傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

八木さんのこと

 わたしの仕事を非難するとき、八木さんは必ずわたしの名を呼んだ。ーー藤井さん。独特の間をあけて、ゆっくりと発音するのが常だった。わたしの胃はひゅっと縮みあがり、冷や汗がどばっと出る。今度は何をしでかしたんだ、と思いを巡らせ、ああしておけばよかった、こうしておけばよかった、と後悔した。いちばんしんどいのは、わかっていてもクリアできなかった部分を指摘されるときで、八木さんは決まって「ご自覚もあることと思いますが」と言った。

 八木さんはわたしにだけ厳しかったのではないと思う。長年のクライアントがよこした新人という、ものの言いやすい相手ではあったけれど、誰が同席しても八木さんは辛辣だった。仕事はとてもできた。非常に正確で、抜け漏れがなかった。八木さんに正解をもらえたら、だいたいOKだと思ってよかった。型のあっていない古くさいスーツを着て、おしゃれというものに縁がないから、うんと年長に見えたけれど、ほんとうはわたしより十歳しか年上ではないと聞いた。八木さんが笑うのを見たのはそのときがはじめてだった。八木さんはちいさく笑って、子どもは六歳です、と言った。六歳の子のことを考えて笑ったのだと思った。なにしろ愛想笑いをしない人だから。

 自分にも他人にも厳しいと言えば聞こえがいい。要求水準が高いと言ってもおおよそは褒め言葉だ。でも現実に誰にでも厳しく、いつでも高い水準の仕事を要求したら嫌われ、避けられる。当たり前だ。八木さんはだから嫌われ者だった。八木さんの会社は伝統があり堅い社風で、八木さんはそこにぴったりとはまりこんでいるように見えた。

 八木さんを担当していると言うと、わたしの会社の誰もが同情してくれた。新人の女の子に担当させる相手じゃない、という意見も聞いたことがある。でもわたしは配置換えを望まなかった。換える人員がいないからではない。八木さんが好きなのでもない(はっきり言って顔も見たくない)。八木さんがわたしに厳しいのはただただわたしの仕事ぶりが八木さんの要求する水準に合っていないから、それだけだからだ。

 若いからでなく、女だからでなく、容姿や態度がどうこうではなく、ただ仕事だけを非難する。そういう相手は、実は貴重だ。わたしの入社した時分には、雑談や酒の席で平然と女性社員の顔立ちや胸の大きさを品評する連中がいた。わたしはそれをぼんやりとやりすごしているふりをした。そして忘れたふりをした。でも忘れることなんかなかった。わたしは高校生のころ、「人間手帳」とあだ名されていたのだ。覚えようと思わなくてもたいていのことを覚えている。わたしが偉くなったらこいつら全員くびにしてやると思っていた。若かったのだ。今ではくびではなく減給くらいでいいかなと思っている。

 八木さんは誰にでも辛辣だった。誰に対しても愛想笑いをしなかった。気分で人を叱ることがなく、同じ基準で問題点を指摘した。いつも機嫌が悪そうに見えたが、実際には単に愛想がないだけで、気分屋ではなかった。むしろ一貫していた。八木さんは決してわたしの人格や気持ちを否定しなかった。わたしの属性によってわたしを判断しなかった。ただ仕事ぶりだけを否定した。わたしはだから八木さんを信頼していた。もちろん、ぜんぜん好きじゃなかったけど。

 向こうの送別会もかねて大勢集まるんですけど、いかがですか、あ、八木さんもいらっしゃるそうですよ。同僚がそう尋ねて、わたしは首をかしげた。新人の二倍ほどの年齢になり、わたしは現場に行かなくなった。八木さん、と言うと、同僚はちょっと笑って、あの人には絞られましたよねえ、とつぶやいた。でももうあの人も丸くなったんで、ええ、そうなんですよ、あの会社、組織が変わったでしょう、雰囲気もやり方もずいぶん変わったんです、それで、どうも八木さん、うまくいってないみたいで、まあ、あの調子ですからね、好かれやすい人じゃないんで、でも本人なりにどうにかしたいみたいで、とにかくにこにこしてますよ、にっこにこして、猫背になって、昔話ばかりしていますよ。

 そう、とわたしはこたえる。懐かしいですね、と言う。それからてきとうな理由をつけてその会への出席を断る。わたしは八木さんを軽蔑したくなかった。わたしが仕事を覚えたころの手厳しい教科書、わたしの胃痛の源。八木さんにはいつまでも「できる大人」であってほしかった。愛想笑いして昔話なんかしてほしくなかった。わたしの作った書類を眺め回して、あの怖い声で「藤井さん」と呼んでほしかった。ため息をついて、「何ですか、これは」と言ってほしかった。