傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

死ににくい年代と死にやすい病気

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。いまだそのさなか、わたしはがんになった。

 医者はいかにも隠しきれない、うきうきしたようすで、わたしにそのことを告げた。わたしは典型的な文系で、職業もマイナーな言語二カ国語とときどき英語のビジネス翻訳、頼まれれば(あまり儲からないタイプの)書籍の編集をしているのだが、身内にいくらか医療者があり、日本の標準医療に信を置いているので、医師とコメディカルの言うことは基本的によく聞くのである。
 それにしたってうれしそうなのは解せない。がん告知だろうに。

 その後あれこれ調べて知ったのだけれど、わたしのかかったがんは非常に予後のよいタイプで、それが超早期で見つかったので、医師は心から喜んでいたのだった。
 わたしは三十五歳を迎えて以来、二年に一度人間ドックを受けている。今年もその結果をもらいに行ったら、「たぶんなんでもないとは思うのですが、ぜひ、ぜひ検査に行ってください」という、たいそうきっぱりしているのにやけにあいまいな物言いをされて、それで検査に行ったら、要するにがんだったのである。

 わたしは四十二歳である。がんになるには早いように思う。しかし、わたしには去年胃がんになってあっというまに死んだ同世代の知人もいるのだ。
 そのときにわたしは思った。
 人間は思春期を超えたらみんな死に向かっている。

 もちろん、思春期は死に近い。少年少女。皮膚とからだの薄い、よく笑う不安定な生き物。あいつらすぐ死ぬ。自殺とかする。それから三十過ぎても思春期をやっている連中は「事故」で死ぬ。向精神薬と強いアルコールを同時にやって家の中で階段を踏み外すというような、自殺にかぎりなく近い、事故で。
 早いタイプで十五歳、もう少し遅ければ二十代で、遅い人なら三十すぎに、人間は大人になり、健康に気を配って社会生活をやって、しばらくは死なない。
 そう、わたしが直接知る人たちは、三十代では死なかった。しかし、四十過ぎたらまた死ぬのである。
 知人が、というだけではない。
 わたしがそうなのかもしれなかった。

 まあしかし入院開腹手術成功そののちの、予後は非常に良いということだから。
 わたしはそう思う。落ち着こう。まずは入院の手配をしなければならない。

 この入院の準備が非常なストレスだった。「入院します」と連絡したら、会社はやけに騒ぐのである。社内でわたししかわからない言語を扱う仕事の予定が入ったところだったのだ。
 知ったことではない。わたしは入院して腫瘍を取るのである。
 しかし世は疫病下、わたし自身がそれに罹ったら悪性腫瘍を抱えていたって入院できない。入院前の二週間、わたしはぴりりぴりして引きこもって暮らした。
 そうして、わたしは鳥をどうにかしなければいけないのだった。わたしは大きいオウムと暮らしていて、少女のころ親に買ってもらって自分で育てていたのを、独立したときに連れて出ていたのだが、このオウムはどうかすると五十年生きるので、まだぜんぜん中年である。よくしゃべるし、その相手をしてやらないと拗ねるし、ストレスが溜まると羽根を抜くし、もちろん毎日の放鳥も欠かせない。
 この鳥を預けるところが、どうにも見つからないのだった。身内に頼むには期間が長すぎる。都内に住んでいて、飼っているのが犬であれば、大型犬でも高齢犬でもどうにかなる。でも鳥はそうではない。
 両親がこの鳥を買った鳥専門のペットショップに行き、買った鳥について相談するとひっそりとホテル業務について開示してくれるという、禁酒法時代に酒を飲みたい人が違法営業バーに行くみたいなルートで、わたしは鳥を預けた。自分でもびっくりするくらい、「わたしはしばらく家に帰れないし、わたしが寝ているこの部屋にわたしの鳥がいない」ということに落ちこんでまった。
 そういう人間ではないつもりだった。
 そういう人間であることは、悪くなかった。

 わたしは今後いくらかの検査を受けたのち、生活にまったく制限のない健康体の四十代として世に放たれる。
 それでもわたしは鳥に言う。病気になって悪かったね。わたしたちはいつもとても幸福だね。それを毀損してほんとうに悪かったと思うよ。それだからわたしはおまえが死ぬまで健康でいて、飲みに行って遅くに帰っておまえに叱られたりするからねえ。ええ、今日も行くのですよ。今日はモダンスリランカだよ。おまえのご先祖さまのいたところのように暑い土地の、人間の料理だよ。
 わかるかい。わからないかい。わからないねえ。おまえの胡桃のような脳みそには、とうとうわからないことだねえ。