビングで花火を観ないか。
 わたしがそのように誘うと恋人はそりゃあいいねえと笑った。
 わたしたちは賃貸派である。一緒に住みはじめて二度更新して、今年住み替えを検討してみたら、いつの間にやら周辺の家賃がえらく値上がりしていて、ぜんぜん手が出ない。それでそのまま更新した。もう買っちゃおうかと思わないこともなかったが、ローンが厳しい。買えばいいのにと言われるたび、「賃貸派なので」と、よく考えなくても何の説明にもなっていないせりふでその場を流す。
 ね、とわたしは言う。人さまがローンを組んだマンションで観る花火はきっといいものだよ。

 花火が見えるマンションを買ったのはわたしの仲の良い同僚である。せっかく買ったのにしばらく花火大会がなくて損をしたとこぼしていた。それで今年はわたしとわたしの家族、それに職場で最近仲良くなった田中さんも呼んでわいわいやりたいと、そのように言うのである。
 同僚には夫と十一歳の娘があって、三人で何度かわたしたちの住処に遊びに来ている。家族ぐるみのおつきあいというやつである。
 少女がわたしを駅まで迎えに来てくれる。ふたりで連れだって道を歩く。まっちゃんは後から来るんでしょ、と少女は言う。まっちゃんはわたしの恋人のあだ名である。仕事が終わったら急いで来るんだけど、花火に間に合うかな。わたしがそのように答えると、パパはぜったい間に合わないって、と少女は言う。ざんねん、とわたしは言う。
 ま、しばらくは女子会ってことで。少女はそう言う。わたしは笑う。この子はきっと、母親が言ったせりふをそのまま口にしているのだろう。

 花火が始まる前に飲んだり食べたりする。遅れる二名の分を取り分けておく。でもシャンパンはこっそりぜんぶ飲んじゃお、と誰かが言って、みんなが笑う。
 ゆいさん、と少女がわたしを呼ぶ。はいとわたしはこたえる。ゆいさんはママとふたつ違いなんだよね。まっちゃんとはいくつ違うの?
 十七歳ちがいだよ、とわたしはこたえる。そうなんだー、と少女が言う。うん、とわたしは言う。まっちゃんのママはうんと若いときにまっちゃんを産んだから、わたしから見たらお姉さんって感じ。
 ふぁ、と田中さんが息をもらす。田中さんはあまり嘘をつけないタイプの人である。田中さんがびっくりするだろうからわたしの家族について先に話しておこうか、とわたしは事前に同僚に相談した。すると同僚は「見ればわかるのでは?」と言った。まあそうだけどさあ。
 花火、はじまるよ、と少女が言う。みんなであわててベランダに出る。
 花火はとてもきれいで、とても短い間に終わる。
 わたしの恋人がやってくる。まっちゃん、と少女が言う。間に合わなかったね、おしかったあ。
 わたしは田中さんを見る。田中さんは口があきっぱなしになっている。正直な人である。「まっちゃん」は派手な服着た若い女である。

 このマンションを買った同僚はえらいことおせっかいな人間で、わたしの「賃貸派なので」に流されず、女二人でローンを組む方法を調べてあれこれ提案した。わたしは苦笑いしてこたえた。団信とかそういうのがいやなんだよ、連帯保証人を赤の他人の同性にさせてくださいお願いしますっていう努力をするのがさ。いいじゃないか、賃貸で。わたしひとりで契約して彼女から家賃もらえばいいんだから。

 同僚の夫が帰ってくる。どうもどうもと彼は言い、わたしたちは花火のお礼を述べる。同僚は最初にこの夫をわたしの家に連れてくる前に入念な説明をしたらしい。あとで「僕はそういうのに疎いので、失礼のないようにと」と彼は言っていた。「そういうの」ってあれか、男と女で年の差のほどよい「普通のカップル」じゃないやつのことか。ふーん。

 同僚はわたしとわたしの恋人が家族であることをオフィシャルにしたいのである。そのために入念に自分の家族を味方につけ(味方とは)、職場で一緒の田中さんも引っ張り込もうとしている。
 わたしはそういうことに積極的になれない。たいていの人は自分の「普通」の中で暮らしたいものだからだ。そこに負荷をかけて苦労して認めて「いただく」必要もない。
 でも拒む気はない。隠す気がないからだ。隠さなかったことをあれこれ言う人間がいたら(いる)、わりとしっかり戦う。でも田中さんが「そういうの」に怯えたり浮き足だったりしたら、どうしようかなあ。ちょっと面倒だ。

 わたしたちは花火の話をする。田中さんは「まっちゃん」のファッションについてあれこれ尋ねている。この人は存外、服装にいちばん驚いているのかもしれなかった。