傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

分散派の言い分

 彼女には恋人がふたりいる。恋人がいない期間もある。恋人がひとりだけということはない。生物として活性化すると恋をするので一人では足りないのかな、と思って話を聞いていた。でもどうもそうではないようなのだった。彼女は恋をするとあわててもうひとり、好きになれそうな人を探すのである。

 このたびはその「もう一人」が見つからないのだそうだ。恋人のふたりも見つからないなんて、わたし、もてなくなった、と彼女は言う。ほんとうにつらい、と言う。ひとりでもいいじゃんか、と私は言う。私は、恋は一対一でするべきだなんて、ぜんぜん思わないし、恋人を何人つくろうがその人たちの勝手だと思っているけれど、でも無理に見つけることもないとも思うよ、一人に集中するのもなかなか乙なものですよ、私たちは仕事も忙しいのだし、体力も衰えつつあるのだし、恋をいくぶんか減らしたってよろしゅうございましょう。

 いやだ、と彼女は言う。忠誠を誓うのはいやなんだ、と言う。忠誠、と私は言う。私の知っている夫婦に、夫が妻の手を取ってその甲にキスするのが習慣になっているふたりがいるんだけど、そういうのかしら。でも彼らだって忠誠なんか実は誓っていないと思うけどな、そういう様式を楽しんでいるだけで。

 彼女は言う。わたし、ひとりだけを愛したら、たぶん、死ぬ。人を好きになって、最終的にどうするかっていうと、一緒に死ぬしかない。わたしはそう思う。ほかに結末が思いつかない。だって、こんなに好きなのに、あの人はわたしじゃないんだよ。ちがう細胞でできていて、同じ空気を吸っていない時間がうんと長くて、何もかも話すことさえできないんだよ。わたしたちは違う服を着て、ちがうことを考える。笑うタイミングだって同じじゃない。どうして笑っているのかわからないことさえある。みんな、よく平気な顔して歩いてるね、好きな人と死ぬこともしないで。わたしは、本気でそう思う、若いころから今まで、好きになったら一緒に死ぬ以外にどうしようもないと思ってる。だからぜったいに誰にも忠誠を誓いたくないの。

 なるほど、と私は思う。彼女は浮気者だから恋人をふたりつくるのではないのだ。彼女はあまりにも恋慕の情が強いので、それを分散しなければならないのだ。彼女の情愛、彼女の執着、彼女の独占欲はそれほどまでに強いのだ。

 私は過去に彼女の好きになった人の口のききかたを覚えている。彼女が何年ものあいだ「彼はこう言った」と語りつづけていたからだ。彼女は彼の語彙をコピーする。彼女は彼の助詞の使い方を再現する。彼女は彼の口にした愚かしいせりふもしっかりと再現する。彼女が見ているのは幻想ではない。恋に幻想はつきものだというのに、現実ばかりを彼女は見ている。汚いところや卑しいところを見ても彼女は彼を嫌いにならない。あばたもえくぼ、ではなくて、あばたはあばたに見えていて、なおかつ好きなままなのだ。

 それって、片方がメインでもう片方は愛情の放水路みたいなものなの?私がそう尋ねると、彼女はひどくあきれた顔になり、ゆっくりと首を横に振る。あんたは何もわかってない、と言う。放水路?そんなのなんになる。多摩川利根川のどっちが本流かっていうくらいわかってない質問だよ、それは。好きな人は好きな人。何でもしてあげたい。目の前にいたらもうお祭り。花火があがっちゃう。何年つきあっても祭りは終わらない。でも、ふたり一度に好きなのは不誠実だから、わたしはいつの日か、どちらかにふられてしまうの。そうするとだいたい同じくらいの時期にもう一人ともうまくいかなくなるの。

 私は確認する。恋人が二人いたら片方に振られてももう一人いるな、って感じじゃないの?二人もいるのにぜんぜん余裕がない感じなのはどうして?彼女は首を横に振る。二人いてギリギリ死なない、くらいの感じだよ。どうせもう一人の男のほうが好きなんだろう、とか、どうせ俺のものじゃないんだろう、とか言われて悩んでるうちは死なないし、殺さない。自分の感情に潰されることがない。

 そんなにも人を好きになれるのはいいことだなあ、と私は思う。相手の男性はたいてい苦しむんだけど、でもまあ、しょうがないよなあ、と思う。私はどうも彼女を悪いと思えない。「恋はひとりに対してするものと決まっている」という規範があるのは知っているけれど、それに根拠がないことも知っているし、恋はだいたい、したら傷つくものだからだ。